宗太郎越で消息を絶つ

 (「地図には載っていない」 からの続き)

 物事の進め方に支障が出て上手く進めることが出来なくなった際は、気付かぬ内に基本を外れて物事を進めていることが原因となっていることが多い。そしてその例はこれまで数度にわたって紹介している「宗太郎越」についても同様のようである。
 当初この峠道を越えるに当たって参考にした「電子国土」の地図を参照すると、大分県側から登った峠は県境の直前で歪なヘアピンを描く経路を描く以外ほぼ一本道、素直に従えば迷うはずのない道であるのに実際にその峠道に来てみればというと、途中峠道以外に後世作られたと思しき分かれ道が枝のように分岐しており、道は立派に見えるモノのそのどれもが行き止まりとタチの悪いモグラの巣の如き様相を見せこれには温厚な私としても腹の一つでも立てねば気が済まない事態となるくらいであった。
 そこで冷静になって、初心に返ることを考える。その初心とは何か? 紛れもなく「電子国土」に記された「宗太郎越」と名付けられた峠越えの一本道に違いなく、小和田駅の例もあり今まで疑いの目を持って接していた「電子国土」記載の地図を一つ心から信用してみようと、そう思い「全ての人が行けそうなルートが行けないと判った時点」で、「一本にほぼ真っ直ぐに繋がる道とした場合、何処がその延長上における行き止まりに当たるか」考えて、そのあまりの荒れように一度は見なかったことにして侵入することを拒否したあの道から「真っ直ぐ」をやり直してみようと思う。


 つまりこの道。参考までにこの時点での時刻午前9時半。午前7時過ぎに宗太郎駅を出てから2時間も無為に山の中を歩いていたのだ。次の列車が約10時間後とは言えこれ以上の時間のロスは避けたく、まあ無理だったら戻ればいいかの気持ちはしっかりと心に留めてはいたモノの、その「まあ無理」が今とも思えず、要は再びこの瓦礫道を前にしてそこに侵入するに当たってそんなに躊躇はなかったというワケですな。
 峠道が始まってからほぼ一直線上の「行き止まり」というとこの場所しかない。と言うワケで半ば振り出しに近い状態からの再スタート地点は、見ての通り網で遮った柵はあるものの、よく見ていただければわかるようにその網の下、網を避けて潜ったような跡があり、この先への突破口となりそうな様子。ただ、もしもこの「突破口」が無かったとしてもそんなに強固に出来ている柵では無いので突破するのはたやすい。ただし「柵」があるという事実からこの先、昔はともかくとして少なくとも現在は「通り抜けること」を考慮されていないことは十分肝に銘じていよいよこの柵の向こうへ向かうことにする。

 傾斜は結構急。足元も殆ど道の体を成していない、「たまたまついた溝状の窪み」を伝っていくに等しい歩行となっているが、この「溝」に沿ってそのまま進む。実はここの少し手前の地点、前の写真にある柵を越えた直後はまだ水の流れている渓流のような状態でその「渓流」を右側に避けるとその「渓流」沿いに恐らくは後から植えられたと思しきスギの木の列と崖との間に筋とも窪みともつかない「溝」があり、他に自然に伝って行けそうなルートは無いためとりあえずはこの「溝≒道」として進むコトにする。

 しばらく登り、足元は相変わらずと云ったトコロだが、左側の「渓流」側に加えて右側の崖側にも植えられたと思しきスギの木の列が登場。植林の途中にしては枝の手入れも間伐もされていないため植林の途中で放棄されたスギの木とも考えられるが、それにしてはこのスギの列と列の間、一応は「筋」を形作っており、遠目には「道」を作っているように見える。この「道」に入ってすぐ理解できるように、嘗てこの道が「宗太郎越」の本ルートだったとしても現在は既に放棄されて事実上廃道化されているコトは間違いないと思われ、この嘗ての「峠道」に沿って植林されていると思しきスギの木は峠道の確保、或いは保護を目的としていると云うより林業に植えられたと考えた方が自然で、その後何らかの理由で(以上の説が正しいのなら理由の予想は容易につくが)木の管理が放棄され、結果的に峠道の痕跡を残すコトとなった、と勝手な解釈の元このスギの列の「行き先」を信じて傾斜を上っていく事に。ちなみにこの「道」に進入した当初すぐ左側に流れていた「渓流」はすぐにこの「道」を離れてこの写真の時点ではほぼ渓流を伝う水の音は聞こえなくなってます。

