その百三十四 ふじみ野市上福岡 『八雲神社』


 上福岡の駅前、古くから市街地化していた北口は、「整理」という面から見るとヒドイ部類に入る。区画整理がされておらず無秩序に広がった市街地そのままの狭い駅前、申し訳程度の駅前ロータリーは小さすぎて路線バスはおろかマイクロバスさえ回る事が出来るかどうか。そのロータリーの中心には道との境目がはっきりしない店舗、当然の事ながらツブれてシャッター下ろしっぱなしになって久しい。この店舗物件と上福岡駅舎に挟まれた部分は両建物の影が重なり冬ともなろうモノならその間に張ってしまった氷も一日溶けない。現在は大分マシになったモノのこの狭いロータリー内、かつては駅前のパチ屋客の放置自転車によって更に狭められれその間を歩行者がわらわらと歩く。つまり、東上線上福岡駅北口は埼玉県内にあってまるで板橋区内にあるかのような駅前の様相を見せてくれる。要は「好ましい」と言うヤツである。但し同じ上福岡駅でも南口はいただけない。北口に比べて後発で出来た南口は北口のカオスを鑑みきちんと区画を整え商業地・住宅地を配した模範的郊外駅前の景色。要は「面白くない」と言うヤツである。もっとも上福岡駅前の整然さが見せかけのみで南口から少し奧へ向かうと迷路のような道路に迷い込む様来た具方面と何ら変わる事はないし、なにより東武東上線の路線を境に色を着けたように打って変わる駅前景色の全く調和の取れていない様子そのものが市域にない駅の名前を勝手に市名に採用してしまうこの市の計画性の全く欠如した無責任さという色を的確に表しているようで好ましい。
 北口を少し過ぎて駅前通から少し横にそれた道を入ったところに八雲神社はある。鳥居前に「上福岡鎮守」を掲げる神社の回り、「八雲通り」と神社の名を冠す商店街で、目に入るのは主に飲食店、他に品揃えの恐ろしく良いオフィス専門の文具屋・100均・有料駐輪場・何故か老人ホーム・・・とこの狭い範囲一つ取ってもこの市の持つ色が極端に凝縮された様子が窺える。全く一貫性のない通りの店舗は夜、各店が終わりシャッターが閉じることでそのシャッターに描かれた「『八雲通り』の文字」と「鳥居」やら「半被着て祭りの様相を表すような若い衆」「招き猫」等、なんとなく神社に関連ありそうなイラストによってやっとそのコンセプトを統一する。つまり、この通りが真の姿を表すのは真夜中から早朝にかけて、通る人の最も限られた時間帯であり、この光景を目にするのは多くは朝の通勤・通学途上の人々、地元民・もしくはこの地を勤務地とする人々が圧倒的に多く、その意味でこれ程地域に密着した通りはない。その中心にある「八雲神社」、なるほど「上福岡鎮守」の文字に偽りはない。
 こういった周囲の風情から呼びもしないモノ達が勝手に入ってくるのだろう。神社の鳥居の前には黄色に塗られた車止め、ペンキの剥げはなおの受難を物語っている。鳥居の奧は先の車止めが殆ど意味をなさないモノであること証明するかのように小さな駐輪場、誰のための便を図ってのモノかどうかは判らない。めげずに進んだ参道の先はほんの少しであるが木々に覆われる。これでも境内の外からの喧噪を避けるには十分の木々、ここに来て急に外界と遮断・隔絶するかのような雰囲気はさすがである。木々に覆われて大きい社と小さい社が一つずつ。大きい方はもちろんこの神社の本社で小さい方の摂末社には恵比寿さんを奉っている。摂末社の恵比寿さん、社の額は恵比寿さんお面付き。小さい頃はこの「いつでも笑っている」「目が笑っているか定かでない」恵比寿さんの像が怖く苦手だった。恵比寿限らず「いつでも笑っている」「目が笑っているのが定かでない」コトの意味が判るそんな自分が今は苦手だ。すぐ裏は金網越しに裏の通り。一応こちらの通りも「八雲通り」というがこちら側の通りにある店舗は「シャッター全て神社関連」に統一されていない。統一していないのはパチンコ屋の店舗に限るため、まるで信仰に寛容でないコトを公表しているようだ。以前はこの金網の一部に付けられた扉を通じ、神社を介して表と裏の「八雲通り」を行き来できたらしいが、今は扉を開けることが出来ないようになり行き来は出来ない。その理由は鳥居前の車止めと似た理由ではないかと推察できる。ところで「裏」の方の八雲通りには更にその向こうにある西友の専用駐輪場が面していて、そこに物凄くヤサグレた感のネコが一匹、時々現れる。彼は人に絶対なつかない。お気に入りの場所はツブれた喫茶店の屋根の上やツブれたコンビニの空調の室外機のウエ。秘かに思う、両八雲通りの行き来が出来なくなって表側の八雲通りに帰れなくなったためこのネコ、面相に現れるくらいやさぐれたんだと。
 拝殿・本殿兼ねる大きい方の社には窓らしい窓がない。賽銭を投げ入れるための小さい穴のみが外界と通じる唯一の口の回り、白いペンキで塗りたくられていてこれがまた外界との隔絶を深めている印象を与える。「八雲」から連想される祭神、牛頭天王もしくはスサノオノミコトの気配は全く感じられない。神社周囲、計画性のない無軌道な外界となるべく隔絶させようとしているかの如き神社の造りだが、一方で寄進額に書かれた多くの名前、寄進物に書かれた名前は比較的新しく、この神社の造りが他ならぬ寄進者・・・書かれた住所から察するに多く周囲の商店を含む、即ちあの無軌道な街作りに一役買っている人々が多くこの社の造りを支持している。秘かに思う。楽しい。