田子倉駅・大白川駅間の六十里越 その2 六十里越編

(その1→http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20101126)
 さてお話は前後してしまうのですが、下車後どうするかについては正直大まかな計画しか立てていませんでしたので、実際に下車して田子倉駅ソノモノを堪能する興奮が少し冷めると体の方も冷えてくるくらい結構寒かったのがこの日の気候でして、始めは漠然と「田子倉駅只見駅、国道田子倉湖沿い紅葉見学秘境駅一駅行」と現状極力妥当なコースを想定していたのですが、事前情報「福島県只見地方雨時々大雨」の予報にこのコースの強行には少し障害があること判明。もう一つのコースとして「田子倉駅→大白川駅、国道六十里越キツ坂コース」が想定されますが、こちら現在でも名うての難所と云うコトで途中大雨でも行き当たろうモノなら目も当てられない、とは云うモノの先程大白川で見た朝焼け、新潟側は場合によっては雨足弱いのでは? と大雨太鼓判の只見よりは多少、微かなながらも希望的観測が可能なのでは? 大体秘境駅から歩くのだから県境越えた方が赴きあるだろうというコトも手伝って田子倉駅下車行、六十里越経由県境越えに決定。よしゃぁいいのに・・・。

 田子倉駅には当然の如く便所などと云う人多少でも人心地着くコトの出来る施設など想定されておりません。ですのでここらでもよおしてしまった場合、駅から5分ほど歩いたところにある「田子倉休憩所」まで歩かなければいけません(Wikipediaより)。休憩所へ行く途中間違って右に曲がるとそのまま登山道に進入してもよおしたまま強制的に登山をさせられコトになるのでお気を付け下さい。もよおしたまま登るとたぶん遭難します。

 田子倉休憩所は駅からも見える位置にありますのでその意味ではそんなに心配はありませんが重大な欠陥があります。それは「閉まっては入れない」と云うコトです。これがシーズンオフにつきの処置なのか管理がめんどくせの半永久的な処置なのかは判断に困るところなのですが、休憩所の窓という窓、戸という戸全て板で塞いでいるところから見てどうも降車の可能性が高いようです。やはり山に来たからには基本に立ち返りキジ撃たねばならぬか。

 まだ見ぬ憧れの六十里越を一足先に貫く只見線のトンネルは休憩所のすぐ脇から始まる。

 気を取り直していよいよ六十里越と向かいます、といきたいところですが実はもうこの時点で雨足弱まるどころかますます酷くトコロにより横殴りに、出発する前からまさにケチの付け通しというヤツで前途全く明るい兆しは見えません。こんなにケチが付くならいっそ止めにしようかいきたいところですがそこが秘境駅行の恐ろしいところで止めにするためにはどーしても次の駅へ行かなければならないのです。

 気のせいか狙ってか、それとも丁度雪崩のポイントなのか、大体同感覚で登場するのがこの覆道。雪用か岩用か、どちらにせよ今は雨を避け得るのが大変有り難い巨大な傘。これも気のせいかもしれませんが覆道をくぐり抜ける度に

 雨足の強まったり弱まったり。覆道抜けると大体が急坂の始まり、また覆道という流れなので坂を流れる雨水の滝と見紛う様が雨足の印象を左右しているのかもしれません。印象云々より問題は流れに足下をすくわれる可能性があると云うコト。舗装道でもナめてはイケナイ。

 ナめていると云えばこの橋の名前。この期に及んで誰に出会う、もしくは業平っぽく「逢う」の字使うか?敢えて避けたがやはり「遭う」の字が正しいか?

 そして今度目の前に現れたのは覆道でなくトンネルの入り口。私その昔の幼児期の頃、どんなろくでもない場所から得た知識なのか「山腹にぽっかり空いた入ると戻って来れない謎のトンネル」という妄想にしばしば苛まれ苦しんでいたのですが、急傾斜を登り切った先、明かりの全く漏れてこない崖に開いたこのトンネルは久々にその妄想を喚起させてくれました。

 内部も過疎国道(?)*1に相応しく電灯などと云うおされなモノは付いていない、トンネルの半ば辺りは昼でも全く光の届かなく暗闇、この六十里越行で最も車が恐ろしい区間です。ひき逃げされてもまず気付かんだろう死体見つからんだろう国道なのに、と云う妄想に苛まれながら暗闇のなんと深いことか。そんな妄想に打ち勝つためかトンネル区間きちんと歩道アリ、歩道の縁石に反射板アリ。