 しばらく行くと(場所を示す目印が全くないので「しばらく」としか言いようがない・・・)スギの列は向きを九十九折れに曲がる。鉄道で言えば「スイッチバック」と言うヤツである。山の傾斜に沿ってスギの木が植えられている事がわかるので「ムチャしてない」事はわかるが、依然この「道」の行く先がどこに通じているかがわからない中、結構不安は増している。
 意外にもここから足元は落石の類は減り、「それまでに比べて」は歩きやすい地面になる一方で傾斜の角度は増す。現在の場所が山の大体どの位の高さに当たるのか見定めようにもスギの枝が覆っていて上の方が見えず、そんなワケなのでやはり足元には細心の注意が必要で自然視線は下向きになりがち。その中で登場したのが写真中央やや右上に移っているなんか白いヤツ、ビニールの切れ端なのだが、少なくとも「ここまで枝が伸びた後に結びつけられた」と言うワケでこの「道」に少なくとも人が立ち入った証拠でもあるのでその意味では少し安心はしたものの、とは言ってもその時期まで判るワケでなく、殆ど気休めにしたならなかったこの白いの、実は後ほど結構重要な意味を持ってくるコトになるがそれはしばらく後の事。

 再び道の向き変わる。山影にも陽は差して無為に過ぎた時間を教えてくれる。この辺り少し道幅が広くなってスギの木の枝の間から道の先(と思われる)山の方も見えるが。

 油断も隙もなく道はすぐにこんなんなるので足元への注意は怠る事が出来ない。

 でも足を止めて今来た道の方(たぶん宗太郎駅の方)を振り返る分にはそんなに危険はないか、と言うワケで現在地さっぱり判らんがたぶん人住んでる側の方向。言われるまでもなく山しかない。写真左下隅に木々に隠れている茶色の筋が今来た道です。

 時々こんな風にきちんと整備されているような道になるんですよね。恐ろしいことに。とは言ってもこの少し手前で、スギの枝の越しに正面の山の稜線が見え始め、スギの列はそこに向かってほぼ真っ直ぐに突っ込んでいるので、「県境」と「登り道終了」の予感もあり、少し余裕も出てきました。ただし、「山の稜線を県境」とするあの電子国土の地図と道が全く当てに出来ない状況で、この余裕を生み出した判断が当てにならない事はこれまでの経験から十分予想はしていましたが。

 で結果現れたのがコレ。目の前の土手みたいのが山の稜線。地図 によると峠道がぶつかる稜線が大分・宮崎県境で、つまり「峠」と云うヤツなのですがこの場所、周囲元から生えていると思しき雑木や先程から頼りにしてきた列を成すスギの木が生い茂り所謂「眺望の良い」と云う「峠」のイメージに全く当てはまらない。それどころか道(?)は地図上にある稜線と接しているのにその稜線を越えず大分県側を稜線に沿って行く道らしきものもあり。何よりの不安が今まで頼りにしてきた「スギの列」が今度はその「稜線に沿う」道の方に沿って列を成しているのだ。その一方で写真の中央より右より、土手状の稜線の一角が不自然に欠けており、切り通しのように穿かれているように見えるが、

 倒木が重なり地面から生えた草木が成長して柵のように人を通さない。もちろんゴロゴロとした石も当たり前のように健在。
 けどまあ考えてみれば倒木や落石が邪魔をして道を通さない事など珍しい事ではないのだ。と言うワケでその自然の「柵」に対してはそんなに気にも止めずに乗り越えたところ、

