そして市棚へ・・・

 (「宗太郎越で消息を絶つ」の続き)

 と言うワケで戻りました、ココまで。

 改めて説明することも無いですが、と言うか説明しようにも説明するべきモノがほぼ皆無と言った方が正しいのかもしれませんがココ、大分・宮崎県境と思しき赤い杭が打たれた稜線です。県境を越えた途端人のひの字も入っていない道(?)の荒れ様に一度は道のあることを疑ったのですが、先程登ろうとした人の幅ほどの足場もない稜線沿いの道よりは少なくとも足場があるという点で幾分かマシであること、やはり今まで登ってきた「宗太郎越」と思しき峠道のしっかり延長線上に位置していると云うこと、何より「県境を越える」と云う「峠」としての役割を十分果たしているのは今のところココしかないという事実、若干消去法的な選択肢ではあっても、「行けないこともない」その見た目を頼りに「この方向」へ向かって進むことにしました。

 いざこの方向へ進むと決意したところで見ての通り「その方向」の「方向」が無いに等しく困ってしまうのですが、傾斜に生える樹木の生えている間隔が何となく人一人分通り抜けられるだけの隙間を確保している様に見えて、或いはこれが峠道の痕跡かもしれないととりあえずはその筋の様な痕跡に従って行くことにしました。
 「行くことにしました」と簡単に言いましたがそこは傾斜の途中に用意された「筋」のこと、安定した水平に近い足場など確保されていようはずが無く、先程の「滑ったらほぼ垂直落下」よりはマシとは云うものの、足下を滑らせてようものならそのまま傾斜を転がり落ちて足にダメージでも負えばその内白骨、と云う状況に変わりなくまだまだ安心も油断も出来ません。

 滑らない様に生えてる木を伝いながら「筋」の奧へ踏み込むと少し足場がマトモになり、「道」と言っても差し支えなさそうな足場に。これは助かります。やはりこの道が「宗太郎越」正規ルートで間違いはなかったのでしょうか? とは言っても道の周囲に生える木々は全く人の手の加えられたモノではなく原生林とまで行かないまでもほぼ無造作に生えるに任せているに違いはありません。少なくとも「道」の痕跡に沿って目的は不明ながら杉の木を植えていた大分県側とは全く様相が異なります。

 生えてる木に倒木が折り重なって結果道を遮る様にほぼ水平に生えていますが、この程度の障害は今更驚くに足りないこと、私の記事を読んでいる皆さんならよくおわかりのことでしょう。見るところはそれではなくその横生えの木の手前の細枝になにやら帯の様なモノが引っかかっているのが判るでしょうか? 細長い帯状のビニールが枝にくくり付けてあるのです。以前の記事で「覚えておけ」というような主旨の言葉を添えて同じようなビニール帯がやはり木の枝にくくり付けてあったことを覚えている奇特な読者はいるだろうか? どう見ても人工的に結びつけられたこのビニール帯、何かの目印であることは容易に想像がつきますが、県を跨いだ場所でその存在の確認が出来ることからその「何か」とは「宗太郎越のルート」を表している可能性が俄然高くなったこと、それならばこのビニール帯を辿って行くことで今は道の消え失せ足下おぼつかなくなってしまった「宗太郎越」のルートを辿り延岡側の登り口へ到着することが出来白骨化の危険を免れることが出来ること、そんな仮説が立つと言うワケで、と言うかこの頼るべき標も目標も無い状況で仮説云々言ってられないワケが本当の事情なワケで、いずれにせよ以降は「足下に注意」しながら「頭上の枝にくくり付けられたビニール帯」を見つけることが重要なミッションとなること、ここで確認することに。

 足もとは相変わらずのおぼつかない傾斜上の足場確保に累々たる落木落石、時々天然の落木柵。頭上に例のビニール帯は現れないが、「道」のようなルートは一本道に確保できているのでこの「道」に沿って行けば少なくともルートの確保な出来ているので最悪戻ることも可能。

