『水になった村』

 何が衝撃か。何もないところ、本当に何もないところで山の恵みだけを頼りに、いや、「だけ」ではない。十分すぎる山の恵みを頼りに生きていける。都会であろうと屋根のない場所に放り出されれば三日も生きていける自信のない私にとっては信じ難い。
 2度目の衝撃。その豊かな恵みが永遠に消え去ろうとしている。何のために?
 3度目の衝撃。山の恵みを失うことを見越してあるおじいが、先に逝ってしまったこと。山の恵みの中で、悠々と生きる様が輝いているように見えたあるおばあが、街の中の仕切られた部屋の中で、既にその輝きを失っていたこと。

 先祖から受け継いできた大いなる知恵と財産を、一夕の内に手放してしまうわけを教えてほしい。この映画に残されたおじい・おばあたちの笑顔までもが、過去の遺産になってしまうことが大変悲しい。