Wonder Toi その二 塔下戸井線亡骸晒す

 トイレを借りた函館市役所戸井出張所ではトトロが門番をしていました。

 戸井出張所こと旧戸井町役場内のトイレを案内してくれたとうばんのおっちゃんはやはりというか旅人に、「どっからなにしに来なすった?」と聞いてきた。いつもの如く当方あまり一般的でない観光をしているのでこの質問をされた場合単純明快な答えが大変得難い。あまり気の利いた言葉も浮かばなかったのでココは正直に「要塞」と答えるとさも当たり前のように「よう来なすった」と歓迎される。さっきのネコ連れたおっちゃんもそうだったが、旧戸井町民にとって要塞の存在は至極普通のコトらしい。

 ふと外を見るとここにも「悲願」。目と鼻の先の青森下北。最早達する可能性の殆ど無い「悲願」が多いのは北海道だけのことではない。
 トイレ借りたお礼に戸井地区にお金を落とそう。お昼時と云うことでおっちゃんにこの近くにメシが食えるとこがあるか聞くと「もうない」とのこと。この「もう」がなんとも。仕方がないので戸井地区へは自販機のお茶でささやかにお金を落としました。

 さて次の目的は有名な旧戸井線の遺構です。これもかつての悲願・・・あ、「旧」は余計ですね。「旧戸井線廃線跡」。なんとなく通じそうで全く間違った実に奇妙な単語の羅列です。

 奇妙な単語に相応しく、まず最初に訪問=挑戦したのは汐首岬近くの隧道遺構。函館市街から恵山国道を戸井・恵山方面へ向かっているとイヤでも目に入ってくる、廃線跡(また間違った)としてはかなり派手な部類に入る戸井線遺構ですが、この隧道部分、すぐ目の前にある派手なアーチ橋跡が目くらましになりちょっと目立たない、そんな部分が探索心をくすぐります。
 ただ、戸井線の路盤、旧戸井町域に入ると海岸近くまで迫る山のお陰で概ね高い場所に作られている。当然トンネルも高所、同夜手アクセスするか悩んでいると

 何故か、路盤まで立派な鉄製の階段。まだ錆びてません。そんなに廃線跡を探訪して欲しいのか? と云うワケではなく津波の際の高所避難とか治山の便を供するモノなのでしょう。
 立派な階段もあることだし、ここは調子に乗って直接隧道にアプローチするのではなく、アーチ橋の上を渡ってとしゃれ込もうか。

 と、路盤到着。当然と言えば当然のことなのですが、現在長大な階段を登ってまでこんな廃墟をアプローチしようなんてヤツは極少数のバカしかいません。つまり、見かけ人造アーチ橋でももはや人が通れる様な隙間皆無に等しい。

 そして当然のことながら一度上に来てしまったモノは簡単に引き返せないのです、めんどくさいので。仕方なく道無き道を踏み分け掻き分け、木みたいにぶっとくなった雑草の茎を足に引っかける、得体の知れない花は顔にかかる、飛び散った綿毛は鼻に入ってクシャミとハナミズ塗れの急性花粉症に陥る、キツネだかタヌキだかの白骨化した死体を踏みつけてひどくブルーな気分になる。

 そんな時に気を紛らせてくれるのが高所故の眺望豊かな絶景、と言いたいトコロですが、グズグズしていてさっき踏みつけた白骨化したタヌキだかキツネだかが仕返しに追ってきては大変ととにかく先を急ぐのでした。写真は汐首岬、白骨写真は自主規制。

 アーチ橋上海側、滑落防止のためだと思われますがアルミの柵が付けられています。誰に対する滑落防止策なのかはよく解りませんが、草虫白骨に追われて路盤の縁に追い込まれても最悪の事態は避けられそうです。が、怖いので当然体重を掛けて写真を撮ったりとはしません。

 結局20分位かかったよぉ。ぱっくり口を開けた隧道へ到着。隧道へ近付くにつれて海からの風がトンネル内に物凄い勢いで吹き込んでいるのを段々と体感できます。つまり隧道内、閉塞の措置はとられておらず現在でも貫通したまま。

 風のせいで隧道入り口付近に生えてる草はみんな横向き

 隧道進入してすぐ、何やら大量の堆積物で土手の様になっている。

 上部を見てもこの堆積量に比定できる様な巨大な崩落は起きてないので外部から持ち込まれた土砂であることすぐ判るけど誰が何のために? 土砂での閉塞を試みたのだろうか? ただそんなに高い堆積でもないので容易に踏み越え可能。 

 ただ全く崩落が起きていないというわけではなく、隧道内の天井部分、このような穴が所々開いていて、60年以上放置の傷跡と言うべきか

 この穴、なんか中に不安定っぽい大岩が詰まっていて、「おら出るぞ、今出るぞ、すぐ出るぞ」って感じで真下を通過するのがすごくイヤ。

 ここら辺はガチの崩落っぽいですね。

 天井崩落の恐怖に打ち勝つことができれば堆積物の土手の高所から隧道内部の一望可。見ての通り函館側出口がすぐに見える、至極短い隧道です。
 「未成線の隧道」と言うのは今回初めての経験なのですが、その特殊性や足を踏み入れるとすぐに異形感を感じる位で、まず「一度もレールを敷かれたことのない路盤」が物凄く特殊。レールそのものは当然のこと、枕木の断片、犬釘、バラスト等々。そして蒸気時代の隧道にも関わらず黒い煤で全く汚れていない白い天井、にもかかわらず経年の跡。とにかく「鉄道としての痕跡が全く確認できない路盤と鉄道単線程度の広さしか広さの確保できていない隧道」のミスマッチたるや、常識では量れない。もっともこの場所に勝手に侵入すること自体非常識なのだから非常識の心で非常識の場所を推し量り、丁度良いか。