 ルート上は基本的に森の木々の枝が頭上を覆い、広い範囲で周囲を見渡すことは困難なのですが時折こうやってそこが谷となっている絶壁近くを通れば森の切れ目から遠くを見渡せたりすることが。と言っても見渡す限りの山また山に「まだ山奥」の認識以上の参考を得ることはないのだが。ただ写真に写っている谷向こうの樹木層とこの場所の樹木層が全く異なることが判るので(向こう側は植林によって人工的に作られた森っぽい)その点は参考になる。つまり向こうとこっちを比べると人が来る可能性の少ないのは明らかにこっち側=白骨化に近いと云うコト。気を引き締め・・・

 そんな自分に立ち塞がった問題の箇所がここなんです。遂に「道」無くなる。「筋」さえない。あまりの出来事は意気地を挫くに十分な事態であるが、ここは冷静に・・・

 進入強行。「道が無い」、正確にはこの直後、「道が広がったような開けた場所に出てしまい目標とするルートが全く取れなく」なる。一見周囲の見通しが良い様に見えてこれは大変始末が悪い。言うなればただそこには傾斜があるのみなので、これはもう本当に勘に頼るしかない、と言いたいところだがこのような場所で頼るべき勘というモノなど初めから持ち合わせていようはずは無いので、「とにかく真っ直ぐ」進むことに徹すると

 急に周囲の木々が狭まり先程まで存在した広々とした空間はあっという間に木々によって狭められ、この場所を突破するとするなら人幅に満たない木々の間を無理矢理通り抜けるという方法でしか無くなってしまう。この時点でさすがにルートを見失ってしまったコト、本気で迷ったこと覚悟するが、

 ふと目の前を塞ぐに等しき木の根元を見ると飲料水の瓶が。ここが正規のルートかどうかは判らないが、少なくとも人の通った形跡を初めて認める。写真で見ると変わった形の瓶で元々何の飲料で満たされていたのか、いつ頃のモノなのか興味が沸きそうものだが、実際はこの時点で大いに焦り、そんな余裕など無かったことここに告白しておこう。つまり、足下に転がる人の痕跡を見つけても殆ど励みにはならなかったのだ。そしてそんな中・・・

 これだ・・・探していたのはこの帯だ。私は間違っていなかった。・・・イヤ大袈裟でなく本当にそう思ったのです。そして道筋にわざわざこの帯を結んでいった名も知れぬ先達に感謝を。もしも・・・もしもその先達に会うことが出来れば私は必ずこう告げる「助けてもらいました」・・・そしてもう一言「あんた何しにあそこに行ったの?」

 この目印を見つけた僥倖とでも云うのだろうか? 以後再び道の様に行く先を指し示す様になった先にも一つビニール帯。

 もはや先程までの躊躇はとうに失せ、自信を持ってその先へ突き進むと遂に・・・「瓶」や「ビニール帯」と云った半ば抽象的な人造物などとは全く異なる(さっきまでの大感謝はどうした!)正真正銘の人造物、何やらのワイヤーで括った柵らしきモノが登場。これで名実共に・・・もう安心だろう・・・

 そして柵の向こうに久しく会えなんだ簡易舗装の愛しき白い路上が・・・後はアレに従えば・・・。

 ところがそんな私と愛しの道路を別つ柵、その内入り口でもほつれでもあるだろうとタカを括っていたもののなかなかもって隙なし。そのままずっと柵続く。

 柵の向こうは果樹畑なのだろうか? イノシシ避けのためにこんな柵をきっちり張っているのだろうか? まあ大分側から進入した時も柵を乗り越えて来ているわけだし宮崎側も柵で封じられていても何ら不思議はない、と言うことでイノシシならぬ人間様の知恵を持ってしてちょいと工夫して柵の向こう側へ。

 果樹畑かと思った一面の植樹は「葉から根まで全て毒」の劇物指定のシキミのようでした。何故このように大量のシキミを? 苦労して峠を越えて来た旅人に対する最後の罠か? 喜びのあまり間違って飛び込もうモノなら大変なことになります。

 シキミの間にある道を伝うと斜面に沿って山の下の方へ向かっているのが判ります。一面は見渡す限りのシキミ。そのシキミの中斜面を下っていきます。

 人の整備している道がありがたいといってもこの簡易舗装の道路が何故か繋がっていない場所もありこういう場合は道を外れて下の方へ。別に今までの苦労を思えばたいしたことはありません。

