その七十二 桜川市青木『青木神社』

sans-tetes2008-08-16

 行き着いたのは、これ以上ないほど寂れた「村社」。結局お目当てには行き当たらず。あー迷った迷った。
 県道を跨いで、参道の全長は結構長し。途中誰もいない遊具場は材木置き場になっていて、更にその材木も雑草にまみれて。一の鳥居を過ぎると杉並木に迎えられ、里山の中腹の境内へ。大分以前に付けられた轍を残してかなり荒れた参道、油断すると蜘蛛の巣が多く顔に付き往生する。静かな木立の中を境内へ、といえば聞こえがよいが、この寂れ振りはむしろ鬱然との言葉が似合う。
 木々が途切れて、現れたのは赤い色の社。遠くから見てもよく解る、手入れのなされていない掠れ、くすんだ赤。
 嘗ての栄華の名残か、それとも私のような物好きの受けがよいのか、社には比較的多くの千社札。社の中を覗き込むと大きなお神輿に小さなお神輿。先の遊具の錆が増えるのと合わせて両神輿が日を浴びる機会の少なくなっていった、恐らくその役目を担うこと鋭意縁に機会を逸した両神輿に思うは寂寥、これを眼にする人の多く感じる所であること否定はしないが、私にはその思いの外、嘗ての村社の栄華を思い浮かべ、ほんの少し気持ちが安らぐ。祭神の名前はわからない。
 藪蚊を払いながら、本社の周囲の摂末社を訪ねる。本社のこの有様、況や。本社とは少し違う印象の荒れ具合。朽ちるに任せたと言うよりは荒らされた様な印象の小社が二社、一回り大きな鞘堂に覆われて仲良く並ぶ。が、鞘の役目は疾うの昔に失われたと思しい。片方の社の御神体は既に失われている。その代わりなのか、お堂の周囲に多くの供物。大黒・恵比寿の面をはめ込んだ奉納額、又はそれらの小像。更に陶製の狐。全ては底の抜けた社の床下に、足元を危うくした挙げ句転がって、雨風に晒され、摩耗して、煤けて。嘗てここに座した祭神は恐らくは七福神の類であったであろう事想像できるが、この惨状に、神聖の面影は望めない。並んで隣の社、開け放しの扉の中から、恐らくはここの祭神、芭蕉の団扇を持った長髪の老神の像が外を「睨む」。芭蕉扇の得物は八仙、鍾離権の証、七福神の隣に八仙を配する図式は初めてお目にかかる。一度その盛時をあやかりたきの念生じるも、老仙はやはりこちらを睨む。足元にはやはり恵比寿・大黒の面。御前を辞する際、風雨吹きさらしの中では気の毒とも思い、扉は閉めてはおいたものの、次に扉を開くは何時誰がと考えれば、或いは開けておいた方がとの後ろ髪のないわけでもなかったが、やはり、その視線を遮りたくての感は否定できず、藪蚊を理由に、あとは早々に立ち去る。
 神社には珍しい偶像に、地方の現実そのままの有様を映した姿。仕方ないの一言しか述べられない無責任な一見客に、何か言いたげな神達であった、ような気がする。