私だってたまには世間の社会的なあれやこれやな問題点のようなことを考えることもあるのです、としておきます

 「原料高」。
 多かれ少なかれ資本主義体制の恩恵に受けている以上、野放図な投機の影響で物価が上がっても仕方がないに違いない。別に私なんかに言われんでも皆解っている。だからといって燃料タンクに穀物の絞り汁を放り込むのはどうかと思う。「絞りカス」でなく「絞り汁」をだ。別に私に言われんでも皆解ってる。確か伏見稲荷の縁起の中に、昔の地元豪族が富貴に驕って餅を的に矢を射る暴挙を冒し、餅は狐に変じ、件の豪族は自らの行いを恥じたという。破綻した資本主義世界における将来の救世主となりうるのは、古来より科学的進歩と自然との調和を伝統としていた東洋の島国だという説があるが、千年以上前の教訓に思いを持つ者さえいない国に伝統などと言うモノが意味を為すのか。
 食い物をこのままタンクに入れ続ければ巷に食物のニオイのする自動車が走り回るようになる。まあ、世界中の穀物の正しい意味での需要と供給を考えればそんな世界は地獄以外の何者でもないのだが、ここはあえてそのように仮定して。あなたが住んでる町の中の信号待ちの交差点で、尻から香ばしいニオイを嗅がせる鉄の塊が溢れているとする。渋滞の多い街中は忽ちの内に有機物らしいニオイに包まれる。ここで疑問は、「バイオエタノール燃料で走る車から出る排気ガスが、生物が好ましく思う香りを発するか」ということだが、恐らくそこまでバイオエタノールに依存するようになる世界においては、当初から予想される供給不足、市場原理の作用による各社による新商品の開発、それらの効果により必ず「排気ガスに香ばしいニオイのする」商品は登場しているはずである。そして各社が趣向と経営努力を尽くして発生させた香ばしい排気ガスのニオイはかくして街中に充満する。
 するとどうなるか? 街中に、同じように充満しているネコ達が、そのニオイを敏感に感じ取り、香りに釣られて常にも増して徘徊の数を多くする。利口な彼等はやがてそのニオイの元が何処にあるのか学習する。かくして信号待ち、渋滞中、停発車前後、その速さにネコが着いてこれる、車のアイドリングが行われるあらゆる場所、場面の車の背後・・・主にマフラー周辺に、ネコが集まる、ネコが群れを為して連なる。すると小憎たらしく、愛らしいことこの上ないネコ達を踏んづけないように、車のドライバー達は最大限に気を遣う。やがてネコ好きの改革派首長による「エンジン回転時におけるネコの保護条例」が施行され、その後国政レベルにおいても、ネコ好き超党派の議員達の温度を中心に同様の法律の整備が始まる。かくて、ネコの居そうな街中においてはネコの速度に合わせた制限速度を義務づけられ、ヒトにもネコにも優しい速度で走る車の後ろには、ネコ達がづらづらと付いて回る光景が日本中で一般的な光景となる。とは言っても、タンパク質を維持するためでなく、鉄塊を走らせるために炭水化物を消費することは、北京オリンピックと肩を並べる悪徳です。
 私もいい年して街中でネコを見掛けると、カメラに収めて、ニヤニヤしながらワケの解らぬセリフと共にブログに上げているだけではなく、こんなことも考えているのです。