 そしてこれまた異形、隧道側面に穿たれた退避抗。

 そして天井には夥しい亀裂。

 函館側坑口にはなんかの廃材なのか木製の廃棄物が大量に放置。やだね、なんか。

 函館側坑口の天井部。山の形に沿って斜めに区切られているのですごく不安定な印象だが崩落はまだ無い。

 ただし坑口近くから外を見ると角度によっては微妙に歪んで見える外の景色。この函館側坑口、見ての通りど真ん中に木が押っ立てられていて、電柱でも無いし用途不明。そして坑口間近までほとんど壁と化した雑木、雑草が生い茂り、もはや道具無しでの侵入は不可能。この先にもう一本、崩落によって閉塞している隧道があるらしいのだが、ここからでは坑口の姿さえ確認することができない。この先踏破断念。

 方向を変えればまた違った印象で見える隧道内。こちらから見ると廃棄物が気障で腹が立つのだが、天井のシミも崩落への小さい予兆を確実に告げる。そして土砂で半分埋まった汐首側坑口。こちら側にいる内にいつの間にか閉じ込められそうな錯覚を感じて急に怖くなる。

 もはや頭上・側面の亀裂とシミから目を離すことができない。そんな風に上向きに歩いていたら再び動物の白骨踏む。今度はテンか、さっきより細いの。もうイヤだ。

 電化を考慮してか天井にはこのような小さい孔が一列上に所々存在。今ではこの孔こそが崩落の引き金になっているのではないだろうか。

 クマの引っ掻いた様な崩落跡の模様。

 やっと、尊い出口の光が。

 楽しかったですよ、隧道探索。ただこんなにひどく後味の悪かった体験もあんまり無かったかもしれませんね。この隧道と周辺路盤、なんか床下並に動物の墓場になってるようですからとりあえず白骨踏まない様に気をつけた方がよいです。動物どころか多分人の死体捨てられても白骨になる位まで気付かれないでしょう。

 気を取り直して、次に訪れたのは汐首岬灯台です。写真、灯台の足元に既に見えている様に戸井線の橋脚がそのまま放置されており、灯台の足元からは戸井線以降で一番有名な長大アーチ橋が上から望めると云うコトで、ついでに海を挟んで下北半島を望み北海道・本州最端距離を堪能しましょう。

 戸井線路盤と灯台までの道との交差点。戸井線開通の際には踏み切りが出来てその後順調(?)に廃止となった暁には踏み切りの一部なりとも残っていたかもしれませんが現実は見ての通り物凄い勢いでススキに占領されている路盤跡。

 お目当てのアーチ橋上部はぼうぼうに生い茂る草に遮られて全く見えませんでしたので橋脚のドたまでお茶を濁しておきます。

 これは普通に見えた下北半島姉妹都市の昔から仲良しさんが原発作り始めちゃったらどーいう反応を示せばよいのですかね、大間戸井。

 汐首岬灯台敷地を降りて、少し国道を歩くとすぐにアーチ橋は見えます

 まあ超有名物件だし、どこ行っても拾えることだしここはてきとーに写真挙げときますね

 折れちゃってんのはすごいよね。何せ鉄筋無くて木や竹で骨にしてるんだもんね。

 本当にすぐ裏側、汐首岬灯台

 さて最後に「戸井線沿線で一番格好良い参道を持つ神社」で戸井線遺構及び戸井周辺探索を締めようと思います。
 
 これは正直崇拝と参拝の対象を勘違いしそうな立地条件の鳥居。

 川を渡っているせいか戸井線に残るアーチ橋の内、この部分だけキケンを侵さなくとも歩行可。

 幻の戸井線の雰囲気を、危険無しになんとなく感じちゃいましょう。

 さて戸井、正直言って決定的産業の衰退によって寂れつつある北海道沿岸部の漁村という印象を決定的に拭える場所では無いのですが、数残るスケールの大きな「廃モノ」が静かに異様の雰囲気を湛え、しかもその遺構がどれも過去勃興した産業と全く関わりの無かったという点が更に異形の感をましています。戸井町の由来はアイヌ語で「食べる土のある場所」を意味する「チエトイベツ」から来ているということですが食べる土とはどういうモノだったのでしょうか? 道南を代表するお高く気取った都市*1函館市の郊外にこんな不思議な場所があるとは本当に驚きです。昔土が食べられた位豊かだったこの地は今では好事家的好奇心を満たすたくさんの食べ物で溢れています。少し工夫すれば充分に豊かになれそうです。
(おわり)

*1:今回の旅で話を聞く機会のあった札幌在住元ライダーの評 私が言ったんでは決して無い