 そして遂に、見慣れた山の斜面が終わりを告げマトモに車の通れそうな道路が登場しました。「ひとごごち」とは当にこのこと。この道と交わる辺りはシキミではなくまだ花の落ちきっていない椿の木が沢山、その中花の付いた枝を集めているご婦人がおりました。宮崎側に入って初めて出会った人、と言うか宗太郎駅でうろついていたテツらしき人以来人には全く会っていなかったことに気が付きました。だからちょっとなれなれしくなったというわけではありませんが、一応道を尋ねます。目の前の道、目的の方へは右か左か、ここまで来たらとても大きな問題ですから。

 当方の「市棚駅方面」の問いに驚かれたことから駅へはまだ大分先。そして先方からのどこから来たのかの問いに「宗太郎駅を峠を越えて」の言葉にもはや正気かの表情。ご婦人の口から「あの道はかなり昔に廃道になった」旨ここにいたって初めてはっきりと聞くことになりました。よもや、そんな、なんと言うことか、あまりの衝撃に立ち直れない。ああ知らなかった知らなかった(大嘘)。

 とにかく向かう方向は右方面で正しいらしくまだ大分先があるとのこと。昔はこの近くまでバスが来ていたのだが今はとうに無くなってしまい不便になったこと、今の今の季節あちこちで花が咲き乱れて渓流の水もキレイで良いところなのにねぇとご婦人の言。

 山道が終わりまともな道路が見えてきてから何となく右の方向が出口(?)だと感じていたのでご婦人の言に特に違和感なく指し示された方向通り道を行く。この道は終始川沿いを行くことになる。もう名実共に現代の道路といった感じだ。先はまだまだ長いとは言え読み切れるだけの時間はたっぷり、日差しは強いとは言え心地よい風も吹きよいお散歩日和。
 道の途中所々家々、時々お偶像さんや社寺、散っていたり今満開だったりの春の花々。

 そんな中、丁度雉でも撃っておきたいと思った矢先、山側に登る道。本当はこの道の対面、川を渡った先にある小学校でちょいと拝借させてもらうつもりだったのが春休みの最中と云うコトで生徒はおろか教師も用務員も不在。さすがにたるみすぎだろとは昨今の教育事情を鑑みるに同情すべき点も多々ある故声には出さんがともかく、ちょっと雉を撃つに足るちょっとした場所を求めるとすると再び山の方しかないかと。

 この「山の方へ向かう道」、地図で見ると先程やうやう脱出した宗太郎越に繋がっている様な繋がっていない様な、また道の入り口には「この先北川町*1指定史跡の寺院、これは参道」みたいな立て札も立っている。その説明書きによるとなかなか魅力的な偶像の残る寺院とのこと。まだ時間はあるし、ついでだしと。

 向かった先がコレ。何度となく断っておきますが別に好きこのんで荒れた道を言っているワケじゃありませんからね。

 更に進むと滝壺の前で道は無くなっている。今までの廃道行でもこれはかなりムチャなオチですが、恐らくこの更に先にその寺院は今でもひっそりと佇んでいる*2。機会があればいずれ*3

 さてモノの見事に肩すかし喰らわせられた寄り道から元来た道に戻り先を少し急ぐ。ここまで来ればほぼ消化試合というヤツで単調*4
 道の左側に流れる川がも少し大きな川とぶつかる辺りでこの道もも少し大きな道とぶつかります。川又の住居の軒の下には既に様を成さず錆に覆われたバス停の標識あり。現れた道のどちらかの方向へ向かって行けば目指す市棚駅の方面、更には元来た宗太郎駅方面、引いては延岡の市街地まで繋がっているはずなのですが、あちこちウロウロしたりしたせいで行く方向を見失い危うく左側、旧北浦町方面へ向かうところをやはり自分の判断が全く信用できなかったのでしょう、たまたま通りかかった軽トラ(北浦方面へ向かっていた)を無理矢理止めて乗っていたおっちゃんに訊ねると黙って反対方向を指差し「まだまだ大分あるよ」との有り難いお言葉をいただく。軽トラ止める勇気もなくそのまま北浦町へ至り日向灘を拝もうモノならそのあまりの徒労に絶望して死んでいたところだった。

