その百四十二 品川区上大崎 誕生八幡神社内 『稲荷社』


 その昔、何かの研修のため覚醒剤だか大麻だかの取引で有名な白金台に当時あったなんたらかんたらという名前の医療系だか福祉系だかの大学だか専門学校だかに一週間だか二週間だか通ったことがあるが、確実なのは「通った」と言う事実だけだなこりゃ。よくよく調べてみるとこの「通った」建物、かの内田祥三流ゴシックでゴテゴテに彩られていて、講義中建物に目は行くわ話しは耳に入らないわで結局どちらも中途半端となってしまい、俺らみたいなバカがこんなとこで講義受けるのは勿体ないだろ、と云うのが現在の総括である。
 ここでの話題は白金台でも研修に通った学校でもなく、省線だけを乗り継いで件の研修場所へ向かう場合、目黒駅を降りて目黒通りを白金台方面に向かって行く途中にある鳥居と階段、その先にある神社、の更にお隣の摂末社。本殿の誕生八幡神社太田道灌に因む由縁があるそうで、太田道灌由来の寺社或いは痕跡は旧江戸内外周辺に数多く、関東の地に初めて「独立」と言う概念を抱かせた平将門と並んで初めてこの地に城を営み根拠とした太田道灌に江戸の人々がシンパシーを抱いていた証左であろうが、お参りはお隣のお稲荷・おきつねさん。非常に小さな社内に住まわっておわすお狐様、残念ながら首がへし折れ。先に書いたように、参道の階段を下りて目の前は高輪品川方面へ人通りの多い通りでその道に面した鳥居の前を多く人が通り過ぎて行くも殆どが気も留めず通り過ぎ、時折気になるような素振りを見せる通行人も鳥居の内側までは入ってくることはなく、鳥居の内にいるとまあよくありがちな都心の神社の孤高振りを楽しめる。それでも、興味のある通行人のお目汚しにならぬよう、この稲荷社の摂末社のある端の方へ寄ると目の前のイチョウの木で丁度道からの視界が遮られ上手い具合に無人の社の見えるようだ。それでもみなさん通り過ぎるのみなのだからよっぽど忙しいのだろうか。そんな忙しい人のためにこの神社(本社の方)の賽銭箱は階段登り切った本殿前ともう一つ鳥居に小さいのがくくり付けてあり、忙しい人々のためにせめて賽銭は置いて行けよと云うこの姿勢がまた都心の神社らしくてひどく好感が持てる。好感が持てると云えば手水場の水は蛇口から直接吹き出す東京の美味しい水道水で、もちろん反対にひねると水は止まる。この、水道管直結の空気に触れた途端清めの手水に早変わりという手軽さも好ましくて仕方がない。思えばこんな好ましいお社を横目に見ながら何度も何度も通り過ぎてるだけの無為をあの頃送っていたのだなぁと、勉強したことが何一つ頭に入っていないコトより一度もこの社にお参りしなかったことを悔やみ、だからといってもしもあのときお参りしたところでやはりお勉強の内容など何一つ頭に入っていないんだろうなと思うのだった。