本屋に隠れる


 午後八時、近所のちょっと大きめの本屋に行く。別に欲しい本があったわけではなく、ただ単に、朝しか陽の光が入ってこないクセにやたらモノばかり溜まっていく部屋に帰るのがイヤだっただけなので、本屋に入るや適当に歩いて回る。自分と同じ気持ちで本屋をうろついているヤツがそんなに沢山いるとは思わないが、閉店一時間を切ったこの時間でもそれなりに店内に客は多い。本屋に置いてある本は大抵ジャンル分けされて似たようなジャンルの本が似たような位置に集まり、客が目的の本を探すのに適当に苦労をしないでも済むように工夫されている。それでも本を探すのに苦労する客のことなど本を買いに本屋に来たわけでない私は知らない。
 『学習書』の棚は『雑誌』の棚から離れて置かれている。本当は置かれていないのだがそんな事にして置いてもらった方が都合がよいのでそうして置いてもらう。その『学習書』の更に奥には大抵『児童書』の棚があって、これは本当に『雑誌』の棚から一番遠く離れている。『学習書』が『雑誌』の棚から離れているわけでないのにその奥にある『児童書』がなぜ『雑誌』から一番遠くに離れているのかよく解らない。もしかしてこれも作り話かも知れないが、そうして置いた方が都合がよいのでそういうことにしておく。そうなると、この時間、『児童書』の棚の列は人通りが全くなく、大変閑散としている。『児童書』が誰に読ますためにあるのか漠然としか知らないので*1この時間で既に人通りが無くなる棚の列があることは正直新鮮だ。自然その棚の方に足が向く。或いは人が寄りつかないという事象故にその方向へ足が向いたのかもしれないがそれはよく判らない。
 あまり見慣れているつもりはないのだが、いざ『児童書』の棚に置かれた本の表紙や題や絵や動物やを眺めていると、見た記憶のあるモノの多いことに意外に思う。どこで、どうやって叩き込まれたのか確かでないが自分の頭の中に人並みに『児童書』の表紙が刷り込まれていることに呆然として棚と棚の間の通路のほぼ真ん中で暫く足を止める。なぜだか解らないが、この気持ちは意外に心地よい。その心地よい気持ちになる間この棚の間の通路には客らしき人どころか店員さえも通りかからない。ここに、自分がいることは自分以外誰も知らない。その事もまた心地よい。
 なんだか機嫌が良くなったので、目に付いた本を一冊手に取ることにする。
うさこちゃんとたれみみくん (ブルーナの絵本)うさこちゃんはゆうきをだしてみんなにいいました」
 「たれみみくん」はうさぎなのでみみがたれていることを指摘されるのはとてもつらいことらしい。それ以外にも色々と引っかかった言葉がたくさんあったけど、いちばん引っかかったのは「いい歳の大人が絵本の立ち読みをすると30秒で読破してしまうのでこれは明らかに反則だな」という事象だった。けど居たたまれなくなるほどではなかったので読み終わった絵本を元あった場所に置いてまだしつこく佇むことにする。相変わらず店員さえもこの列では行き合わない。
 そういえばこの棚の一番下の段の本はカバーが傷ついていたり乱暴に突き刺さっていたりで結構な荒れようだな。理由は解るけど今は誰もいないのでその答えの行われている時間を想像すると心地よいな、実際その場面に行き合ったらどうしようもなくムカ入って一匹ずつ踏み殺してやろうという衝動を押さえるのに苦労しているんだろうけど。もしかして子供達のいなくなった『ネバーランド』もこんな風なのかも知れない。みんなは彼にあまりに寂しい思いをさせすぎてしまったんだろうね。

*1:何せ私の記憶に残っている「寝るとき親が聞かせてくれた本」は『がんばれ!タブチ君』なのだから