 トンネルを出ると眼下のダム湖。峠道を(這い)登ってきたこと実感。余りに急峻にして越えるのに「まるで六十里を越えるが如き」とされたこちらの峠、まだまだ先は見えません。
 峠に向かって当然の如く雨風強まる。山の雨が横から飛んで来るのは当然のコトですが、始終ひっきりなしにたたき付けてくるワケではなく、時折急に強まり、急に止んで、また強まりの繰り返し。車は殆ど通らないのですが、一応道の端っこを歩いて柵のない断崖のところなんか来た時は急の突風に要注意。そうやって大分高い位置からイイ角度に見下ろす形になった田子倉湖を撮ろうとするとなんかシャッター下りず。どうやらカメラトラブル。ふと横を見ると「内閣総理大臣田中角栄」のサインのある当国道完成を記念する碑。普段からの「役人利権国家を構築して予算を食い潰した元凶」「上越新幹線イラネ」「真紀子は大バカ」等罵詈雑言尽くしに罰を当てたか、いずれにせよなんとか復帰してもらわねばと崖上で色々カメラいじくっている横を何しに来たんだかウチの実家と同地域のナンバーの車が、恐る恐る横を通り過ぎて行った。今まさに飛び降りようとしている、とでも思ったのだろう。

 と云うコトで、以降写真ナシ。道相変わらずのでろでろ坂をうんこら登っていきます。周囲日本有数にえらいこっちゃの豪雪地帯、急坂登って高度の変わる度に登場するのは巨大なスノーシェード。ただし時々「ロックシェード」と書かれた覆道もアリ。雪と岩との攻撃を受ける当道路、つまり、難所なのです、本当は。いずれにせよ時折現れる巨大な屋根に少しの間だけ雨風をしのげる屋根となるのは大変に有り難い。それにしても、カメラという撮影兼記録手段を失ってしまった現状で尚も六十里越を踏破して大白川駅へ行く理由はなんなんだろうか? 

