その百 鎌倉市坂ノ下 御霊神社内『御輿殿』

sans-tetes2009-05-02

 平安時代の武将にして鎌倉氏の祖、歌舞伎の世界に至り何でもござれのスーパーヒーローになった鎌倉権五郎景政が祭られている神社なのに、古来怨霊神を祭る典型的な神社名「御霊」の名を冠する事がどーしても理解できず、ひょっとして権五郎の死に際して後世御霊となるような知られざるエピソードがあるモノかと思い調べたところ、何の事はない、鎌倉権五郎を祖とする鎌倉平氏、鎌倉氏・梶原氏・長尾氏・村岡氏・大庭氏の五氏共通の祖神である権五郎が祭られているためで「五霊」が「御霊」になったという、ああなるほどだけど少し興ざめしてしまったお話はこの来訪と余り関係ない。
 ところでこの鎌倉の御霊神社、構内を江ノ電の線路が通り鳥居の目の前の踏み切りが定期的に下りたり上がったりとテツからカミまでありとあらゆる趣味層に垂涎の素晴らしい神社、そのお陰か、ここを訪れる家族連れ、子供の方が受けがよく、踏み切りと線路のガタゴト音に合わせてはしゃぎ回るお子様達の姿は時に多い。もっとも、必要以上の子供の活発さを恐れる引率の親御さんは、無限大に広がる子供の好奇心に関連するこれ以上の無秩序を恐れて適当にこの場を切り上げるのが殆ど、それに合わせて適当な間隔で静と動の間が訪れる境内の空気はせわしなくも感じる。平日普段は静かな事が多いのに。
 そんな現状を慮ってか、訪れる人に声を描けて境内のガイドを買って出る近所の人と思しき初老の男性を時々見かける。子供だけでなく大人にも楽しめるように、と思いきや、この男性が声を掛けるのは子連れでない女性に限り、何だそう言う事か、と当然の如く不細工な中年に声を掛ける余裕はない。仕方がないのでそこらをウロウロしている振りをしてこの男が何を解説しているのか耳を欹てる。別に耳を欹てなくても踏み切りさえ鳴らないでいてくれれば聞き耳を立てる事たいした労力ではないのだが。
 本殿を離れてその右側、摂末社が並ぶ中に扉を開け放しで中に二体の御輿が並ぶ建物がある。本殿の説明を終えてこの場所に来たジジイは前にも増して声を高めて喜々として解説を述べる。なんでもこの御輿、水陸両用に作られた御輿で、表面を塗装で仕上げず巣に木目の表れているのはその証、御輿の中心には重く巨大な石が仕込まれていて水中で浮かないようにするためだとの事。無骨で荒々しいイメージはモビルスーツで言うところのゴッグであろか。嘗ての祭礼では氏子中の若者達が半裸でこの御輿を担ぎ、由比ヶ浜を抜けて遙か沖合まで御輿を担いだまま泳ぎその後反転してこの地に帰って海神への感謝を表していたとの事。今では担ぎ手も減り、そのような異様を誇る祭礼も行われず、頑丈な御輿だけが虚しく納められていたのを、御輿の姿だけでも拝むべくこうして解放しているとの事。面白い話だがそんないい話はそんな限られたカテゴリーの性別の人にではなくもっと色んな人に話して聴かせた方が良いと思うぞ。ここが境内最後の解説の場なのでここでの解説を終えた野郎は次の解説者に声を掛けるべく本殿の方へと向かう。