 引き続き、消化試合。断っておきますが川沿いは凄くキレイです。途中携帯の飲み水が丁度無くなった頃に登場した湧き水もあったりと文句を言っては多分バチが当たると思います。道路の遙か下方を流れる川の名前は「小川」と言う幾分投げやりな名前です。道を尋ねる場合ややこしいことこの上ありません。

 途中二箇所ほど道路沿いに集落がありました。また、表示が出ていなければもはやその痕跡など確認することも出来ませんでしたがかつての「渡船場」の跡もあり、現在は道沿いの道もかつては川沿いに川の流れの恩恵を大いに受けていたのでしょうか? それとこれとは全く関連はありませんが各集落で一匹は飼われているイヌは私が通ると悉く吠えてきました。くそぅ。

 遙か向こうに「小川」がも少し大きな川とぶつかってその向こうにあるも少し大きな道に今歩いている道もぶつかって、今までついぞお目にかからなかった行き先表示まで現れたりと間違いなくあそこがこの道の終点と国道10号線との合流地と思しきその時に、後ろよりクラクションの声。何事かと思えば声の主は先程道を尋ねた軽トラックで、北浦町方面の用を等に済ませて延岡方面へ帰る途中に再び見つけたこの見窄らしい背中を哀れに思ったらしい。「乗っていけ」とのコトだったが、ここまで来て乗っては修行*5にならないのでせっかくのご厚意を丁重にお断りさせていただきました。詳しく端折りますが実はこの後全く別の場所で別の目的を遂行する際に別の軽トラおっちゃんが「乗せよう」と便宜を図ってくれた。宮崎の人が寛大なのか田舎の人が悠長なのかはたまたあまりに自分の姿が見窄らしかったのか、いずれにせよ憐れの手をさしのべてくれた名も知らない方々にこの場を借りてお礼申し上げます。ありがとう。

 「小川」がぶつかっている「鐙川」は朝方降りた宗太郎駅の脇を流れていた川です。山ん中のあの場所は佐伯市なのに川は延岡方向に流れているの何か不思議ですが、いずれにせよやっと元の流れに戻ってきたといった感じですが、道路に歩行者用の場所は殆ど考慮されておらずここまで来て車害に合おうモノならそれこそバカらしくて消息も絶てないので慎重に歩きます。普段バイクとかでほぼ車専用の道路を使っていてナンですが、ヒドイものです。

 国道10号とぶつかってまもなく隣、山の中から現れた電線。離れて久しい紛う方無き日豊本線の路線。宗太郎越で真上を跨いで以来の再会ですが、好きでわざわざ離れたこともあって道中別に会いたいという感情が起きていたわけではなく、次の佐伯方面普通列車までまだ2時間程残されていたこともあり「正直どーでもよい」という気分だったのですが、これに乗らないと帰れないワケだし、無理矢理感動してみました「やっと会えた! 会いたかった!」

 国道を走る車にここらの駅の場所を教えてもあまり意味がないようにも思えますが、「市棚駅」入り口は国道沿いではなく集落側に入り口があります。心なし宗太郎駅より歓迎されている様に見えるのは大きな勘違いだと思います。

 またイヌにギャウギャウ吠えられて、道路で遊ぶ子供達には挨拶されて、通りに何件かある猪肉屋を抜けて、

市棚駅

 JR九州駅名標には必ず「その駅に因んだイラスト」が書いてあり、降り潰し共はこれが秘かな楽しみとなっている(と思われる)。市棚駅は見ての通り「ハングライダー」・・・えっ?そうなの? 真意の程は良くわかりませんが駅名標によるとそのようです。そういえば宗太郎駅

