西武、秩父(その2)

 (その1→http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20100428)


 前回(勝手に)紹介した坑内軌道が健在のJFEミネラル武蔵野鉱業所、「鳥首峠」へ向かうハイキングコースはその鉱業所をかすめて構内を見下ろしながら登って行くことは前回紹介した通りです。ついでに掃除でもしてくれているのか、鉱業所近くの道は比較的キレイに整備されているのですが鉱業所を離れ道が鬱蒼とした杉の森の中に入っていくと足下は落ちた杉の葉だらけ、道は段々とハイキングコースのそれらしく。

 先程の鉱業所が今回のメインに据えていたので後は登るだけ、峠を越えたら下って秩父側から帰ろう、この時点で気分は殆ど消化試合と云った気分だったのですが、そんな中ふと足下に真鍮製の鍋の一部が転がるのを見つけ

 上を向いてみると家屋、それに地面に多く転がった生活用品・・・。ここから見ても人の気配は全くありませんので一目瞭然の廃集落です。嘗て鳥首峠へと向かう道沿いの名栗側に「白岩集落」秩父側に「冠岩集落」と云う集落があったとのコトなので東側、名栗に接するこの集落は恐らく旧白岩集落の一部なのでしょう。殆どのネットで検索可能な地図では地名表記に小字以下が記されているコトは少ないのですが、例の国土地理院電子国土にはしっかりと小字も、既に廃集落化してマトモに建っているかどうかさえも怪しい家屋の位置までも記されているのでこの仕事の至って無さ故の便利な機能には頭が下がるばかりです。

 頭上に集落を見つけてもその場所から直接集落へ行く道はありません。ちょっと迂回してという形になるのですが、何処の道を迂回すればいいかは現地に行かれることがあれば勝手に探して下さい。多くの場合、現在廃集落になっているからと云って嘗ての住人の権利関係が消えているわけでない場合も多く、所謂そのような場所・土地に無断で立ち入ることは刑法に抵触する恐れがある、と云うヤツですのでWEBと云うどんなバカでも見ることの出来る場所に於いて大っぴらに触法行為を喧伝することも憚られるので詳しくは触れないことにしておきましょう。ひっそりと森の中に佇む主のいなくなった廃集落の姿は確かに魅惑的な姿を包有すること確かで、お前も勝手に撮っとるがなと言われれば反論のしようもないのですが、どんなときでも最低限の節度は有しておきましょう。ちなみに私は廃集落や廃屋を撮影する場合、外観はともかくとして内部への侵入は、その対象となる廃墟が「個人的な家屋」であった場合は控えるべきだと思います。



 どんなことに言葉を取り繕っても理由無く部外者がよその土地に勝手に侵入して勝手に写真を撮って云う行為を正当化できる言葉は見つかりませんので、コメントは述べず撮っただけの写真を適当にあげます。

 集落から降り来て本道に戻った際峠の方から降りてきたハイカーに行き合い道が何処に通じているのか聞かれたので一応事実は述べました。そのハイカーさんはここらの集落がいつ頃何故遺棄されたのかが気になるようです。集落への道、正確には更に集落を抜けて更に上の方へと伸びていたのですがそれが何処の方に繋がっているのか、そもそも集落が現役の頃から存在していた道なのかは全くワカリマセン。

 本道に戻って少し行くと道は森を抜けて谷沿いに周囲見晴らせる場所をしばらく登って行きます。廃集落の森の中では木々に遮られて大分遠くに聞こえていた麓の鉱業所の作業音が再びよく聞こえるようになりまだあまり距離を行っていないこと十分に判りますが。楽しいのがこの森を抜けた谷沿いの道から今度は作業モノレールと思しきバーが登場。この上にもひとつ廃集落のあることは先程のハイカーから聞いていたので集落現役時に荷物の積み卸しをこのモノレールで担っていたのだろうか? だとしたらその荷物用軌道の控え目な雄姿は永遠に見ること能わないか。残念だ・・・。

 と思ったらあっけなく願い叶う。どうやら作業等に行き来する作業員専用モノレールの模様。それにしても何だか知らないがすげぇ楽しそう・・・。

 しかも遅ぇし・・・。

 いい年のおっちゃんが小ちゃな乗り物に仲良くケツを並べてスルスルとガケ道サカ道を登って行く様は凄くシュール。断っておきますがおっちゃんたちは遊んでいるのではありません、立派な仕事の最中です。遊んでいるのは私の方。

 あんな形でもこのミニモノレール、結構凶悪な爆音を奏でます。レールはハイキングコースを跨ぎそのままほぼ一直線に道無きガケを登って行くので本道とはどんどん離れて行ってしまうのですが、このレールをゆるゆる登る爆音は結構長い間森の中をこだましております。これが集落離散の原因とは思えんが、近くに住むのはちょっと辛そうだな。

