拾遺 別府市北浜町 別府タワー内『別府タワー神社』

 世の中なにやら「東京スカイツリー」の売り出しに躍起らしい。東京スカイツリーとは所謂第2東京タワーのことで、まだまだ土台部分がやっと登場しつつあり、その足下に広がる半下町のノスタルジーに満ちたと言おうかはたまた東武・京成両電鉄に裏切られた元私鉄ターミナル街の惨状と言おうか、天上と地上との落差と今後への期待に胸躍らせた訪問からもう一年近く経っている*1、月日の経つのは早いモノである。
 と、世を挙げて盛り上げる気運の高いタワーにあやかって私も行ってきました、「別府タワー」。とか書くといかにも敢えて世を拗ねている振りをしているように見えるので冒頭にそういう文句は言わない。

 別府と言えば温泉です。別府という街を訪れようが訪れまいが「別府=温泉」という、図式は瞬時に成り立つ公式のようです。近くに住んでいても遠くに住んでいても「別府=温泉」というイメージは古来より日本人の心に染みつき殆ど「事実」と言っても過言ではないのかと。ところで、昔は旅人が遙々遠くにやってきた証しにと親しい人達に手紙を送って現在の消息を知らせることが、電信・WEBの発達していない頃の当然の風習だったとのこと。消息に多く用いられるのは滞在中の観光地に因んだ絵葉書が多く、消息と共に葉書に描かれた名所・旧跡の様子から今いる場所の雰囲気を遠くの縁者にも伝えようという、そして遠くその地思いを馳せた縁者には間接的に当地の宣伝となるご当地の絵葉書は、当時観光地毎に相当の数が作られたらしい。「らしい」というのは実際に調べたワケでなく、かつてブログ主が「何もしていなかった」自分、ヒマに任せて古本屋に山積みにされた古絵葉書を漁りまくった上に一枚を購入しないという実体験に基づいた主観であり、この点についての抗議苦情は申し受けかねるので悪しからず。
 戦前から一大観光地として皇国と言われた本邦に名を轟かせる別府にちなんだ絵葉書はそれこそ膨大な数に及び、その描かれている名所旧跡も硫黄の香り伝える湯煙そのものから別府湾の絶景、今にも残る「地獄」の風景、近辺の神社仏閣と温泉に関係ありそうであろうが無さそうであろうがありとあらゆるモノを網羅してる、それが今や国内はおろか東アジア各地からも観光客を呼び込む国際観光地の勢いさえ見せている別府という街も原点はこのようなやたらめっぽうの宣伝からとでも言いましょうか。
 そんな多岐に渡る「別府関連絵葉書」の中で、私が特に目を引いた絵葉書が種類として3種あります。その3種とは「別府大仏」「鬼の骨」「別府タワー」の3つです。調べるまでもなく、この3種の「別府名物」は同じ別府の中とはいえ場所も年代も全く異なり「別府にある」ということだけを共通項とする三者で、戦前に消滅したと言われる「八幡地獄」に飾られていたという「鬼の骨」と戦後に建てられた「別府タワー」は本来世代的にカスリもしない名物のはずで、そんな三者はそのいずれもモノクロカラーで絵葉書に印刷され、三者共に別々の絵葉書に描かれた古写真であったとは言え、「観光地・別府」の怪しいイメージを強烈に刷り込むには十分過ぎるほどのインパクトを当時の無為の徒に与えてくれたモノでした。
 この中で「別府大仏」と呼ばれるモノについては私の中で比較的その去就が知られていた名物の一つで、「人の遺骨を体に塗り込めた」「コンクリート製」「昭和の末期に撤去された」との情報は這うかがい知っていたモノの、その情報の出所が何処であったのかは今はもう覚えていない。覚えているのは「別府大仏」とのみ記されその由来等について何ら説明書きの存在しない絵葉書に描かれた大仏の姿はやたら大きかった印象が強いこと、描かれた大仏の背景・周囲が恐ろしく空虚な荒野や空であるかのような錯覚を抱き、この大仏のある場所は別府市内でも人のいないところと勝手に想像していたことである。
 もう一つ名物「鬼の骨」。これは全くなんのコトやらワカラナイ。なんだか頭に角を生やした人様の骨格が土塀だか板塀だか薄汚れた壁を背景に晒し物の如く細い人型に括り付けられているという、温泉街の持つ怪しさそのものような、といってもこんなん身内が「元気」の消息と共に送ってこようモノなら対処の方法に困るといったシロモノの絵葉書だった。今この「鬼」が何処ぞで現存するのかどうかは全く知らない。
 そして3番手「別府タワー」。先の二者が「骨」そのものであったり「骨」を暗示する生い立ちに彩られているお陰で、古書店の古絵葉書の山の中、恐らく偶然この二者の近くに無造作に置かれていたことと、昭和30年代以降の絵葉書にもかかわらず何故かカラーでなくモノクロ印刷で別府市街にその偉容を誇っている姿が描かれているというこの2点をとあるヒマ人に発見されたという事実をもってして、哀れ別府タワーは「骨」に関連付けられてしまうと言う大誤解を受けることとなり、さすがにその偏見から解かれた今も、さるブログ主は未だにこの「別府タワー」という建物を怪しい色眼鏡をかけてみること未だにぬぐい去ることの出来ない理由は、嘗て「京都タワー」「通天閣」「東京タワー」と、大観光地にある「タワー」に類するような建物がその全てにおいて夜は輝かしいネオンを、夜は怪しい彩りを、観光客に向けて発していた事実と無縁ではないと思われる。

