伊藤若冲『旭日鳳凰図』

sans-tetes2008-08-24

 鳳凰とは一語で雌雄を現す。若冲の描く『旭日鳳凰図』は、海面の遙か彼方、雲の覆いを取り払い、今より当に勢いの盛んにならんとする朝日を受けて、夜の雌伏を振り払うが如く翼を広げるは雄であろうか。ならば同じく日の光を受けながらも夜に辞するが如く静かに座するは雌であろう。一対の瑞鳥が浜に孤立する奇岩に佇む様を描く。
 奇景である。鳳凰、題中のうち鵬一対を仮に取り除く。すると日に北面する、浜に置くには少々歪とも思える岩。細かな波を受け潮の如何によっては海中に没してもおかしくないこの岩に葛を纏うが如くに配された笹。ここは何処だ? 鵬一対を外してしまっても満遍の奇景に、しばし混乱。ただし混乱の元は「この奇景」そのものに対してではなく、「こんなもの」を諸鳥に王たる鳳凰にその玉座(或いは寝所)として与える若冲の慧眼である。で、ここに現れるのは一対の色鮮やかな鳳凰若冲によって描かれた鳳凰は、簡単に言えば鶏・鶴・鷹・孔雀のいいとこ取りの様な色彩と形容。「空を羽ばたく」という共通の目的を持って毛流に沿うものの、甚だ不均等に配される羽毛。さながら蠢くが如き有様は、時に観る者に鳥肌立つような悪寒を与える。これこそが鳥のまさしく爬虫類の子孫たる証、皮膚か羽毛か(当然鳥の皮膚が露出しているわけないのだが)、定かならない鵬の表面よりその身より長き複数の尾羽が、身は岩に隠れて尾の先の鮮やかな尾羽のみ少し離れて顔を出しているお陰で、これまたまるで蠢く蛇のよう。変化自在に尾羽を払い、羽を広げるでもなく嘴も閉じたまま、視線定かならぬ畜生の面立ちが、却って魔性の妖艶を想像させる。さて、以上は「雌」の姿、その恐らくは雌の視線の有力な候補先である「雄」、羽を広げること露呈させる「蠢く素肌」の下には一転して極めて約束立てて並べられた羽毛。隠れた羽毛がこのよう整然で、大空を羽ばたくための機能性に富み、神聖さを容易に想像できる純白でない澱みの混じった白色なのは反則だ。日に向かい、今にも飛び立たんばかりに翼を羽ばたかせる雄には尾羽の先と嘴と鵬冠、要所が朱色。猛るかの如く嘴を開く姿はまさしく勇姿と呼ぶに相応しいものものの、その面立ちはやはり畜生、与えられたその座に加えここで悉くこの雌雄は神聖さを払拭される。それ故実際の生き物とするには恐ろしくリアリティに欠けるものの、鳳凰としてはこれほどリアリティに富んだ鳳凰はいない。その偽りのリアリティ故にこの鳳凰は瑞鳥ではない。それ故に何処か人外の空を普通に飛んでいそうなこの姿がこの上なく愛おしい。