 レールを離れると再び森、道は当然登り道。すると唐突に写真の看板。作業用軌道車にケツ借りた暴走族に引き続き御意見無用の発破攻撃。他にハンターへの注意書き。静かそうに見えてかなり物騒な山中、これは人住めんわな。

 と云うような歪んだ感想とは全く関係なく、ハイキング道に立ち塞がる様に登場したまた別の廃集落。こちら側が「白岩集落」の本集落(?)のようです。

 こちら側の集落はハイキングコースに直接接しているせいか、心ない侵入者による侵入を繰り返し受けた印象のある家屋が多いです。基本的には手入れのされないまま風雪に晒され段々と荒れていっているのでしょうが、いずれにせよかつての住人達にとっては見るに堪えない光景であることには違いないでしょう。

 集落の裏手から「白岩」の地名の元と思しき山に張り付いた様な剥き出しの岩壁が望めます。集落の裏手に用意されたこのだだっ広いスペースはかつてもしかするともしかする場所だった様な気がします。

 よく見ると「白岩」の前を横切る作業用ロープウェイ。更に向こう「白岩」を登るヘルメットを被った作業員の姿。先程の爆音モノレール族の一員でしょうか? 少なくとも命がけでお仕事しているのが良くわかります、お気を付けて。この姿をこどもに見せてあげれば子供は一生おとうさんを尊敬すると思う。

 するとこの時「トットトットコ・・・」森の方から明らかに四本の蹄が土を蹴りながら近づく音。ヤバイ・・・大バカの鹿野郎だ。

 シカは野郎ではなく角のないクソズベの方でした。幸いにも私が立つ大分上の方を例の如く「あっしゃぁ何も考えてございやせん」と云う顔でとっとこ走り抜けていきました。これが同じ対角上に駆けてきたらマジヤバかったです。あいつら本当に前見てないのかと思うほど動く障害物には無頓着ですから。さっさと走り去っていったのはヨイですが、写真に収めること出来ず・・・。

 集落の上の方は一帯の聖地なのでしょう。お社が固まって奉られていました。まだ白い新しいお社に最低限のお手入れはされているようですので定期的に恐らくは集落の元住人が訪れているのでしょう。

 今は辛うじて立っている建物も度重なる風雨に永遠に抗える道理があるわけではなくやがて倒壊して尚も洗われ草と土に隠れる日がそう遠くなく訪れるのです。その時往時を偲ばせるのはかつて庭先を楽しませていた花のみなのでしょう。

 集落に入ったところで少し雨が降ってきたこともあり、ここで大分時間をとってしまいました。予想外におもろい体験を得たところで、いよいよこれからはひたすら登って後は下り、名実共に消化試合に入ります。見も蓋もありませんが私は別にハイキングがそんなに好きなわけではないのです。ハイキングの過程で得られる妙な景色を得るために仕方なく登っているという感が強いのです。あまり体力もありませんしね。

 と言うワケで登り道、解説はなしです。ひたすら登り続けた様にただ写真を挙げるだけにします。一応断っておきますが、道は倒木だらけで世間一般で云うところの「荒れた」状態ではありましたので最低限の注意は心掛けましょう。

 前後に「1」も「3」も見当たらないのが大変気になる逆さまになった「2」の看板(?)を越えると

 到着、「鳥首峠」。峠には立て札と峠の神様を奉る祠。祠の御幣「昭和四十五年」の文字は本当でしょうか? 峠は両隣の峰を結ぶ稜線の途中にありここから両隣の山へ登ることが出来るようです。「鳥首峠」の名前の由来は良くわかりませんがいくつかの説の中に「落ち武者がここで追っ手に捕まり首を取られた」と言う私好みのモノもあるようです。「尼子の残党も登るの諦めた・・・」ちょっとそんなセリフをつぶやいてみたいですが、ここは埼玉。

 峠を抜ける風が汗にまみれた体を心地良く冷やすのですが、あまりに急激に体温を奪っていくためこのまま眠ってしまえば心臓マヒは確実、山の上だからということもありましょうが少し雨も降り出し、いずれにせよ長居は無用につきさっさと残りの下り道に取りかかるとしましょう。

 ちなみに峠を下り始めた時点の時刻15:50頃。予定ではこのまま秩父側に山を下り、最寄り駅秩父鉄道秩父線浦山口駅を目指す。山を下りて県道到着の時点で駅まで約10キロ。バス路線は廃止につき全て徒歩。ここに来て急に「ローカル列車の終電」時間が気になりだし、果たして地元まで無事帰ることが出来るんだろうか? と大変心配になりながら。

 帰りの秩父方面、下り道を強行します。

 峠の秩父側行路も基本的に名栗側とあまり変わらない程度の荒れ様。ただこちら側は時折道筋がはっきりしていない場所が登場して部分部分分かれ道のようになっていてルートの選定に迷うような場面が多々あり、その辺は注意しなければ大変コワイのですが、

