『山の音』

 還暦過ぎた信吾(山村聡)と保子(長岡輝子)夫婦に同じ屋根の下、息子夫婦の修一(上原謙)と菊子(原節子)。鎌倉の山近く、静かな里に居を構える尾形家。経営する会社のいずれは跡取りとして期待する息子であるが、最近妙に嫁によそよそしい。美しく気立ての良い良くできた嫁を不憫に思い、信吾は殊の外目をかける。そんな中、かねてより夫との仲がうまくいかない娘の房子(中北千枝子)が孫を連れて帰ってくる。実家に帰ることが度々であることにも増して、幼い頃から修一ばかりを可愛がり、疎んじられた感のある房子は父信吾ともしっくりいかない。そんな中相変わらず菊子に冷たい修一の態度に、不憫に思う信吾はますます菊子を気にかける。いつしか微妙な空気の流れる尾形家、「あなたは女心を知らない」となじる保子の言葉の意味を知ってか知らずか、信吾は修一と菊子の関係改善に直接介入することを考える。実は修一は他の女に入れあげているのだ。
 父として、一家の長として「その義務」を忠実に負っているように見え、実はかなり身勝手な思い込みで周囲を動揺させる山村聡の役柄が、『トウキョウソナタ』で香川照之が演じた父親像になんだかダブる。日本の父親というモノが本質的に昔から変わるとこがないという裏返しか、とは言ってもついこないだ戦争を背負っていた、という違いからだろうか、山村聡演ずる父親の無意識に纏う威厳はさすが。そう、本作の最大の見所はこの山村聡が演ずる「威厳あるダメオヤジ」っぷり。夫に浮気されてる嫁をかわいそうに思っている風で、実は一番かわいそうに思っているのが「地位も名誉もあるのに、不細工な嫁さんと娘を持つオレ」なもんだから本当に救いようがない。その事が判ってくると、それまで普通に「仲良い理想的な嫁舅」に見えていた信吾の菊子に対する気の置きようが、とにかくやることなすこと意地悪な様子に見える。それでもあくまでも「息子の嫁」と言うスタンスを崩さない、下世話にいう所の「下心」が無いのが余計始末に悪い。嫁には真綿で生首を締めるような意地悪、女房と娘にはかなりストレートに意地悪、職場では秘書にやっぱり慇懃に意地悪・・・もう本当にこのじじいの「女心を知らない」意地悪っぷりを、あくまでも紳士的に威厳を保ち自然に演じる山村聡が見事で、その行動が一貫して意地悪だと判った時から可笑しくて仕様の無くなる。
 とは言っても、彼の発する意地悪に、晒された女性は皆口で反撃する。唯一反撃しなかった*1菊子が一番不幸になったことが、信吾に対する最大の報いになったわけで、彼の意地悪に気付いた時から半ば予想できたことだけど、要は完全にとばっちり受けた形の菊子さんはちょっと可愛そう。と言うか、彼女が不幸になることが、信吾に対しての最大限の反撃(彼女にその自覚はなかったとはいえ)なワケだけど、その彼女から最後にお礼を言われたことが信吾にとっては物凄く辛かっただろうな。信吾が一泡吹かされるところは彼の意地悪が始まった時から見たいと思っていたけど、この優しい一言程ひどくショックを受ける言葉は予想してなかったのでさすがに信吾が可愛そうになった。判っててなら一番意地悪は菊子? 私的には、信吾が修一の浮気相手の家にノコノコ出向いて、浮気相手の女性(角梨枝子)から「(菊子は流産したのに)子供が出来てる」「(修一とは)別れてるけど子供は産む」との衝撃告白を受けて、挙げ句の果て、信吾が「これは当面の」と財布から出したお金を受け取って「受け取り書きましょうか?」と皮肉を言った、辺りで止めてれば意地悪への反撃の程度としては丁度良かったけど。それにしても、清純そうな原節子と対局の雰囲気で登場した角梨枝子、彼女のキツめの凛としたに雰囲気にハッとするほど見とれた。どの位キレイだったかと言うと、もし私が「受け取り書きましょうか?」のダメ押しを言われれば間違いなく「もっと言って下さい」と頭を下げるくらい、キレイでした、とさ。

*1:或いは「出来なかった」もしくは「信吾自身意地悪している自覚がなかったのと同じように意地悪されてる自覚がなかった」