My Melancholy+Google Earth

 プチ鬱が昂じて、ついに誰とも顔を合わせたくなくなった昼休み、社内にあるなんだか用途不明なところ(福満しげゆきの『僕の小規模な失敗』に出てくるまさしくあんな感じの場所)に、ノートPC持って隠る。WEBが繋がるか不安であったが、なんとアンテナ3本で普通に通じる。さすがイーモバイル。提供エリアは限られているくせにエリア内ではかなりの汎用度。まるで弱いモノに強くて強いモノに弱いチンピラの様だ。
 エアエッジ時にダウンロードしたものの、あんまりにあんまりだったのでそのまま放置していたグーグルアースを久しぶりに開く。ここでもイーアクセスは、普通に有線でWEBに繋いだときと比べても全く遜色ない動き。ただ、それがまた、強大なモノにはひたすら媚びているような態度に見えてますます腹が立つ。もちろん、イーモバイルには与り知らない、私の真っ黒な心を通して映し出された濡れ衣なのだが。
 オーソドックスに、自分ん家を映す。衛星写真、都市部だけあって輪郭がよくわかるぐらいまで見えるな。もちろん、こんなモンにポリゴンで立体化させているようなモノ好きなど誰もいない。と言うか人ん家勝手に立体化する奴がいたら怖い。割合近くにある職場も同様。おもしろくない。
 そこで視点を変える。地方の惨状を垣間見ることも念頭に置いて、某過疎地に何故かある支社の様子を見てみる。衛星写真・・・。アフリカの紛争地並の精度でしか写ってない。これはあんまりだろう、ということで「だんだんおもろくなってくる」。
 もう一度自宅近くを。別にグーグルアースでなくともよいのだが、とりあえず近所をぐるぐる。既にツブれたコンビニがまだあるのを発見。その近く、広い空きスペース。今は行くことのない、見慣れた更地。かつて愛車を置いていた駐車場。あった。愛車が大事に大事にカバーに包まれてしまわれている。場所・カバーに被われているため他の車の金属的な質感とは異なり、やはり他の車とは異なる丸っこい外観。間違いない。
 腹が立つのを通り越して悲しくなった。この写真はいつまで残るのかな?立体化してやろうかな?つーかできるのか?
 いずれにせよ、無責任なグローバリゼーションに対する無責任な怒りを新たにして昼休みが終わる。おかげで昼食が摂れなかった。

 鬱な気持ちになってる時に世界を見ると、自分がいかに自意識過剰ななんちゃって鬱であるかということがよくわかる。