 午前5時過ぎ、九州上陸。別府港から、フェリー乗り場真ん前を走る国道10号線に沿って南下、右手に別府の市街地が見えてきた頃、左手、海側に別府タワーも登場する。国道10号線を南下すると海側、別府タワーより先に見えるのは的ヶ浜公園という海に面した公園なのだが、例の如く公園のネコ目的とぼんやりと明るくなりつつある東の空を望みながら別府タワーと初対面すればなかなかオツだろうと思いながら公園に進入すると、ネコはおらず代わりにそこそこの数のホームレス。この事態、ちょっと予想はしてはいなかったので少し緊張するが、別にトラブルが起きたわけではない。冷静に考えると、朝の6時から開いている100円で入湯可能な公衆浴場があちこちある別府の町は、例えばお肌が弱くて定期的にお風呂に入らなければいけない人がホームレスにやつしてしまった際に腰を落ち着ける有力な候補地なのではないかと。その時のために私もちょっと候補に入れておこう。一番の問題は日銭を得るのが大変そうだと云うことだが。
 
 そんな公園から望む、別府タワー。この時刻、期待していた安っぽさ全開の昭和的広告の明かりを灯してはいないためその姿形、はっきりとはしない。

 公園出ると街灯の明かりが上の方をぼんやりと遮り、ますます姿形詳らかならず。タワーの周囲は多く温泉旅館、まだ暗く当然の如くタワーも開園していない、そのためタワーの入り口がどこか判らず、勝手にタワーの南側が入り口だと思い込み、その割りにはそれらしき構造物の全く見えず、ただ道路の先のどん突きが海なんだと変なことに感心する。たぶん街灯の光より力のない海の朝焼けの頼りなさが面白かったせいだろう。

 この日天気の良いことは予想されたので、別府タワーに上って別府の町を眺めることになんら躊躇する理由はなく、ただし入り口が何処か判らなかった関係で何時に戻ってくればよいかも判らなかったのでまだ暗い内から別府の街を歩き回ったり、100円入湯可能な風呂に入ったりすることにする。

 写真は駅前通り沿いに健在の映画館。駅前に「温泉」と「映画館」が健在と云うことは、考えてみればこのご時世スゴイ事で、本来なら別府タワーと共に顕彰しなければならないと思うのだが。こんな映画館で邦画を鑑賞したいと思ったが、余裕のないスケジュールに縛られた旅程の中では叶わぬ願いだった。腰を据えた湯治では、浴衣に下駄で映画館。これは松竹映画に習わずとも日本の文化。是非残そう。

 本来まだ用はないのだが、まだ明け方は寒かったし屋根のあるということで自然に吸い寄せられた別府駅。始電待ちの客とか、ホームレスっぽい人とか、頭がおかしいのかコヨリでもって構内のベンチの節穴をひたすら掃除していたお兄さんとか、早朝にもかかわらず強い個性に富んだ顔ぶれを前にして、既に開いていた緑の窓口で切符を買うと駅前の「手湯」で手を暖めていくこともそこそこに、再び街へ。
  途中どうやってヒマを潰したのかは端折りますが、

