近所迷惑その2

sans-tetes2007-03-17

誰も知らないと思うが3月13日記事の続き。

・・・とは言ったものの、その次の機会が訪れても、人ん家の新聞を抜き取るバカ度胸がなければせっかくのその機会も生かせる訳ではなく、当然そんなキチガイな行為が万一バレようものなら・・・というリスクを考えると、突き刺さっている新聞を前にしても、みすみす素通りするしか方法がないわけで。というか「リスク」を考えて初めて踏みとどまるというのもどうかと思うが。
「朝、家を出るとき、左を向いて隣家の新聞の突き刺さりを必ず確認する」、そのころにはほとんど無意味な日課となっってしまっていたある日。やはり休日だった気がする。何度目かの機会が目の前にぶら下がってはいたが、同時に機会としてあまり意味を持たないという諦めの気持ちをもって、あまり意識せず突き刺さった新聞に目をやったような気がする。恐らくポストに刺す新聞の向きなど熱心な配達者は意識していようはずはなく、その日も当然名前が見えない、配達者によって無意識に慣習化されたいつもの形で突き刺さっていた。だが、その日、私は朝から冴えていた。いつもならその時点で素通りしてしまう、およそ八分の一の面積に折り込まれた新聞の一面に、我が家の新聞にも見慣れた「欄」があるのが確認できた。・・・一番下段の書籍の広告だ・・・。この時点で先に挙げた二つの候補の内『しんぶん赤旗』の可能性は無くなった。となると、事態は一番恐れていた方向に・・・。
更にその広告を読む。広告部分のほとんどがポストに刺さった形になっているためそこに載せてある書籍の題名を完全に確認することはできない。かといって、ほぼ確実に予想される結論から、最悪の事態も考慮して新聞には指一本触れられない。だが私にはそれを確実に確認する義務がある。漠然とした不安を確固たる現実に変える必要がある。書籍の、題名らしき一部分を読んでみる。『法華蓮・・・』『人間革・・・』『池田先・・・』確か、慶応義塾大学病院にお見舞いに行ったとき、暇つぶしになるものでも持参しようと思って、『ムー』を求めに入った本屋の書棚に並んだ文字がこんなんだった気が・・・。間違いない、『聖教新聞』だ。その結論に達した時、私は既に駅への道程をいつもより早足で歩いていた。いつもより人通りの多い別の道を選んで・・・。

要するに、人間どこで、どんなきっかけで人に嫌われるか、更には恨みを買うかわからないので気を付けましょうというお話。
名前伏せてねぇや。ま、いいか。