鳥居迷路

(http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20111202の続き)
 伏見稲荷の巨大な拝殿は一つ目の鳥居より僅かばかり歩いた先に有り途中キツネやら土産物やらに惑って寄り道しない限り御参拝は直ぐに終わってしまう。ところが伏見稲荷を訪れた方々で、この拝殿への御参拝のみで踵を返してしまう方は殆どお目にかかることなく、拝殿参拝後皆揃ってお約束の如くその裏山の方へと登っていくのは、有名な千本鳥居を潜るために他ならないのだろう。千本鳥居のその先に何があるのか、初めて参拝した者は皆思うことでしょうしかく云う私も当然その例に漏れず、千本鳥居の姿が見えるや喜び勇んで近寄るや、ふと鳥居を潜らずにどこまで鳥居の参道に沿って進むことができるのか試してみることにしてみました。

 横から見ると果てしなく続くかに見える(実際に殆ど果てしなく続くようにしか見えないのですが)千本鳥居、鳥居は当然の如く一筋の道に沿って少しずつ角度を上に、段々と更に奥のお山に向かっていくのが、鳥居の真下を通らず外から見ると良く解ります。千本鳥居の道の周囲は直ぐに土盛りになっているのかそもそも千本鳥居の参道が土盛りを削って作ったのかよく解りませんが、鳥居に沿っているつもりが参道より高所の地面を歩くようになるのでその内鳥居の頭の辺りが目前の視界に入るようになり、気付くと周囲は林、木々の中のまだ日の光の届かない暗くなっている方を赤い鳥居が気にも留めないように続いていくのは大変奇妙な光景です。鳥居に沿わなくとも、実は千本鳥居が始まる一番初めの鳥居の真ん前から鳥居を潜らず横に逸れて山でない、木々の生えていない方へと進む道の先にも鳥居のような何かの建物のような影が見えていて案外鳥居に頼らずとも道さえあれば伏見稲荷のお山内、何処へでも行けてしまいそうな風も見えて、当初は不思議に感じるこの初めての経験、後でイヤと言うほど体験するコトになります。

 さて肝心の千本鳥居、初めの方は少し太めの鳥居が続くせいか鳥居の感覚が大分緩くツキノワグマの成獣くらいなら余裕で通り抜けられる位の間隔が空いているのですがその内鳥居奉納者の、店名企業名でなく個人名が目立つようになるにつれて鳥居の段々と小さくなるにつれて鳥居間隔も段々と狭まってとうとうキツネ1匹通り抜けるのが精々だろうと云う間隔になるに至って、ここから先鳥居の加護の元お山へ行かねば何かしら物の怪の稲荷の加護に誤謬を及ぼさんとも限らず、大体からして千本鳥居の行き着く先に行き着く気がしなかったので少し戻って漸く私も千本鳥居のご加護を頭上に頂く事にしました。先程も言いました通り千本鳥居の周囲は小高い土手の様に鳥居道に迫っているのでその土手をずり落ちるように音を立てて鳥居内に飛び込んだところたまたまその場所を歩いていたクソガキが大変びっくりして遠く離れた後もキチガイでも見るような目付きでこちらを覗っていました、ごめん。

 でもまぁ初めての千本鳥居、興奮するなと言う方が無理と言うモノ。歩み進める毎に頭上を、体の周りを通り過ぎる何処までも続く朱の視界にきっと気付かぬウチに目は爛々と輝いていよう。既に数え切れぬ程の鳥居を潜り尚、尽きぬ様子のない鳥居を窺うに、初めは何時までもこの鳥居の尽きぬのを恐れ段々後にはその鳥居の何時か果てる事を恐れる。やっとのこと長い鳥居を潜り終わった時いつの間にやらには四肢満遍なく白色の毛の生えたる口に稲咥えたる御眷属の後に付いて身の未だ白色ならぬ黄色の毛の満遍なく生えてるのに気付いてないか、そうなったら先達の白狐の咥える稲を率先して拝し先に立とうか、それとも霊狐このままひたすら先達の尾の先からこぼれ落ちる霊験をひたすら拾い続け我が霊狐として身の振りだけをを思おうか、

 そんな妄想から解き放たれたのは

 鳥居の列の二股に分かれる場所に諸人多々屯してる姿が見え同時にそこにやや俗世の空気の蟠る匂いの感じられたからで、

 屯するは人のみでなく互いにただ奉納鳥居という以外縁する寄る辺無きように見える鳥居間々か細き糸でつなぐ大勢の女郎蜘蛛もまた、特にそのヒモ営みをもって生業と雄蜘蛛の存在がひどく俗世遠からぬ気にさせてくれて

 何とか狐化を免れたような気がする。最も一度くらいは狐にはなってはみたいモノだが。

 考えてみればこの鳥居の列の、純粋に稲荷神への帰依寄進の顕れとしてこれほど純粋なモノも無いように見えそれは紛う方無き信仰の神聖を顕していよう。一方でほんの僅かばかりでも何某かの期待願望の籠もらぬ至純の寄進も有り様はずも無く、その意味でまたひどく俗とも云える。


 神と俗と相塗れるならまたそのいずれでもないと云えようか、ならば神とも着かず俗とも着かないこの道の先にあるのは現世思う限りあり得ない場所のような気がする。そんな思いがまた身を狐化せんと誘う危うい所

 一旦鳥居の列は途切れ

 異界から吐き出されたかの如く辿り着いたその場所は異界の果てにしては随分と柔らかに光の差し込む陽だまり、

こちらはお山への一区切り「奥社奉拝所」と云うそうな

 ここから先が所謂「お山」とのこと、聞けば千本鳥居はここで終着とのこと

 せっかくだからと云うか当然の如くと云うかお参りはしておこう

 何より身の狐化免れているかが何よりの不安で

 手水場に映る不細工にやや人心地つき

 笑えぬ看板に俗世へも戻される。

 続きはお山行へ