 なし。これはちょっとヒド過ぎます。

 次の列車は約2時間後。とりあえず休んどけ。

 休んでいる間に普通列車以外の列車は結構通過していきます。ついでなので

 市棚駅あちこち。見事に待ってる人いません。
 待っている間に何か口にでも入れておきたいところですが、市棚駅前には買い物が出来そうなお店*6が集落側ではなく国道側にあるのでちゃんと駅の入り口を抜けて集落を通る大回りの上公道の踏切を渡っていては今の体力では多分30分はかかるだろうと横着して、その内楽しくなって何度もホームを降りて線路の横断を強行します。通過の際ちゃんとホームにアナウンスが流れる細かい心遣いには感謝ですが良い子がやってはいけないことは言うまでもありません。とは言うもののまあ、そもそも今回の「宗太郎越」そのものが良い子はやってはいけないことだと思うのでこれくらいは良いか。

 宗太郎駅と同じようにスカスカの空白が寂しい時刻表の前で座って待っていると、時たま自動車で乗り付けてテツだか何だかよくわからない方々が訪れては入場料も払わずホームに侵入して通過する列車を撮って撮っては去っていきます。「自動車で」です。もう一度言います「自動車で」。何度でも言います「自動車で」・・・。俺は歩いてきたのに、なんてマナーの悪いことでしょう。こんな撮りテツにはなりたくないですね。俺は撮りテツじゃないけど。もう一度言うけど「俺は宗太郎から歩いてきた」。ああこの無駄な優越感・・・誰かに語って歩きたいが恐らく誰からも理解されまい・・・。

 まだちょっと時間があったので駅前*7商店のおばちゃんに勧められた神社に行ってきましたがそのお話はまたいずれ、気の向いた時に。

 待ち望んでいた佐伯行き市棚17:09発の列車が到着。あ、もちろん奥の方です。これを逃すと次の列車は19:53。10時間に比べればたいしたこはないので誰か私以外の人やっといて下さい、サヨウナラ。

 9分後、次の駅、宗太郎駅。案の定この「宗太郎駅」の響きに乗せられて車内殆どを占拠していたテツや擬テツがそれとばかりにパシャパシャと「窓越しに」宗太郎駅の様子を撮り、客の降りる事を想定していないワンマン運転の運転手は微動だにせず。もう一度言うが車内の連中は「窓越しに」撮る。もう何度も言うけど「窓越し」「窓越し」「まどごしに!」。ああこのあまりに無益な天狗が癪に障るコトこの上ない無駄な優越感・・・。無駄に人生を浪費してるなぁ〜・・・。

 その後またちょっとだけ色々あった訳ありで佐伯駅には列車からではなく外からの侵入・・・素直に真っ直ぐ進入すればよいとは思うのだが、ともあれ真っ暗で味気ない大分県の宮崎県と海越えて高知県への玄関口の佐伯・・・。お前とはこういう形でなく、もっと違った形で会いたかった・・・。

 その後の計画が明日夕方から仕事という突発により全てツブれて結局素直に日豊本線を北上、小倉乗り換えでこれも素直に新幹線で帰りましたとさ。けど昼前に東京に着くとは思わず中途半端に時間が余ってどうしようと東京に着いてから悩んだ挙げ句

 シメとして我孫子駅弥生軒で久しぶりに唐揚げ3個載せに挑戦したんだと。いつまで経ってもそばが見えない唐揚げそばをすすりながら自分の行動本当にいちいち脈絡がなく無駄が過ぎるなと胸に思うのでした。

 いずれにせよ神様、今回白骨化を免れた幸いをここに感謝します。 了

*1:

*2:と信じたいが十中八九は崩壊していると思う

*3:途中、道を外れた所に嘗て参道であったと思しき崩壊しかけの石段や石碑もあるがその先は道のない崖の方へ向かっていたためこちら側が嘗ての正しい参道であったかどうか見ただけではわからない

*4:と言うには清流あり、渓谷あり、花あり、山ありと季節に即した感覚をそのままに得られる風景が続きますので、正直この言葉には大変語弊があると言わざるを得ませんが、この時の私は直前まであまりに景色より足下の筋を探すコトを優先しすぎていたせいで感覚がマヒしていたのでしょう

*5:何のだ?

*6:注、イノシシ除く

*7:正しくは駅裏