不灯港

 なんだか色々な理由があって、結果的に渋谷で時間が空いてしまいせっかくだから観た映画。いつも拝見させていただくブログにも結構面白そうな感想書いてあったことだし、少なくともハズレは無いだろうと思って。

 えーっと、まずは「万造カッコイイ!」と主人公万造(小手伸也)に賛辞を送ることから、この映画への賞賛は始まると思う。というか全てか? では具体的に万造のどこが格好良い? 父から継いだ漁船「野郎丸」に乗りながら寡黙に漁師として励むところ? その寡黙の裏に「いつかは夫婦で水揚げしたい」との密かな憧れを抱いているところ?*1 いつでも使えるように「小道具」の赤いバラを常に部屋に飾っているところ? 豊富なボキャブラリーを含蓄しているところ? 全速力での疾走時は常に指先を伸ばして肘をほぼ直角に曲げていること? 騙されて買わされた服でも捨てるときは不燃ゴミと資源ゴミにきちんと分別すること? お裁縫が出来ちゃう事? 本来縁もゆかりもない子供のために財産擲つことが出来ること?*2 「ハンバーガーは片手で食べる*3」ところ?・・・ 何というか、全て無意識のうちに後手の端歩を打つような狂った定跡が万造の格好良さの源であり、常に悪手を指し続ける万造の敗北の原因であり、それでもあえて言わせてもらうならば、それら全てを含めて万造は格好よい!   そう、万造のやること、なすこと、そしてその口から飛び出すセリフは全てが格好良いのだ!
 彼の格好良さはたぶん、傍目には解りづらく、学生の時とかは大変だったんだろうなとか思って他人事でなくて身につまされる。そんな思ってたところだもんで美津子(宮本裕子)の登場はこれ以上のタイミングなく、万造のロマンチスト的な言葉を受け入れる彼女も相当にロマンチストだったのでしょうか? ただぼーっとしてるだけかも知れないけど、ここは万造並のロマンチストで都会からきたっぽくも少し奔放としておきましょう。
 「見ていないところでいつの間にか注文したチャーハンの頂上が砂にまみれていた」恐らく美津子が浮気することになるであろうサーファー(ダイアモンド☆ユカイ)が登場するシーン、この登場の仕方そのものはギャグを孕んだ笑いを取るための一シーンなのであるが、主に万造の「ロマンチストなセリフ」を中心に展開してきた笑いのツボとは明らかに異なる。残念ながら、恐らくは鑑賞者全ての人が映画の、万造と美津子のこの後の展開を容易に予想出来るような暗示を表すと共にまだ口を付けてもいないチャーハンの悲劇を味わう客の落ち度は「しっかりとチャーハンを見ていなかったこと」。美津子のような奔放な女性に対してのこの落ち度の防衛は当然の如くひどく逆効果な事であること当然で、ここで彼はどうすれば良かったのか? 結構世界が凝り固まってるロマンチストに解るワケはない。映画はこの時点より笑いを誘う場所が極端に減り、万造のロマンチスト的な言葉も虚しく、どちらかといえば悲しさを帯びてくる。
 「ロマンチストは長生きできねぇぞ」その言葉通り、万造ばりのロマンチストに、奔放さを付け足した美津子は己のロマンチストに忠実に、リアリストの漁師の発した言葉通りの最期を迎える。結果として彼女が万造の前に現れた理由は、次代にロマンチストの血筋を受け継ぐ器を用意したに過ぎないわけで、万造と美津子の繋がりが誰とも血の繋がらない「息子」まさおと万造との絆を深め、最後に万造・まさお両者が美津子の血肉を口にすることによってより観念的に二人の繋がりを濃くした事の象徴が赤魚の腹から出てきた魚の髪留めだったのか? ちょっと深読みしすぎの感も無いではないが、見かけ「漁師の女房」として納まっているように見えて、いつまで経ってもまともに魚を掴むこともできない異物感が抜けなかった美津子が最期はその魚の腹に収まってしまったわけだから皮肉といえば相当の皮肉で深読みしてみたくもなる。何れにせよ万造・まさおもこの出来事等による予定の変更が無ければ、晴れて「ハンバーガー屋デビュー」が行われるわけで、再会された万造のロマンチスト特有のセリフにより映画は再び笑いを軸とする世界に戻され、そして今後約束される「万造流ロマンチスト道」の一子相伝儀式はこれからも続くのであろう。想像するだに、可笑しいやら可哀想やら・・・。

 どういうことだ? 久しぶりに映画の感想なんだからもっと解りやすく説明しろ。

*1:公式サイト内「主人公・万造の全て(http://manzo-movie.jp/)」より

*2:これは本当に格好良い

*3:「その方がもう片方の手で小道具を使えるから」