 標高上がる毎に雨風強まり、ある程度雨を避ける装備はしてきたモノの手にカメラがなくなった以上防滴の意味は半減しているので半ばどうにでもなれとの気分で雨曝しにあっている間は意外と風の寒さ、水の冷たさは感じない。一方で隧道に入っている間はありがたい屋根様のお陰で雨の害を防げているはずなのにどういうワケなのかこちらの方が寒く感じる。隧道と云っても谷側は屋根を支える柱で仕切られているだけなのでそちら側からの風がびゅうびゅう入ってきてまともに体にぶち当たるので風の強さを感じるという点では隧道の外も内も変わらない。雨の圧力に抵抗する気持ちが入っていない分風には敏感に反応するらしい、不思議なことです。他に隧道を歩いていて気付くのは、山側から流れる雨水だか沢だかの水がそのまま隧道の屋根にぶち当たり滝のような飛沫を上げて谷の方へ流れて行く。谷側に落ちる際も結構な水量を保っているのでこの時点でもまだ小さな滝並の水勢は保ったままなので飛沫越しに谷の向こう山の向こう靄の向こうを眺める様は滝の裏側に回ったような景色になる。昔話で滝の裏側から隠れ里に洞窟があるのはよくあるお話ですが、滝の裏を眺めながら越える六十里越、自分は一体どこに行くのだろうか? そんな気持ちも度重なるその隧道滝の姿に段々となんの感慨も感じなくなる、その内隧道そのものに飽きるが敢えて触れない。雨を防いでくれるずいどう様、まことにありがとうございます。
 もう数えるのも飽きてしまった何度目かの隧道、今までなら隧道の先に広がる横殴りの雨と舗装されてるマトモな国道としては最大限の傾斜ではないかと思うような道、それが今回先に広がるのは果てしない闇。隧道から直接トンネルに繋がっている様子。ただ闇と云いましても先程のトンネルと異なり天頂に沿って点々と尊いナトリウム灯のなまあたたかい光、もちろん視覚的には生暖かく見えても実際に熱など感じることはありません体は凍えたまま、いずれにせよ、ようやく、県境のトンネルに来たようです。ちなみにトンネルは日本語で「隧道」です。県境と云うコトは標高的にこの六十里越の頂点になるわけで、峠越えのクライマックスとなるはずなのですが、周囲の景色が全く見えないため全然雰囲気は掴めません。もちろん写真もありません。そしてなによりこの隧道、生暖かい程度の照明はあるのですが幅が異様に狭くしかも歩道がない。実は先程渡った照明ナシの真っ暗闇でも歩道のあるトンネルよりずっとタチが悪いのです。後ろから前から来るであろう車の影に怯えながらさっさとこんな隧道抜けてしまうのが正しい歩行者の在り方です。余裕があるなら見てみましょう、このトンネル造りがなんとなく古くて味はある。どうぞ命の危険と引き替えに。
 トンネルを通過して景色が開けると名実共に県境を越えて新潟県に来たのだという気持ちになれます。そのような旅人を迎える新潟県の景色はそのようなモノかと云えばやはり横殴りの雨の中、山また山に谷また谷を連ねる景色。福島県側と異なるのは山と山、谷の幅が狭いためより山奥に来ているような感覚にある点でしょうか? その狭い谷のずっと下の方に流れているであろう黒又川の流れが聞こえる。この峠間近の高所からこの雨風の中、余程の急流なのだろうか。道のの傾斜は福島県側と比べて割合緩やか。トンネルを出て少し下った先にまたもや碑。そしてまたもや田中角栄の名。肩書きが「内閣総理大臣」でなかったので先程の碑よりこちらの方がずっと先に作られたモノなのでしょう。道路の開通の記念と陸上自衛隊を讃える言葉。道路開削前に陸自が何らかの先鞭をつける作業を行ったのだろうか? とりあえずはこんなすげぇ場所に舗装道路を切り開いたコトそのモノは大変な偉業だと素直に思うので以後角栄の悪口慎む。
 下りに入ってからも早々に登場の覆道。新潟側は急な斜面を一気に登るような道路の造りでなく長い距離を稼いでだらだらと登る造りが多く、同一の斜面を行ったり来たりしながら降りて行く。なるべく一気に下り降りたいのでこのだらだらは正直腹が立つ。同一の斜面を行ったり来たりと云うコトは、その間悉く覆道が存在すると云うコトで、福島県側で既にどうでも良くなっていた覆道の存在がココに来てついにウザくなる。恐らくは覆道そのものがウザいのではなく、ついに峠を越えて長い旅路ももうすぐ終止符かと思っているところへいつ果てるともなく続くだらだら坂、付属するモノは全てに関して憎い、憎い、と言うヤツです、つまり覆道は国道の袈裟です。もうココまで来ては経験すること全てがどーでも良くなってきていると言っても過言では無くなりつつありますモノので、例えば道路工事中、片側誘導を促す誘導員のおっちゃん、視線の先に現れる車を捌くのが仕事なので恐らくどんな車が来ても躊躇しない気概は既にできているでしょうが、その視線の先に軽装備の人が歩いて来るのを見ると例外なく目が丸くなるのがワカル、そんなコトも平気になります。
 肉体と共にマヒする精神、どんな絶景もこの心を溶かすことはできないだろう、そんな気持ちを包み込むように解してくれる景色がついに現れます。そうです只見線の線路です。只見線は実際の六十里越のずっと下の方で長大な六十里トンネルに入って早々に県境を越えてしまうためそこから先は福島県側、田子倉駅近くになって道路が標高を大分下げるまで線路の影さえ踏むこともできなくなります。ただ、「こんなアホみたいな山中に線路がある」と云うだけで凍てついた心を溶かしてくれるに十分の景色なのですが今回元々の目的がこの線路と密接に関連していると云うコトもあり、全く先の見えなかった目的地に近づきつつあると言う感動は並大抵のモノではありません。それだけで疲労に重くなった足取りが勇躍のあまり軽くなろうと、人間はそんなに単純なモノではありません。ともかく以降、ほぼ併走している只見線の線路とこれまた並行して流れ水面の様子が大分近くに見えるようになった黒又川と先程までとは異なった景色を横目に先を行くことになります。相変わらず頻出の覆道ですがもはや気にも止まらなくなります。もうすぐ、もうすぐ、の、はず。
 そのもうすぐがとても長いこと長いこと、峠のてっぺんから続く下り道に油断してもう出会うまいと思っていた不意打ち的な上り道、油断の末の不意打ちとは言え思っても見なかった上り道がこんなに辛いとは思わなかった。上り道の先は大抵足下で只見線トンネル潜って向こう側、つまり上り道の度に只見線の位置が左から右、右から左、再び右へと変わる。その変わった先がきっと目指す駅だろう儚い夢、と言うよりはいい加減体も冷えてきたしとても切実な思いは線路の位置が左右する度に打ち砕かれる。そして3時間に一本程度の本数とする只見線、当然の如くいつまで経っても線路の上を走る列車の来る気配も見えない。おい、線路、お前は何のためにそこにあるのか? 問いに対しての答えも行動も見せてくれない線路にいい加減腹が立ちうんざりする。ここに至って只見線を遡って一駅歩くという暴挙の果てしない危険性を味わうことになったのだ。
