旧茨城交通茨城線の廃線跡を見に行く

 色々あって茨城県の旧桂村に行くことになったのですが、こう書くとまるでそれだけのために行ったように聞こえてオタクみたいでイヤなので、京成電鉄のマスコットキャラがわざとらしく可愛くないのが気にいらなかったので茨城の山奥手前まで来たことにする。

 現場に着いたらもう殆ど日も暮れかけていたので辺りをよく見る余裕もなく仕方なく以前来た事のある旧桂村、現城里町御前山、旧御前山駅手前のこの路線で一番有名な廃線跡だけで我慢。水路に架かっていた橋の橋台跡です。以前来た時はコンクリート製の橋台を除いて路盤の部分は殆ど草で覆われ、廃墟としての見栄えはなかなか良かったのですが、

今回約10年ぶりに訪れたこの場所は真夏にも関わらず築堤の草が一斉に刈り取られ路盤は露わになり、遠目で見ても明らかに廃線跡と解る様相に様変わりしていました。

 廃線跡の中でも水路に架かる橋の橋台が比較的良く残るのはただ単に場所的に使い道がないせいでしょう。このような橋台は大抵打ち捨てられたようにひっそりと存在している場合が多いのですが、現在この橋台跡は何らかの働き口を見つけたようで、しっかり刈り込まれた築堤は恐らくその証拠。その働き口の一環として橋台に至る築堤の旧赤塚側、道路と接する辺りになんかの古いコンテナが置かれています。倉庫の代わりなのでしょうか? 遠巻きに特殊な視点で贔屓目に見るとまるで今でも現役の路線上を貨物列車が通過しているように見えます。

 橋台は結構大きめ。その袂に立って光の加減を調整しながらこうして撮影すると谷底から空を眺めるような錯覚を覚えます。茨城線侮れません。


 上から見るとこうです。

 やはり高いです。築堤の形がはっきり窺えます。橋台の両脇は石垣で固められ立派な印象。ただし、築堤と路盤そのものの地盤は大変脆く、その上を歩くと踏む場所のよっては足がめり込み時々キケン。鉄道という交通手段が見えないところで常にメンテナンスを必要としなければいけないという事実を示す、廃止後40年の重みです。ちなみに橋台の手前には立ち入り禁止の柵の跡がありますが私のようなバカがバンバン進入していったせいか柵の用は為していません。

 旧御前山駅方面。路盤跡はしばらく続いた先で草ボウボウの空き地でぶっつり断ち切られています。周囲は田んぼ。築堤の草が刈られた理由は恐らくこの田んぼのおかげでしょう。執拗に鳥避け目玉やCDがぶら下がっています。鳥避けにはあまり役に立たなくなった空気の抜けた目玉は大変不気味で人避けになりそうな雰囲気です。

 橋台には何らかの用途の竹竿が渡してあります。

角度によって贔屓目に見えれば線路に見えなくもありません。その竹竿から何本かの紐がぶら下がっていて紐の先、水路の水面ギリギリに悉く石が括り付けてあって、竹竿を安定させているモノなのかそれとも何か私が知らない用途の最中なのかよく解りません。

 水路は澱んでいます。廃線跡先で置き石に堰き止められているせいです。その置き石の中にカボチャが混ざっていました。

 なんのこっちゃさっぱり解らず遠くを見るとちょっと大きいんではないかい?目玉がふらふらしながら睨んでるのを潮時としましょう。

 冒頭書きましたように日が暮れたので他の廃線跡は残念ながら見ることができませんでした。茨城県北部にはかつて流罪明けの親鸞上人が滞在したことがあり、新たな境地を開いたこの時期を真宗では「開宗」の時期に当てる解釈があるようで、それにちなんだ史跡が茨城各地に残っています。上人自身が浄土真宗開宗を宣言しなかったことから、各地で各々が「うちが」と名乗って乱立する開宗の地を比べて、やはり地域の予算と声の大きさが顕彰の大きさの違いだと見比べてみることも面白いのですが、いずれにせよ残念です。稲穂が重そうでもうすぐ刈り入れです。