「`文化`としての展」於目黒区美術館

 今年は春に長崎の軍艦島を訪問して炭鉱への造形を深めたり北海道行った時も炭鉱跡を探して山の中を当て所もなく彷徨ったり阿佐ヶ谷くんだりまで出向いて行って武智鉄二の本番映画に感心したりと例年になく穴掘りへの造詣を深めたと我ながら思いますので、師走も半ば過ぎ新年への足音が聞こえる中、目黒区美術館で行われている当展覧会に行ってみようと思います。と言うのは建前で、本当は先頃ポレポレ東中野で行われた炭鉱特集映画祭で当展覧会のチケットを頂いたので友人のid:highma氏を誘って行ってみました。

 炭坑に関連して制作された絵画、写真、彫刻その他主に視覚的表現物を、「思想的意義」から切り離して「芸術的意義」から捉え鑑賞しようと言うのが今回のコンセプト。ただし、多くの表現物が元々、特に左派的思想によるプロパガンダとしての意味合いを強く含んで制作されているため、その「思想」と完全に切り離すことはどだい不可能。そのためか、特に「エネルギー転換政策による国内炭生産の縮小」時、特に現場の労働者達を支援する運動を繰り広げた炭労・総評によるプロパガンダポスターが開き直って展示されているのにウケる。私も同行者も*1この手のプロパガンダ表現が大好きなので。特に「そのプロパガンダが結果何の意味も成さなかった」という悲しい一点に置いて、これ程面白いポスターはない。プロパガンダの化け物、ヨーゼフ・ゲッベルスが指摘した通り、「感情と勢いに任せたプロパガンダは初期に知的程度の低い大衆の目を引く効果はあるが、知的程度の高い層や長期的な支持を得ることは出来ない」の言葉通り、このポスターじゃ笑い話がせいぜいと言った所*2。なんか自称左派を名乗る人たちの潜在的な上から目線が投影されているようで感心した。ちなみに私がもっともツボにはまったのは「萌えキャラ化した石炭」だった。本当のことなのでどうかいつものように穿った見方で、「またオマエは文句言いに来て」と責めないで欲しい。
 展覧会中、一番スペースを割き一番の見所としていたのは元炭鉱労働者の山本作兵衛氏による絵画・・・解説にもあるとおり技術的には稚拙ながらも、父の代から炭鉱労働者として生活してきた「炭坑(ヤマ)」独特の風俗を描いた絵の数々は本当に面白い。私は何度か観る機会があったのですが、東京でこれだけ勢揃い、お披露目するのは初の試みと言うこと。特に目を見張るのが、今では信じられない労働現場の過酷な状況。意外に女性抗夫が多いこと、事故の際の悲惨な状況、事故にまつわる妖狐の暗躍等・・・抗夫というのは本当にステゴロだったんですね。とりあえず食うには困ることのない稼業ということで全国から有象無象の労働者が集まってきて*3中にはやたら元気の良い連中・・・時代遅れの彫り物*4したり、争議で電柱の上から次々にダイナマイトをぶん投げたりと*5、平仮名で「りんち」と書かれた折檻などなど・・・まあ、激しい現場だったんでしょうな。国内炭坑が今でも現役だとすると、職にあぶれた今時の若者達はコンビニ店員より先にまずこのような過酷な艦橋の中で働かなければ生きていけないかもしれなかったワケで、その意味で他人事でない気持ちは強く感じる。なんか、そんなとこばっかりあげつらってますが、この人の絵は大変面白いので田川市とか訪れて興味のある方は是非に。
 図録が売り切れで後で制作者の名前を調べようとした目論見見事に外れる。よって、山本氏以外の作者は覚えていない。絵画とかは「人民裁判」とか云う題名には受けたけど殆どそんなに心には残らず、スイマセン。絵画の中で心に残るのは大夕張等今は無くなってしまった炭坑街の嘗ての姿を心象風景を交えて、或いはほぼ正確に思い起こして描く時々地図のような風景画が心に残る。つくづく私に鑑賞眼は欠落。
 写真のコーナーも大変心に残ったのですが、作者は皆忘れる*6山本作兵衛しの描く抗夫がユーモアに溢れていたのに対して、写真に登場する抗夫達はもうそのものリアリズム。笑えない。けど悲しくはない。私が想像することの出来ない場所で生きている、感には素直に感動します。変わり所として「炭坑の女だったおばあちゃん」を撮したポートレート風の一連の作品*7、付属するおばあちゃんが語る過酷な人生は感心なんて言葉が失礼に当たるほどの衝撃を受ける。
 衝撃と云えば端島(軍艦島)。出ました。一連の写真に続き、私は知らなかったのですが、嘗て公共広告として放送された軍艦島の栄枯盛衰を映してエネルギーへの危機感を煽るCM*8 *9がちょっとショックだった。「利用されてるよ・・・」。
 炭坑・・・人が生活の場として営んだ場所はそれだけで文化が生じると言ってヨイのでしょうか。少なくとも現在の所、日本で国内の炭坑が復活する可能性はないので、文化として残していくことの意義はあるとは思いますが。一代、或いは二代前程度のルーツが炭坑だったという人、結構いるんですよね。 








 お写真は、美術館の帰りに通った高輪橋梁下の通路。腰をかがめなければ通れない、坑道とシンクロしたので、オマケ。

*1:たぶん

*2:もちろんその「笑い話」がヨイのですが

*3:山本氏の父は筑豊地域の渡し船の船頭で、鉄道が出来て食えなくなって抗夫になったそうな

*4:流行があったがすぐ廃れて大きな顔できなくなったとか笑える

*5:同行の友人に馬鹿ウケ

*6:名前はわかりますよ。木村伊兵衛とか土門拳とか。けど有名な作品を除いて名前が一致せん

*7:例によって作者は失念

*8:紛う方無き、政府系プロパガンダ

*9:同行の友人は憶えているそうな。さすが