ジョジョの奇妙な藤田まこと

※追悼文でも何でもありませんので悪しからず 
 高校の頃に所属していた部活、「文化系ではないけど体をあまり動かさないので体育系でもない」競技を行うところで、一応微妙な技術のバランスを必要とすることもあり、入部してすぐに出来ると云うことでもなく、新入生の下っ端連中は先輩の技能を見て学ぶために部活動中の半分くらいは雑用とただ立ちっぱなしでいることに時間を割いていた。「見て技術を盗め」というコトなのだろうがそこは体育系でもない部活のこと、後輩・下級生のシメは非常にユルくやるべき雑用さえやっていれば、その「立ち」中は多少の雑談等は放任状態だった。
 その頃、週刊少年ジャンプで連載していた『ジョジョの奇妙な冒険』ではちょー悪趣味(さが大好きだった)な第二部終了し、第三部が開始、今までの主人公達の主な武器が「波紋」という概念から新たに登場した「スタンド(幽波紋)」と云う概念に置き換わり、心機一転その斬新さと相変わらずの狂ったセリフとファッションとが巷の青少年の心を鷲掴みにしつつある、そんな頃で、当然の如く我が部の下っ端共のヒーローはその所属する部の名前を冠する競技の技術に優れていることではなく、どれだけ『ジョジョ』中のセリフを覚えているか、且つそのセリフを日常生活においてどれだけ応用して吐き出せるかと云うことだった。そして件の「立ちっぱなし」の時間に行われる下っ端共の会話と云えば「ジョジョのお話し」ともう一つ「テツネタのお話し」位になるほど「ジョジョ」は我々に深く浸透していたのだった。ちなみにここで突然出てきた「テツオタのお話し」について説明させていただくと、これは文字通りの意味であるが、当時我が部の下級生共、何故かテツオタ率が異様に高く、そして当時は社会で今ほどテツオタが市民権を有していない世の中でありそんな世の中でテツオタ共が自身の信仰を告白するコトはネロ帝治下のキリスト教徒が地下のカタコンベで秘かに集会を開くのと同じくらいの後ろめたさがあり、本来なら表に現れないこれらの信仰も夏休み前に学校最寄りの駅みどりの窓口で「青春18きっぷ」を買う部員が大量に発見されて以来公然の事実となってしまったため、もはや隠し通すよりは一人でも多くの仲間を得てその後ろめたさをより多く共有、引いては全ての部員をテツオタとして少なくとも部活動の間だけでも後ろめたさとは無縁の時間を送ろうとの野望を胸に結成された派閥で、まずは部内最大派閥の「ジョジョ派」を取り込むことで一気に勢力図を塗り替えようと、だが主張を入れる者達は少なく結果互いにオタク呼ばわりして鋭く対立するのがこの「立ち」時間の習わしであった。そんな中、両方に多少の造詣のある私は、籍はテツ派に置きながらもジョジョ派の連中とも有意義な議論を交わすこと度々で、テツ側からはスパイやオルグの任を以て期待されながら、心の中では秘かに当時は過去のモノとして話題に上ることの無かった『北斗の拳』を流行らせようと両派閥共に『北斗の拳』に鞍替えして世に『北斗の拳』を復活させる橋頭堡とせん、心中期すところのある生徒だった*1
 そんな中「ジョジョ派」では、そのセリフ語りの発展系と言える「スタンドごっこ」と言うべき遊びが流行りだすこととなった。要は行動や言動で「スタンドを出したふり」をして互いに戦闘をするという、今思い返してもどんなに大目に見ても高校生とは思えない遊びであるが、ともかく、想像上で「スター・プラチナ」とか「シルバー・チャリオッツ」とかそんなマンガ上の設定でお互いにぶつけ合うという、確かそんな感じな遊びに時間が費やされるようになった。もっと詳しいルールがあったような気がするが覚えていない。
 その内その遊びは更に発展、遂には「オリジナル」の「スタンド」が登場する事態となる。つまり「スタンド」の名前と「能力」を設定、それを得るにはそれぞれの「スタンド」を考えた二者の内「部の競技*2」を競って勝った方が「自身の設定を得る」コトが出来るというモノ、だった確か。初めはジャンケンかなんかで決めていたので部活動としては大分健全(マシ)なので、この期に及んでも先輩からは黙認されていたと思う。そして遂にある問題のスタンドが誕生した。その名は「藤田まこと」、スタンド能力は「中村主水」。
 このスタンドの獲得者はジョジョ派の中堅としての実力だけでなくテツとしてもその知識と行動力を轟かすツワモノ(仮に「T」としておく)で、そんな彼がこのスタンド能力を獲得したのはある意味必然と言えよう。このスタンド名「藤田まこと」、どのような能力かというと、「『ズギューン!』という効果音と共に」「『必殺仕置き人』の登場人物である『中村主水』に扮した藤田まことが登場」し、「暗い場所で(ココ重要!)隙を見せた敵」或いは「スタンド自らが敵が注意を逸らすよう仕向け」て「刀か槍で刺す」というモノである。

 つまり例を挙げるとこういうコトである。
 (部の競技場の裏側とか、普段影になっていて日の当たらない場所に敵が現れる)
 (予め発動させたいるTのスタンド「藤田まこと」がさも偶然通りかかったかの如く現れる)
 藤田まこと「おおこれは〜(注、「敵」の名前大抵「御奉行」とか「御同役」とかが入る)。こんなところでどうされましたか?」
 敵「おおこれは主水か、おぬしこそこんなところで。まあ良い、実はそこで〜なことがあってな」
 藤田まこと「ところで〜、あれは?(と遠くの方を指差す)」
 敵「ん? なんじゃ?(と指された方を見る)」
 藤田まこと(おもむろに刀を抜き敵の脇腹へ突き刺す)「グサッ!」
 敵「ぐわっ! おのれ主水・・・(倒れる)」

 大体このパターンが多かった。何故かと云うとTが「好きだから」なのだそうだ。時々私に藤田まこと役をやらせてT自身がやられやくを買って出ていた。それほど好きなのだそうだ。

 その当時からテレビをあんまり見ない世事に疎い少年だった私が、Tから場面の説明を聞いて瞬時にこのシーンが思い浮かんだのだからこのインパクトは凄かったのだろう。その後、多少なりとも映画を観るようになって、スクリーンに藤田まことさんの姿を時々拝見することになったワケですが、当初クレイジーキャッツのとかの映画に出ていた頃の姿と重厚な演技で鳴らすその後の姿とが当たり前のコトながら全く繋がらず、結果印象とはならず、やはり私の役者藤田まことさんのイメージはこんなヒドイ体験に基づいたイメージ、と言ったら凄く失礼に当たらないだろうか? 一方で「『印象に残る役者』というのは、やはりそれを見た人の個人的体験が寄生するコトでその印象がより重複されて、『印象に残る役者』となるのかな?」と乱暴なコトを思ったりします。

 ご冥福を祈って合掌。 

*1:結局失敗した

*2:本来ならこっちが部活に出ている目的ね