『江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者』

 シネマヴェーラ渋谷の『緑魔子伝説』に行けないのが残念なので、以前観た後書きかのまんま放置していた石橋蓮司主演の映画の感想でも。

 親の遺産でもって働きもせず過ごす郷田(石橋蓮司)の楽しみは、住んでるアパートの屋根裏に入り込み、各部屋それぞれの住人の生活を覗き見ること。そこで繰り広げられる、本来なら住人以外知ることのない秘密の数々・・・。ある日、この様な場末には似つかわしくない上流階級風の婦人・美那子(宮下順子)がアパートの一室に入る。彼女がそこで繰り広げる「秘密」とは、道化に扮した下賤の男に自らの体を嬲らすこと。一目見て、その婦人の妖しい魅力に取り付かれた郷田、一方、屋根裏よりの視線に気付いている美那子も郷田の視線を意識するように。そんな中、いつものように行われる道化との情事の最中に美那子は道化を絞め殺す。妖しい笑みを浮かべた視線を天井の目に合わせながら・・・。
 江戸川乱歩の「屋根裏の散歩者」その他作品を合わせた内容。お金持ちの奥様として納まりながらも異常な性癖を持つ美那子、彼女に引き寄せられる男達の尽くはラストまでに死に至る。美那子「奥様」の魅力にとりつかれ、彼女への思慕、それがまた大変穿った感情・行動を伴いながら最後まで表情ほとんど変えない、まるで「世間一般に信じられた江戸川乱歩自身の持つイメージを体現した」ような石橋蓮司の演技はさすがと言うべきか。蜘蛛の巣だらけの闇の中、節穴から下界を覗き込む時の眼の周りだけに当たる光、夕日が差し掛かる女郎屋で「奥様・・・奥様・・・」と呟きながら道化の化粧をするシーン、白く道化の化粧をした彼の彼から上だけ光が当たり、その奥に同じく夕日を浴びる市松人形*1。このように本作、「郷田に当たる光」が印象に残る。
 「ああ、奥様・・・奥様・・・」のエピソードは本作でもう一つ。宮下順子扮する奥様に懸想する運転手の蛭田(織田俊彦)はその押さえられない欲情を特製の座椅子に身を沈め、シートを通して奥様の体に触れることで・・・、との『人間椅子』のエピソードの方にはちょっと切なくなりながらも、椅子の中で悶えながら執拗に「ああ、奥様、奥様・・・」を連発する声に結構ハマりそうに・・・*2。その異常なシチュエーションから無意味に読者の想像力ををかき立てる江戸川乱歩二つの名作を本作では贅沢にアレンジ、して更にもっとぐちゃぐちゃ「猟奇」のイメージを深くしようとする監督の意気込みが伝わる。思ったのは、原作で郷田に殺されるのはキザッたらしい歯科学生だったのが本作では口では敬神ぶって郷田に説教しながら影で同じネタで女中にイタズラしているオッサン(八代康二)という設定にした事は、まるで醜い者がその醜さのみを罪として死ぬのは当然、のような感じが気に入らない。同じように郷田の覗きの対象になっていたモデルにボディペインティングしてるレズっぽい絵描きの描写も、この「今からなんかするぞー」感を漂わせながら大して筋に絡まない中途半端もちょっと。
 けど、「郷田」と「奥様」が愛欲に従うままに織りなした数々の殺人という決して許されない行為への背徳感を、二人の更なる愛欲への糧とする中、いきなり発生した関東大震災によって二人の命もろとも全て瓦礫の下に、言うなれば「無かった事になってしまった」ラストの唐突さは笑える*3 *4。というわけで本作、明智小五郎は登場しない。

*1:このシーンで女郎部屋の外から聞こえる「おれは河原の 枯れすすき 同じお前も 枯れすすき どうせ二人は この世では 花の咲かない 枯れすすき・・・♪」は更に強烈な印象。その後、その悲しい歌声と自身の狂気をかき消そうとするかの如く女郎を抱こうとする石橋はつれなくあしらわれる。

*2:「あんなに薄い椅子に人間が入れるか」とか言うツッコミは無し。最後に蛭田が椅子の裂け目から手を出して死んでるシーンには笑った。

*3:「まるで地震が起きる事がわかってて犯罪を犯した」とか言うツッコミはナシで

*4:この最後のシーンにおいてこの二人の情事は何故か屋根裏で営まれる。ツッコミ所でもあるけど、場所の特性から彼らには一部しか光が当たらない。やはり「光」の使い方が凄く印象。これは彼らを「覗く者」が「映画を観ている観客だけ」となった事を確認させるかのよう