その百十五 新宿区新宿6丁目 『大聖院 不動堂』


 ふらふらと歌舞伎町を過ぎて、いつの間にか辺り、中途半端な地上げ後バブル大弾けその後用途に困った空き地がボコボコ現れてその合間に住宅地。学校が現れた時点で大分生活感が漂い、後は孫連れで散歩しているおじいさんの後でも付いていけば神社の1つや2つ現れるだろうと踏んでいると案の定、登場した長い階段はとある神社の裏参道。都市部にしては長い長い階段、その周囲には富士講の登山記念碑が多数存在、階段は丁度真ん中当たりで巨大な杉の脇を抜ける。ここらで前を歩くおじいさんお孫付きを抜く。おかげでお目当ては見つかったぜ。もうあんたらは用済みだ。後は時間の許す限り散歩を楽しんで家族の良い思い出を存分に作りな! 
 近くの小学校の名前を冠するようにこの神社、天神様を奉るお社、その名も「西向天神」。名の如く本殿の向きは西に向かう。高台の上で西を向くとその先には何があるか。答え、新宿副都心の街並み。よく見える。この日はの訪問は陽が傾く頃だったおかげで強い西日と、目の前のマンションのおかげで多少は割り引かなければいけなかったものの、このお社を西向きにしたかった理由はよくわかる。昔は内藤新宿の宿場、その向こうの大久保落合中野一帯の田畑に武蔵野、さらにはその先甲斐の山地、遙かに富士のお山まで一望出来たのでしょう。
 先ほどの孫連れを追い抜いて昇ってきたのは神社の裏の道、本参道は本殿の正面、社同様西側から階段を上って来る。大勢とまでいかないまでも気付いたらそこそこの数の参拝者が都心近くの結構な角度の階段を上ってお参りに来る。多くの好ましげなシチュエーションから千社札を収めさせて頂くに十分に敬いたいお社だが、今回はこの神社の方ではなくお隣、方位で言うと神社の北側に控えるお寺の方。神社の社とお寺のお堂の間に竹柵で囲われた石像の不動明王像がおわし奉り、大好きな偶像に釣られて歩くとその先のお堂に気付く。釣られた御縁にこちらに参ろう。
 ここで問題。東京都心で、目立つ、雰囲気の好ましげな寺社にほぼ100%付いて回るのは何でしょう? そうです、武生札です。ここんとこ都心は巡ってなかったので、見るのは久方ぶり。何時何所で見てもこの図々しい存在感はこの場所でも十分健在です。当然、西向神社の方の本殿・手水場もばっちり制覇。どうもこの地を訪れた武生は大きめの札しか持ち合わせが無かったモノらしく、手水場の梁は札より明らかに細いのに大きさ無視のはみ出し上等でべったり貼り付け。はみ出している所を引っ張れば武生札、外れそうだ。こういう所がまさに武生、貼れるところは何所でも貼っとけ、武生の気概です。よう知らんけど。
 石像の不動明王さんの先にあるお堂も不動明王を納めるお堂のようです。ただしここはやはり都心のお堂、ならず者の侵入するのを防ぐべくお堂の扉は堅く閉じられ不動像はおろか中の様子も良く窺えない。これは仕方ないのですね。とは言うものの石像不動の格好良さからお堂の不動はどんなに格好良いことかとお姿に執着するのは仕方のないことで、扉にしがみついて何とか中をうかがおうとするが他の参拝客が来たので自制する。
 お堂の裏に謎の墓。太田道灌の山吹伝説で登場する女性、紅雪は晩年この地で尼となって暮らし、その墓とのこと。伝説上の人物の墓の信憑性はさておいて、実際に古い墓石とその周囲の供養塔他はこの伝説がいつ頃から広がったのかを知る貴重な資料となっているとのこと。供えられたばかりなのか手入れがよいのか、鮮やかさを保ったままの供物のお花の白い花弁がぱらぱらと墓前に散っていた。