 所々「正規ルート」と思しき方向に写真のような赤いビニールテープが巻いてあり、恐らく正規のルートを指し示していると信じてこの「赤」を探しながら進んでいくのが基本となったのですが。

 時折このように明らかに狂ったような方向を指し示す「赤」も登場してなかなか一筋縄ではいかない。

 赤と云えばこの写真、道から谷を隔てて遙か遠く、近づくことの出来ない場所に生えている木なのですがその位置から見ると不自然に染められたように木肌が赤くなっている。アレがなんなのか全く見当付かずコレが今回の峠行一番コワイ物件でした。

 もはや荒れた道なんて珍しくも何ともないのでてきとーに端折って、その末に現れたのが再び廃集落。この道上に存在する秩父側の廃集落は旧冠岩の集落です。例の電子国土地図には小字名が一応載っております。また、何故かYahoo!地図の方にも地名として載っておりますが*1、地図上山と渓谷以外何も記されておりません。

 「冠岩」とは旧集落下方にあった岩から付けられた名前だそうです。その岩は後に登山道整備に当たって破壊されたとのことですが詳しいことは良くわかりません。山側から集落に差し掛かると出迎えてくれるのが写真の多くの石塔婆を従えたお地蔵様です。きちんと花が手向けられお供えもあり周囲に賽銭も散らばりここも今でも定期的に訪れる方のいることを教えてくれますが

 何故かお地蔵様の前に不自然な形でひっくり返ったなんかの屋根。実はつい最近までお地蔵様はお堂に収まって雨露を凌いでおられたのがある時屋根を吹っ飛ばす程の風に煽られ今は雨ざらしになってしまっているようです。
 
 お地蔵様の周囲は墓石やその跡が残り一帯寺院か代々の墓地だったのでしょう。ここ「旧冠岩集落」も廃集落のご多分に漏れず手入れを放棄された雨ざらしの末崩壊もしくは崩壊寸前の家屋が点在するという状況ですが、外見手入れのされている様子の窺える、常在されているわけでは無さそうですが元住人の持ち主の方が今も定期的に訪れていると思しき家屋が一軒、お庭にはなれて様子で使い込まれた山仕事道具が置かれ水道の代わりか山上から流れる沢から直接引いた水の常に滴る竹の樋が自然に風流に見えますが、全ては生活の知恵の裏返しに他なりません。もちろんそこが風流なのですが。

 集落の外れには川。そこを渡す二本の丸木が故意か偶然か橋の代わりの役目を果たし川の向こうへ渡れないこともないのですが、見ての通りのコケまみれにつき渡るに大変な勇気も必要で、よってパス。「何かがありそう」な雰囲気は見せているのですが、謎。

 集落を離れて道は川に沿って進み・・・久々に「マトモ」な橋を渡ると周囲遮る木々はなくなり山道はここで終わりです。ただし、まだ周囲山しか見えない山の中であることは代わりありません。

 秩父側からの登山口に当たるこの場所にこんな掲示がありました。身内を山で亡くしたか、ただ単にいなくなったら探すのが面倒なのか、良くはわかりませんがいずれにせよこの教訓を殆ど守れていない、ドコロか率先して消息を絶つ素振りも見せる自分としてはただ恥じ入るばかりとしか云いようがありません。消息を絶ったら悲しむ人のいるマトモな登山者はしっかりとこの教訓は守りましょう。私もこれからはどっか行く時行き先を自宅の冷蔵庫に入れておいてきちんと判るようにしておきます。

 山道が、舗装された道路になってこの時点で時刻17:21。一応存在していてこの近くまで来ていた市営系のバスは最終が4時と既に全くアテに出来ないこともよくわかり、信じるの自分の脚のみと、後は時間との戦いですね。

 徒歩で10キロたぁ大体どのくらいが標準の相場なのだろう? いずれにせよここからは前にも増して消化試合の雰囲気は強いので尚適当に。まあ、景色はキレイでしたよ。ダムとかあって。歩行者はおろか自転車のヤツさえいなかったけど。

 すっかり日も暮れて、オマケに道まで間違えましたが浦山口駅着19:45。順当といったところでしょうか? 当初の予想より大分早く到着したので電車1本遅らせて駅構内ふらふら。

 疲れていてあまりすぐ動きたくなかったというのもあったのですが。そのせいもあって秩父鉄道秩父線西武秩父線の乗り換えが結構な距離歩くと知ると物凄く腹が立って仕方なく。本当にセコい商売しやがって堤はと。それにしても明日は仕事。でその後バイクで岡山行の予定。・・・我ながら思いますよ。大丈夫なのか?、と。この日この後、西武線に乗り換えてから正丸駅当たりから記憶がはっきりしません。 おわり