怪談 転宅跡屋根屋乃鼻褌

 旧居には管理人などあってないようなモノだったので北向きの玄関先に積雪の後どれくらい雪が溜まっていようが特に驚きもしない。過去纏めて降った時、余りに誰も何もしない状況とそんな住居に疑問無く棲む自分とに腹が立って雪のまだ降り止まない間にスコップで避けて、竹箒で掃いて、人が並んで通れる程度の広さを確保していると、通りがかりの他の住人がまるで下男の庭仕事を蔑むような態度で道を踏んでいく。以来一切余計な仕事に手を付ける事を止めることにして以降雪が降る度に旧居の前だけ無精雪が溜まるに任せるようになり、その光景を足下に眺める度にああそう言うものなのかと思った。

 新居の玄関はやはり北向きの曇りガラスをはめ込んだ引き戸、玄関先当然の如く陽は当たらず当たり前のようにあるだろう思われた解け残りの雪は何故かキレに綺麗に除かれていた。大家の配慮だろう。今までそのような配慮の全くない住居に住んでいたお陰でそのような配慮に少々戸惑う。戸惑うと言えば転居早々ガス漏れがあったり水が漏れていたりと、この事自体は想定内の出来事なのでたいしたことではないのだが、その想定の内でも外でも何か事がある度に大家が飛んできて対処してくれるのが有り難く、新鮮、と云うようなことを知人に話した所それはごく当たり前の事という。ちなみにその知人は入居した当初しか大家の姿を見たことがないという。ああそう言うものなのかと思った。

 さて彼の転居先、陽が当たらないのは玄関先だけのことでなくどうも部屋全体が当たらないと云う事は、実は不動産屋との交渉の頃から解っていた事なのでこれは特に驚かない。ただ外に向けて陽が当たりそうに建っている良く解らない眺めの望めるテラスにも今の時期一日に2時間程しか陽が当たらないと知った時に初めて狼狽の段に至る。この時期、どの時間よりどの位置に洗濯物を干し放しにしていれば効率好く乾くのか、試す必要がありそうだとまず早朝から物干しに洗濯物を引っかけておいたところ意外なことに1〜2時間程度ですっかり乾いてしまう。余りに寒いのと乾燥しているのとで洗濯物の水分が一度に固まってしまうのだ。これは意外な効用を見つけたものだとまだ朝のお天道の低い内に洗濯物を取り込むという奇妙を体験しながらふと、日の当たらぬテラスに積もったまま後は凍るに任せた数日前の雪の跡、そこに見つけたのは異なる二つの足跡。一つは自分の後を付いてくる紛う方無き今付けたばかりの自分の足跡、そしてもう一つ、長方形の形をしたテラスを西側から東側にかけて横切るように真っ直ぐ付けられた足跡。
 今度借りた住居、大家がすぐ裏に住んでる小器用な老人で、契約前に仲介屋が云うには部屋が空くと次に部屋が埋まる前に自分であちこち直してからまた貸せるようにしているという。この部屋に越してきたのが二日前の夕方で雪が降ったのはその前の日、確か契約の時に少し直す所があるので越す前に一度部屋に入ることの許可を求めていたのでその類だろう、あるいは急な雪に当たって屋根の様子でも調べたか。そこに足跡が付いている理由などいかようにでも説明が付くので特に気にもめていなかったのだが、その時には。
 ところがその後大家に挨拶にうかがった際、大家の口から出たのは「先週の内に直すとこ直したので今週は入ってないよ。なんか不具合あったらすぐ言ってね」とのこと。ああいい大家だ・・・、と云うことではなくではなく、ああなんということだ・・・。ウチの周囲にはデビルズ・フットスタンプが出没するのだ。雪はそのためにとけないのだ。北向きは伊達でないのだ。ああなんと言うことだ・・・

 まさか埼玉の片田舎に住んでて世にも希な悪魔の紋章を拝めることになるとは思わずこれは地が溶けてしまう前に拝んでおかねばと他のご近所さんへの挨拶を後回しに駆け戻り件のベランダ再び上る。そこには雪は未だそのままで先程踏み散らした自分の足跡の他にやはり、テラスの柵を無いものとするかのように西から東へ点々と付いた何者かの足跡。やはり見間違えではなかったとこの景色を是非カメラにと一度部屋に戻ろうとしたその時、それは足跡の始まる西側の方、なにか目のようなものが二つこちらを見ている。何事かと驚くこちらの様子など知ったことかとその目の持ち主は顔をもたげその半身をもたげたかと思うと、今度はそいつの方が大層驚いた顔を見せ一瞬毛を逆立て一目散に出てこようとした西の方へ消えてく。ネコでした。(終わり)