その九十五 市原市月崎 『不動明王堂』

sans-tetes2009-03-28

 久留里から東へ抜ける。緩やかな峠を抜ける、こぢんまりとした渓谷、手を伸ばせば届きそうな谷底が少しばかり広めの小川となって平地に出る。房総半島を東西に抜けると何処も例外なくこんな風景が続き、やがて海が現れる。海に行き当たるにはまだまだ遠いが、その代わりに?路肩へ向けて白地の看板赤く「←滝」の文字。その看板の先に、なんかの店の跡。通りがかりの客の足を何とか店へ向けようとの苦労の痕跡が、今や珍しいことではない、地方の衰退を静かに物語る。
 その代わりかどうか、「←」と反対側、道をはさんで向かい側に小さなお堂と「不動」の文字を抜いた赤いの幟。「←滝」の効力の失われて幾月、はためく幟に気付く、これが縁。
 小さいが、コンクリ造りで近い頃立て直した様子の小さなお堂は、道から少し坂を上った先に鎮座。参道の坂にはご丁寧に絨毯が、雨ざらしの当然の如く湿ったままに、お堂を大事にしよう意気込みのみ十分伝わる。金網の張られた木戸を隔てて、凄く手作りテイスト溢れる不動明王の石像がお出迎え。厳密には私は誰にも呼ばれているわけではないので「お出迎え」はおこがましい。なので、勝手に木戸を開けさせてもらう。鍵のないお堂の扉は地方の美徳。
 お不動様は背光の業火に煽られ、憤怒の表情。手に持つ法具の金ぴか加減を除けばお肌も衣も真っ赤。朱ではなく、ペンキで塗ったような乱暴な赤がキレイ。けど手作りテイストが可愛い。お供えは「呑」ワンカップ始め酒ばっか。こら赤くなる。せっかくなので、私も火を付ける。燈明と線香を一本ずつ、お不動様の肌の赤に磨きが掛かる。呑めない私はしばしば火に酔う。
 扉やお堂の軒下に、目につく天狗系の供物。「へのへのもへじ」調に一筆書きで天狗の顔の描かれた千社札が楽しい。どうも、ここに参る人も赤ら顔の御仁の多い様子。一応山の中、緩やかといっても峠は侮れず、火に酔った火照り顔を少し冷ましてからバイクに乗ることとする。ここで初めて「←滝」の意味がわかった。