三笠市内、炭礦の痕跡を求めてウロウロ歩くその2

 (http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20101028の続き)
 住居として現役の旧炭鉱住宅を後にして次はいよいよ直接の炭鉱関連施設にアプローチすることとしてみます。

 少し調べてみるとこの三笠市弥生地区にその昔住友系炭鉱の坑口があったとのこと。ただしこの周辺の坑口は早い時期に統合されて奔別に一本化されたと云うコトでこの「弥生坑」はあまり長い期間稼働していなかったとのことですが、その塞がれた坑口が朽ちるに任せて放置されているとのこと。さっそく行ってみましょう。

 ところで目的の坑口の位置、いかに多くの抗夫達を飲み込むが如く存在した巨大な「口」と云っても適当に歩いて見つかるほど巨大な「穴*1」ではないので*2事前に大体の場所を調べてWEB上の地図に反映させますと

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 なんか住宅地に存在する事になっています。確かにこの弥生地区周辺、いかにもな旧炭鉱住宅が現在も現役でいくら何でもこれはないだろう、礦山と云うくらいだからせいぜい山の中腹にあって産業のなくなった後周囲は廃墟か山野に戻っているだろうと思い、そんなニオイのする方向を探って歩いて行くと

 ありました。見事な産業遺産です。問題は炭礦とあまり関係ないと云う点です、あ〜あ。

 住宅地に戻ってしまいました。産業なくなったと云っても立派な住宅地、現在残っている住宅の様子から結構な市街地であったと窺われます。その時壊してしまったか

 などと思っていましたら唐突に発見。本当に唐突。なんじゃこりゃ。

 夏草が生えまくり緑でほとんど覆い尽くされていますが、その威容は充分すぎるほどよく判ります。敷地内、「勝手にゴミ捨てるな」とは書かれておりますが「入るな」との文字は見当たりませんでしたのでもうちょっと近寄ってみましょう

 「住友奔別炭鉱弥生坑坑口」と云うのが正式名称だそうです。長い間本当にほったらかしだったのでしょう、所々ボロボロに朽ち果て任せて表面はザラザラ、まさに廃墟です

 坑口の先に嘗ては実際に地下坑道へ潜り込む斜坑があったのでしょうが、こちらは一面埋め込まれていてただの壁になっています

 そんなに幅のあるわけでもなく、遮蔽物もないので簡単に裏手に回り込めます

 するとますます強くなる廃墟感

 坑口を支える柱から所々鉄骨がむき出しに

 坑口正面の「壁」。こちらも所々崩れ落ちております。本当にこの場所に斜坑があったのか全く確認しようがありません

 坑口を反対側から。見ての通り住宅地に思いっきり接してます。そして誰かに勝手に利用されています坑口

 驚いたことに坑口内、所々剥がれた内壁より丸太様の木材が見えています。直接風雨にさらされない内部の骨材には木を使って「木筋コンクリート」としたのでしょうか? 

 鉄骨が辛うじておりますが崩壊は時間の問題でしょう

 密林に消えゆく古代遺跡を見ているようです

 さてこの遺跡、明らかに坑口跡と判る構造物の隣に同様の建材と思しき構造物がもう一つ、

 やはり相応の崩壊が進んでおり何の目的で建てられた施設なのかは全く判りません

 ただ元々の建物の構造なのかそれとも本当に偶然にこのようになったのか古代神殿のような形状の部屋が形成されており、これまた妙な廃墟の様相を見せておりますが例の如く誰かが勝手に利用していると思しく色々ぶち壊し

 それにしても、本当一体何だったんでしょうねぇ。

 このように住宅地近くにも関わらず、本当に無頓着に放置されている当坑口、その容易なアクセスにも関わらず産業の痕跡としてなかなか迫力ある素材を提供してくれます。こんなんが無造作に転がってる三笠市、まだまだ奥が深いのです つづく 

*1:正確には「穴」の「跡」

*2:この後のお話にあるのですが例外的に「適当に歩いていても見つかる坑口」と云うのがありまして、不用意にその場所に行き合うと腰を抜かすほどびっくらコきます