その百十一 さいたま市大宮区桜木町 『庚申神社』


 遅々として進まない大宮駅西口の開発、グズグズしているうちにシャレにならない程景気が悪くなったが大丈夫だろうか? そんなことはさておき、一応は少しずつ進めてきた計画のおかげでそごうのすぐ裏からこの神社まで遮るモノが全くなくなり、ありがたいのやら悲しいのやら。
 庚申様を主祭神にする社は珍しいと思うが、嘗てはこの、今は見晴らしの良くなった先のむこう、大宮駅構内に奉られていた庚申さんで、駅拡張に当たって撤去の後事故相次いだ、駅長死んだ等のお約束云々あり、この地にちゃんとしたお社を建てた、と言う歴とした霊験を持つ庚申様なそうで。
 前記の通り周囲再開発で殆どが更地。以前は狭かったはずの鳥居前の道がいつの間にか無理矢理広く、その道の先、大通り手前のT字路のところに嘗てはおばあちゃんだけでやっている立ちそば屋があり、場所的に古き悪き大宮を知ると思しき労務者風の人々を中心に結構な繁盛。おばあちゃんのそばを茹でる手際の良さと言ったら恐ろしく見事、このように見かけ大変絵になるおそばやさんの唯一の欠点はそばが恐ろしく不味いということだった。このように素晴らしいお店も再開発の波に飲まれ今は昔の話しになりつつあります。
 境内、常駐の神主さんはおりませんが、住宅地近くの神社らしくあちこちに住民のつかず離れず感とそれに伴う微妙なユルさが溢れ嬉しい。由緒記す碑は当然の如く氏子の寄付によるモノ。本殿そばにはセルフで絵馬の販売箱、これも恐らく氏子さんの工夫。その下によく解らない謎の切り株あり、これも? も一つ、手製の縁台。コレがなかなか凝っていて、普通竹製が多い腰掛けの部分が全てジュースの空き缶で組んである。缶は全て200ml缶で、200ml缶全盛時の往年の銘柄、初代アンバサやメローイエロー等懐かしい顔ぶれに思わず遠い目。ああ、小さい頃こんなモンで育った我々世代は確実に早死にするな。
 都市部の神社の常、ここもやはり本殿の扉は堅く閉じられ入って拝むこと叶わない。ただしガラスのはめられた扉の枠から御簾・覆いの掛かっていないご神体は顕わに。庚申さんは「文字」でなく思いっきり偶像なので見物のし甲斐があり嬉しい。何となく厳しさを宿す尊顔、なるほど、疎かにすれば忽ちにして祟りを為しそうだ。