日も出てきて、いよいよその威容明らかになる塔を遙かに迎えてその足元まで向かうことにします。

 タワーは鉄塔単独ではなく下部構造のビルの上に乗っかる形の構造で、そのため遠目からは下部のビルが見えず上部の鉄塔が目立ち、近づけばビルを下駄にしているまた違った印象を拝む形になります。

 朝方通った時にはナゾだったタワーの入り口はどうやら国道に面した側であるらしく、そちら側に「文化財」を強調する看板を掲げることでこのタワーの威容今や伝統という名の侵してはならぬ神聖なモノであること強く強調しています。この文章、別にスカイツリーに他意はないです。

 入り口。カメラの露出を上げて撮影したので明るく見えますが、この時刻お日様の反対側にありなおかつ明かりの殆ど付いてない入り口周辺は本当に目立たず、入って良いのかどうか、本当に開いているのか、本当はこちら側が入り口ではないのかという自問自答を抱えながら勇気を持って踏み出さねばなりません。

 この時点で時刻午前9時半頃。タワー展望どうやら開いてることは確かのようです。9時開館は意外なほど早いなぁ。

 「東京タワーより一足早く」。エレベータ内。何故か新名所としてやたらマスコミが煽る都内に建設中の某タワーと異なり、そこにはキー局と云われるテレビ局いずれもが殆ど触れることのない、知る人ぞ知る郷土の誇りと、それを訪れた人にだけ宣伝する奥ゆかしさがこの狭く窓のないエレベーター内には満ちています。再度断っておきますが決して他意はないです。

 チーン。と言うワケで17階展望台。エレベーター正面の受付で入場料を払います。大人は200円、子供はよく知りません。
 
 当日はお日柄も良く、先日まで大分地方を覆っていた雲も晴れて絶好のたわー日和、と言うワケでタワーのウリである眺望を存分に満喫できる快晴。まずはその別府タワーから眺める四方の眺望を堪能したいと思います。これはタワー南東方面、別府湾に浮かぶ漁船とその向こうに湾をはさんで大分市沿海の工場群です。

 こちらは北側、別府湾。停泊中のフェリーは九州四国間航路に従事している船です。写ってる船でではありませんが私もこの航路で九州へ上陸しました。それより手前、ビーチっぽい砂浜が見えるのが今朝方迷った的ヶ浜公園です。

 これは西側、別府市内の山側です。一転して九州山地の険しさが見て取れる眺めですが、一方で別府周辺の山の中は温泉の宝庫です。正面の山中腹になんかの施設が固まって見えますがこれがアヒルのレースで有名な別府の遊園地「ラクテンチ」、タワー内にあるコイン式双眼鏡等でもっと寄ってみると「ラクテンチ」と黄色い文字で描かれた看板が見えるのですぐ判りますが、何故か写真の下部に写っている眺望の案内には無視です。その向こうの山の向こうには有名な廃墟「志高ユートピア」の跡地が眠っているはずですがさすがに見えません。このようにタワー内、各方向タワーから見える眺望に則してこんなプレートが貼られていてその方向に何があるか一応は判るようになっております。「一応」としたのは明らかに肉眼で確認することの出来ない場所が書いてあることも多々あり、それは各方面に備え付けられたコイン式双眼鏡の利用を促す煽りであることは一目瞭然で、アノ双眼鏡と云えば、「太陽を見てはいけない」の脅しにビクビクしながら肉眼では見えないが単焦点故に目標物をうまくとらえることの出来ない当時から要領の悪かったという思い出と、その後突然何の予告もなく「ガチャッ」という無機質な音と共に視界が真っ暗に寸断されるあの恐怖と事態を理解した後の虚しさ、そんな幼少時の体験とは「双眼鏡にコインだけ入れて実際には覗かない」という大人の仕草でこの時初めて決別したのでした。ちなみにプレートに書かれた「鶴見岳」とは写真右端の一つ頭の出た山のことのようです。

 また方向を変えると・・・あれあれ?ちょっとガラスのアラが目立ちますね。そのままのようですが大丈夫なのでしょうか?

