その八十八 ふじみ野市富士見台 『慶珍地蔵尊』

sans-tetes2008-12-16

 上福岡の駅の、ごちゃごちゃした東口から出てまっすぐまっすぐまーっすぐ歩いていく。延々と続く並木道に沿って細長い公園。その向こうにいかにも「再開発でござい」という景色。その「再開発〜」に似合わず、沿道の並木は随分と枝葉生い茂り、植えられて結構な年数を得ている様子、そんなこんなで更に道を進む。並木は相変わらずにして周囲の景色はごく普通の住宅地に変わる。車だと不便だろうなぁという風に不自然に連続して半端な路地数を持つ交差点を過ぎ、右側に今度はほぼ真三角の公園、その公園の一つの頂点をお堂が占め、お堂の中に大きなお地蔵様が東を向いてでんと建つ。こんなに立派なお地蔵さんにもかかわらず、お堂の周囲木々で囲まれ、見る角度のよってはその威容は全く伺えない。が、見える角度に立つとその威容は十分すぎるほどよく解る。
 お地蔵様の立つ交差点を「慶珍塚」という。今は失われている地名で、お堂の傍らの由来を示す市教の看板によると、地蔵の由来・・・多くの地蔵がそうであるように現実に起きた悲惨な出来事を背景に享保年間に建てられたとのこと、またこの地が嘗て古戦場であったとの由来も記され、「慶珍塚」の塚とはこの地に嘗てあっておそらくは戦死者を弔った塚に由来するか。いずれにせよこの地にこの地蔵が建てられた背景に、この地が古来より一種の霊場として認識されていた事によるモノ間違いないと思われる。今はその景色にその名残を留めてはいないが、さっきからこの公園の周囲をエアケイタイで誰かと会話しているアレな人がぐるぐる回っているので、おそらくアレ電波の立つ本数の多さが名残といえば名残なのかも。
 さて、スタンダードに赤い頭巾と前掛けをお召しになるお地蔵様、お顔の彫りがあまり深くなく素朴感が漂いあまりに美男な仏様が時折醸し出す嫌み感が全くないのが凄く良い。そのためか、風雨による摩耗が大分お顔をすり減らし、少し表情を得難い。同じく風雨の浸食により剥がされた彩色の痕も所々うかがえる。更には、丁度真ん中付近で派手にブチ折れた痕、これだけ大きな(台座合わせて2メートル50くらい)石のお地蔵、また栄枯盛衰を経た証として耐えられない事もあったのでしょう。そして今、立派に修復され変わらぬ崇敬を集める様子には些かなりとも感動を覚えずにはおれない。現在でも、願掛けの額、小地蔵、千羽鶴、何より手作りテイスト溢れる無骨な地蔵堂に変わらぬ崇敬が偲ばれて嬉しい。
 そんなこんな、ここで私がほんの少し情緒を感じていると、後ろをまた別のアレな人が通り過ぎて行く。この場で何かを感じるという意味では彼と私は同じかも知れないが、彼に聞こえる声は残念ながら私には聞こえない。