 このままではきっと只見線が大嫌いになるだろう、そんな恐怖と戦いながら田子倉駅より約4時間余り。本当に辛かったのは急峻な六十里越の坂道でも傾斜を迂回するだらだら道でもなく、目的地の気配が感じられるのに却って全く先の見えなくなった最後の1時間だった。人の活動していそうな家屋は田子倉駅を出てから4時間45分程経って差し掛かる大白川駅周辺の集落だったので、「人がいない」と云う意味での秘境度は田子倉駅〜大白川方面に限定するとかの小和田駅を上回します*2。雨は相変わらず、既に気力も萎えとぼとぼと足を運ぶ大白川集落の家並み、誰一人として家から出てくる者はいない、そんな秘境駅歩きとしてはある意味最高の歓迎を受けながら出迎えてくれた大白川駅、やっとつきました。そして次の列車まで待ち時間約2時間。サイコーです。
 朝イチ始発列車で大白川駅に停車した時は行き違いのある程度の時間が取れたことから何気なく駅周辺のチェックはしていました。その時駅の2階のソバ屋になっていることを確認はしていたので、早く着き過ぎたらそのソバ屋でメシでも食いながら14時くらいまでなら粘れるだろうと考えていたのです、浅はかなことに。このそば屋の今期の営業が昨日をもって終わっていたことなどつゆ知らず、そこの暖房で濡れた衣服を乾かしてと後から追加された切実な計画も全ておじゃんです。そば屋の開いていない大白川駅、利用できるスペースは入り口からホーム方面に抜ける旧券売窓口前、今は券売機の置かれているベンチもない待合とも言えない通路のようなスペース。外にはベンチがあって辛うじて雨はしのげるものの、山から吹いてくる北国越後のハンパナイ颪が容赦なく体温を奪っていきます。濡れたままではそれはもう凍え死ぬ勢いではないでしょうか、動いてでもなければ。
 当てが悉く外れ、残り2時間余りをどうすごそうか。ふと今来た道の方向を見ると黄色い看板で「飯食うとこあり1.5キロ」みたいな文字。大白川の集落の中心部は駅のある場所から北東、今来た道を途中で逸れて浅草岳の方を登っていく途中にあるようです。1.5キロ・・・2時間の間に行って飯食って帰って丁度良い時間・・・どうせ動いていないと最低でも風邪引きは確実なのでここは躊躇するヒマもありません。どうせ誰も来ないだろうと荷物は最低限にして、あれほどいやがっていた上り坂を再び胸に点った期待と共に登っていきます。
 そんなに苦もなく行き着いた「地元農産物とか売ってて食事もできる」みたいな建物、こちらも既に今期の営業は終わっていました。思惑呆気なく玉砕。帰り道の足取りの重いこと、風の冷たいこと、雨の痛いこと・・・。
 ちんたら歩いて時間を潰したと云っても限度があります。まだ1時間以上を残して再び暗く冷たい大白川駅で今度は何の希望もなく空腹のまま待たなければいけません。なんと言うことだろうか、腹イセに緊急連絡用の小出駅直結電話でイタ電のひとつでも掛けようか。そんなことを弱者を虫の如くひねり潰すのを得意とするJR東日本に仕掛けようモノなら仕返しに次の列車大白川通過という逆襲を受けかねず、熟慮の末もっと建設的な待ち時間を過ごすことにした。何か考えているのでも体はどんどん冷えていく。ここはやはり、山の遭難小屋での避難時と同じ理屈で、とにかく体を動かして体を暖めよう。それが一番建設的だ。
 よく聞くに山小屋での同様のケースの場合、部屋内の各角を結ぶようにぐるぐる走り回る場合が多いようです。私もそれに倣ってそのようにしようと思ったのですが、駅舎の一角を占めるおそば屋さんが閉店しているこの日、駅舎内で人が歩き回れるスペースは1×3メートル程度の細長いスペースしかないため、走るの無理。そのためとりあえずはひたすらその場駆け足・・・。
 ウチの地元の部活では「モモアゲ」と呼んでいました。こんなに真面目に「モモアゲ」をするのはどのくらい振りでしょうか。何回か「モモアゲ」回数のノルマを課して休みまた再開・・・気付いたのだが意味のない単純作業をひたすら繰り返すという行為は絶滅収容所の拷問と同じなんだな、と。体が暖まる前に気が狂っては意味がないと「モモアゲ」止め。
 次に試みたのはリズムをつけて体を動かす行為。これに一番に思い当たるのは当然の如く「ラジオ体操」。ある年代以降の日本人なら間違いなく頭に刻み込まれたリズム、こんな時に役に立ちました。けど音楽はありません。こういう時のためにちゃんとケータイの音楽プレイヤーにラジオ体操も入れておけば良かった。仕方がないので鼻歌で伴奏を取りながら体操開始。日本人の頭に染みついたリズム、日本人に生まれて良かった・・・。
 今では間違いなくお前なんかに人生を教える資格なんかねぇと断言できるクソみたいな教師が言っていました「ラジオ体操を真面目にやれば汗をかくくらいの運動量は得られる」。その通りです。良かったね○○先生、あなたもたまには役に立つことを話したんだね。それ差し引いたところであんたのクズ具合が何ら変わることはないけど。いずれにせよタコ教師に感謝しながら鼻歌伴奏で行ったラジオ体操は通しで2回、さすがに飽きました。
 その次に行ったのは「なのはな体操」です。もしもあなたが隠れ千葉島民をあぶり出したければこの体操をかけるとよいです。きっとその隠れ千葉島民はその音楽のリズムに合わせて踊り出すはず。かように千葉県民の心を蝕むなのはな体操、よもやこんなところで役に立とうものとはあのとき一瞬たりとも思いませんでした。けど感謝はしません。
 当然の如くなのはな体操も鼻歌伴奏。これは一回通せず途中で止めました。別に踊っていたすぐ頭の上に防犯カメラがあったからではありませんし別に踊ってる最中お隣の閉まったおそば屋目当てのついでに駅舎を覗く人が時々現れるからでもないですしまあ言うなればムナしくなったんでしょうな。目の前にあるのは無人駅と云うことで置いてある小出駅直通電話。あまりの本数の少なさに何度この受話器を取って小出駅にイタ電してやろうかと思ったことか。もちろんすぐ頭上に防犯カメラがあるのですぐにバレますが。それにしても防犯カメラに写る私は一体何をしているように写っているのでしょうか? 踊りの伴奏は鼻歌なのですがきちんと虚しうせず様に手持ちのスマフォはずっと何かしらの音楽を奏でてます。その内neco眠るを奏で始めたのを機に音楽も止めました。