 そこで今度はタワー内部に目を向けようと思います。各地の「塔」の設計で名を残す建築家、内藤多仲氏が設計した別府タワーは氏が建てた塔の中では3番目の古さに当たり、同じく氏によって設計された東京タワーの兄貴分に当たると云うことです。何度か撤去の話が出る中「文化財登録」と云う荒技で今に至り今後も姿を残すこととなるタワーの建設から誕生、盛衰を記録した写真パネルが場内多く飾られています。

 「順番としては東京タワーより上」と云う事実は何らかの何らかがあるのでしょう。結構この「3番目」を強調する文言はタワー内に多く見受けられます。

 タワー内ではお席について飲料や軽食をいただくことが出来ます。この時間から座っている人は誰もいません、と云うか私以外タワー内他に客は誰もいませんでしたが、南側の窓際席は陽がガンガン当たって気持ちよさそうですね。座った途端注文取りが来ても困るので私は座りませんでしたが。メニューは昔の通天閣と違ってまともそうなモノを出しているようですので安心して頂けます。

 刺激的に購買意欲をそそる土産物売り場。

 メダルになんと名前・日付を入れることが出来る! このメダルの製造や販売機のメンテを一体どこがやっているのかは大いに気になる所です。

 そのお隣に神社、千社札はナシ。こうして分霊をすることでどんな場所でも実は宗教施設にしてしまう日本の文化は誇って良いと思います。日本の文化はスゴイのです。それをカンガルー殺す位しか道楽のない流刑者の子孫共に一言たりとも口をはさまれる謂われはありまが*2。あんなバカ税金で食わすの腹立たしいから移送途中でフルボッコ後簀巻きにして「食習慣に馴染めなかったらしく食中毒に、手は尽くしたが死亡、船長権限により遺体は水葬にした」で通せば良かったのにと思うのは私だけじゃないはずだ。

 いずれにせよぽかぽかのお日様は、タワー内のソファーに身を埋めて昼寝するに絶好の環境で、その後私以外のお客はと言えば老夫婦が一組、景色を感心しながら塔内を一巡りした後早々と去っていたのを除いて誰もいません。そのような観光の仕方の方が逆に余裕を感じられて好ましいですね。で、私はと言えば一通り塔内を、それはもうなめるように見終わった後、この塔のここ展望場以外に見る所がないかと受付のおばさんにたずねた所、「知らない、よくわからない」とのお返事をいただく。所謂B級スポットと云われる場所*3におけるこれ程までに空気を読んだ受け答えにいたく感心し、その余韻を持ってタワー観光を終えることにする。

 思えば、地面を掘って、或いは勝手に湧き出る温泉を目当てに訪れる客が殆どの別府市において、それと正反対に空に伸びる人工構造物があるというのも不思議な話である。別に温泉目的で来たからと行って下を向きながら市内を歩いているわけではないが、眼下に広がる日本一の温泉街の気を空から吸い込むにもっとも適する別府タワーに、別府に着いたお客様はまず上ってみてはどうか? 別府が決して温泉だけの街でないことはここに上れば飲み込めるし、やはり別府に来たらまず別府タワーに上った方がよい、それがよい。

 などと締めようと思ったらどうも別府タワー本人(?)もそのウリを夜に求めているらしく公式WEBページ*4はいきなり夜の塔、展望場以外の施設も夜に開く旨告知。
 だそうですから別府タワーに行くなら夜来て下さい。夜景がキレイだそうです。ライトアップされたタワーもキレイだそうです。別府温泉街、やはり輝くのは夜。

 そんな別府の街中で見かけたお気軽にどうぞの大人のおもちゃ屋。「九州民芸」がどこまでそうなのかが気になる。 

 お口直しに、別府市内で見かけたダンディーにおしゃれなケロちゃん

 タワーの記事が最後スベりましたので、下におまけの写真を置いときました。またな。

*1:http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20090719#p1

*2:だから最近は朝鮮人が犬食って、中国人が猫食ってとそれまで嘲笑非難していたことを反省して「同意はしないが理解」することにしている。

*3:便利だから使ってるけど俺はこの言葉嫌い

*4:http://bepputower.junglekouen.com/