 今度は正真正銘、人造の「柵」が登場。ここまでの「道」に進入するのを阻止していたヤツと同じ網製のモノ。「人造」とは言っても強度からすればむしろ先に越えた「自然」の方の柵の方が頑丈で執拗で意地も悪い。大体「道」らしきモノがあり、しかも両脇崖や断崖ではないのだから恐れる要素など何もない。つまりこちら側の柵は「この程度」以上のモノでは決して無い。

 柵を越えて、その方向を見る。「道」の両脇は素堀の跡のように見え、やはり人工的に作った切り通しのようである。

 切り通しの上に立てられた杭。記載は何もないが直線上に数本、同様の杭を確認。県境を表す杭に間違いないと思われる。ルートの正否はともかく大分県側から宮崎県側へ、県境を越えたのは間違いないようだ。

 やはりこの道は正規の(?)「宗太郎越」ルートで間違いないのか? ところがこの「県境の切り通し(宗太郎越?)」を越えるとすぐに・・・道がない。全く無い。あるのは大分県側とは打って変わって自然のままに生えるに任せた雑木が一面に生えた山の傾斜のみ。 
 今進んでいる道が「既に廃道」と判った時点で「そのうち道が無くなる」と云う予想はずっとしていたが、何故か常に「道がある」と云う恵まれた状況にあったため、いざこの場において「道が無くても進む」と云う決心が鈍っていたのだろう。またコレまでの経緯から「地図当てになんねぇ」との思いも強く、よって今通った切り通しが「宗太郎越(峠)」との確信も持てず、或いは別との疑いも捨てきれず。
 そのために次に行く方向として、「県境を越えた」が「道のない」こちら側ではなく、「県境は越えていない」が「道がある(ありそうな)、道に沿ったスギの列もある」大分県側に戻って、この切り通し前をかすって稜線に沿って上へ向かう「道」の方へ行ってみる事に。
 その先の道はこんなでした。

 お約束の倒木はともかくとして、初めは「道」らしき筋があるモノの段々と頼りなく先細り、遂には人の横幅程度の幅に。コレを倒木や落石が塞いでいようモノならその脇の傾斜(辛うじて「崖ではないぞ」と云う程度の角度)を迂回していかねばならず、もはや気休め程度になってはいたモノの唯一この道を選ぶ支えとしていた「スギの列」も段々と間隔が広がり、例えば傾斜を滑りそうになった際の足場や手をかける用を成さず、ヒドイのになると根から腐っており手をかけようモノなら折れて一緒に崖下へ転落の恐れも、と云った心許なさ。

 滑ったらここから。別に崖下の迫力ある様子を撮ろうと道幅ギリギリまで寄ったワケではなく、これ背中これ以上下がって歩ける足場がないだけです。


 ずっとこんなです。

 そして何より最悪と云えるこの道の障害は写真にあるような「木の枝葉の堆積」で、道上に幾重にも重なった主にスギの木の枝や葉っぱはクッション状になり殆ど踏み応えがなく滑落の危険があっても踏ん張りが利かず足場としての役割が全く無いばかりか、堆積の地面が存在してければ踏んだ途端一緒に滑落してしまう恐れも。この殆どトラップと化した障害物が、道具無しで避けるには厳しいほどの道幅をずっと埋め尽くしている。少なくても年単位で人の通った形跡は全く無い。

 で落ちたらコレ。もしも、畜生共の内退くコトを知らない系(シカ・イノシシ)が突っ込んできたら間違いなく即死。枝葉トラップにマムシも隠れている恐れもアリ。いずれにせよ動けなくなったら人も通らないので白骨化は確定なので。眺めは良いとは云えばーちゃんに会いに来た*1帰りに白骨化じゃばば不幸もイイトコロだと思って、ここまででさすがに引き返すコトにしましょう。所詮私も人の子だったというワケだ。(つづく) 

*1:延岡。名目上山越えてお隣