 それからどのくらい経ったでしょうか?、と言いたいところですが前述の無駄な動きが功を奏し思ったほど長くなく残り時間を経る事が出来、お目当ての列車は大白川発14:04会津若松行き、発車の数分前に到着。屋根のないホームへまだ結構な勢いの雨を振り切り到着の列車に乗り込みます。誇張ではなくこれで本当に人心地尽きました。国鉄時代の椅子暖房がこれ程暖かいとは。

 そんな濡れ鼠の事情とは関係なく列車は一路只見方面へ。この時間只見方面列車*3には魚沼市商工会だか観光協会だかのスタッフが同乗して沿線のガイドをアナウンスしている模様。そのアナウンスが六十里越のトンネルを通過するのを伝える。朝と違って大分乗客も多い賑やかな車内、同じように急坂にヒイヒイ言って唸りを上げる国鉄気動車、峠を越えて唸りが収まる、これも朝と同じ。ガイドのアナウンスする田子倉駅はお隣田子倉湖とちょっと先浅草岳の説明にほぼ終始。この駅がどんなにヒドいトコロにあるか、そもそも駅からしてどんなにヒドいか、その面白さは実際に降りたモノしか判らない仕組みになっている。真実は常に隠されているモノなのです。実は私先程この駅で降りたんです、などという独白はこの真実を前にして野暮以外のナニモノでもなく、そうこうしているウチにまもなく只見のアナウンス。「(ガイドは)次でお終いです」とのお別れのアナウンスにふと思ったのは「そーか、ガイドさん達只見を降りて帰り道これから六十里を超えるか、『歩いて』」。イヤ、車か少なくとも復路列車で帰るだろ?普通。今時「テツ」の属性目的で六十里越を歩いて越すのはおめーくらいだ。(おわり)

しゃしん 只見駅18:00頃

*1:本当は通り過ぎて行く車意外と多し

*2:小和田駅は20分ほど歩けば例のお家と行き当たりますから。それだけですけど

*3:現ダイヤではマトモに日中を走る唯一