その六十八 横浜市栄区谷町 『定泉寺(田谷の洞窟)』

sans-tetes2008-06-29

 寺の裏手にある人工の洞窟で有名なお寺。洞窟は正しくは『田谷山瑜伽洞』と言うらしい。最寄りが一応大船で、洞窟の由来に鎌倉武士の朝比奈義秀が登場することもあり、鎌倉観光の番外にも紹介されるコトもあるが、鎌倉から大分離れた場所にあるのでここまで足を延ばすのはよほどの物好きと言ったところかもしれず、知る人ぞ、と言ったところか。が、この未だに霊場然とした構造物の雰囲気はここまで足を延ばして来る甲斐は充分あると思う。実際に洞窟の入口には軽挙を窘める旨書かれた立て札があり、現在もこの場所が霊場であること戒めてわけだが、そのお寺のお隣にラドン温泉というB級観光地お約束の施設があったりして、この中途半端さはまあ御愛敬。
 洞に入る前に小さい蝋燭を渡される。これを細長い杓状の板の先に乗せて足元を照らせと言うわけだが、堂内に入ってみて解るのように、現在洞内所々蛍光灯が灯されており、暗い洞内を歩くのに不自由はない。実際に蝋燭が活躍する場面は数えるほどしかなく、興醒めと言えば興醒めだが、渡される蝋燭は安物の一番小さいモノなので、灯りとしての機能は無いに等しく、あくまでも霊場見物の演出といったところ。この日は結構な雨模様、蝋燭の芯が湿らないように洞窟に入る。ちなみに洞内、残念ながら撮影禁止。
 入口入って直ぐに右側に灯明が置かれており、そこで蝋燭の火を分けてもらう。洞内散策中、蝋燭の火が消えることは多いがあちこちあちこち灯明が置かれているので火種には事欠かない。壁面に掘られた仏像等をよく見ようと蝋燭を近付けるとよくクモが落ちてくる。そのまま進むと両脇の壁面に獅子と龍との彫り物がお出迎え。当山の栄枯盛衰に沿って洞内の彫り物も全て同時期に作られたものでないのか、それぞれの造形はそろっていないような気も。一番初めにお目にかかる彫刻この獅子さんと龍さんは、恐らく洞窟入口の魔よけ・門番としの役割を期待されたものであろうが、共に丸みを帯びた愛玩種然とした風貌に、なんか「さん」づけしてあげたい。ここらから先に入るともはや外の雨音は聞こえず、その代わり洞内であちこち壁岩を打つ滴とどこかで湧いているらしい泉の音、壁面はどこもじっとりと湿っている。間もなく道は二手に分かれ、狭く、登り側の「行者道」と呼ばれる方の道を順路として示す看板あり。洞内、あちこち別の道に通じる道、或いは小さい窓状の穴等順路に逆らう口が多々あり。大体が埋められているか立入禁止の立て札があり、順路以外を進むことは出来ない。その様な別口を隙間から覗いてみると多くは崩落により奥は見えず。昔、和田合戦に敗れた朝比奈三郎義秀は、辛くも戦場を脱出、日頃より弁財天を奉るこの洞窟のいずれの口から落ち逃び、幕府の追っ手を逃れ遠く高麗まで逃げ延びたと言う。日頃よりの信心を鑑み、また敗者に優しき弁天の御加護や、800年の時を得て今に至る。
 ここから行者道、順路に突如現れる大きな部屋は、多く仏様を奉る。順々に全国(秩父・板東・四国)の霊場続き、それぞれの観音巡りを洞内一手に済ます作り。最も崇敬の高い証か、壁面の観音は多く崩落が多い。部屋の天井には何故か仏様でなく動物が彫られることが多い。蝙蝠、蛇、多くは崩落して跡を留めることが少ないが、作者の畏敬の念強く出す仏様に比べてこちらは造形優しく可愛くもあり、一部しか残らないのが残念。
 槌の跡の今でも生々しい行者道、狭く蛇行する内に気付かぬ内に傾斜を作る。後には急な階段も登場し、洞全体で見ると三層の高さの造りとなっている。恐らくは一番上の層、その一番奥と思しき部屋に「厄除け不動」が奉られ、灯明とお供え。このお不動様に限らず、この日の洞内のお供えに多かったのが「コアラのマーチ」の菓子箱。いかつい図体の朝比奈義秀が、一つ一つ手を合わせながらコアラのマーチを供えているような錯覚がはっきりとした幻視となって思わず笑ってしまう。錯覚と言えば同層の同じく仏像を奉った部屋、周囲の壁面が2段の作りになっていて、その大分高所の段のに仏像が供えられ、天井は更に高い位置。このシーンはどこかでどこかで・・・、松竹版の八つ墓村で田治見要蔵(山崎努)が逃げ込んだ鍾乳洞の中で寺田辰也(萩原健一)と森美也子(小川真由美)が遙かに要蔵を見上げる、アレだった。所々照明の途切れる行者道、手に掲げる灯明の真価が僅かな間この時とばかりに発揮される。蛍光灯の照明の下には人工の光を糧としたシダの生える。
 この層の最後を飾るのは最大級の部屋と彫刻数を誇る「四国八十八カ所」とそれに続き壁面の等身大の五大明王が彫られた大回廊。ここから急な階段を下って最下層に。最下層は道に沿って流れる音無川に沿って延々羅漢が彫られていたり、朝比奈義秀が奉っていたという弁天池の周りには極楽様の意匠が施されていたりして恐らくは地下世界一面彼岸のイメージ。恐らく一連の彫刻の制作者が意図した演出は「彼岸」を上がると五大明王に迎えられて観音菩薩の聖地に迎えられるという趣向だったのでは。天井に一部崩落している上階へ繋がる小窓。下から見上げるより上から覗くことにより、恐らく天界から下界へ覗く演出。そこからしばらく、洞内の照明に慣れてしまい、明らかに違和感を感じるようになった外界の光を僅かに感じるようになると、ここから出口はもう間もなく。
 洞内から出るとまだかなりの雨足。時間を過ぎて受け付けも閉じられ、境内は私以外誰も誰もいなくなっていた。地下から出てきたらまるで自分以外の人類が死滅していたような錯覚を感じた、などというベタな感想など抱かず、本堂に千社札を奉納して帰る。先程まで開いていた本堂の戸の奥、本尊をよく拝観しなかったのが大変残念だった。