伏見稲荷大社 お山 その1 「ことのね」

(http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20120104/p2の続き)
 先に結果を述べますと、お稲荷さまの深遠を知るに「お山」詣では欠かすべきでない行事と云えるでしょうか。その割に奧宮より先「お山」への道、守るは件の御眷属一対のみと存外簡素に開かれおります。ところが、これから先の「お山」各お宮へのご参拝、重ねれば重ねる程山入り口の御眷属が一対のみであること、またその一対のみで充分足りていますこと、イヤと言う程知らされることになります、これも御参拝の結果知ったことですが。

 この場所より先へ、より深い木々と尚続く鳥居の列、先程までの「千本鳥居」との違いはここから先、鳥居の誘う参道が明らかに上の方へ上の方へ向かう事にあります。先と同じように重奏に鳥居が包む一本の参道がそのまま「お山」へ向かう事、これは別に考えなくとも自ずと解りようコトなのですが、その参道本道より時々枝のように分かれる脇道、これは「千本鳥居」には中らなかったこちら「お山」行に至り初めて訪れる出来事で、その枝の先にあるは果たしてなんぞや、「お山」も「千本鳥居」もそもそも伏見稲荷大社全般初体験の自身にとってそれは極めて重要な謎で、そんな直ぐに足でもっての労力で解けそうな謎ならできるだけ解いてやろうと、このカラ気負いが後に「稲荷大社に負け出るの件」と云う失敗に繋がるのですがそれはまた後々のお話しです。

 始めに迷い込んだ枝道の先にあったのは「お塚」のようでした。「お塚」のお話は処々で窺う機会があったのですが、最終的には「よくわからないけどとにかくなんだか濃い」と云う漠然とした情報に収斂するため見てみないとワカラナイ、ワカラナイまま初めて邂逅した「お塚」は期待を裏切らずやはりなんだかワカラナイものでした。そのワカラナイものそこここに記されているのは個人名で、個人名と云えば先程までの千本鳥居にも鳥居一本につき最低一つ書かれてもいましたが、こちら「お塚」の「記名」となるとまたその記名のキアイ具合がハンパでない事、何故かそんな気がするキアイの入った記名であること、それだけで「お塚」がタダモノではないこと、容易に感じ取ることができて、そしてこの個人名の記されたタダモノでないモノ、それが参道本道から離れた枝道の先にあるということ、そのなにやら深い深い意義を持つ場所に縁もゆかりも無い時分が居ると云うこと、この事実に少々背筋が冷たくなる感覚を覚えてやや狼狽気味に退散、この人生初お塚詣での不出来のまま参道本道に戻ると当たり前のように参道を山の方へ進んでいく参拝者達。

 以上脇道行、例えば「お山参道脇道の怪」と銘打ってしまうといかにも伏見稲荷お山の行が処々怪奇踏み散らすの足下覚束ぬ参拝であるかのような錯覚を覚えるのですが、周囲参拝者、老若男女の違いそれぞれ応じたテンションの差異あれど皆和気藹々として参道を踏んでいく様子、深い深いお山へ繋がる道なれどまた一方では俗界とも繋がる一本道の俗な様相落とさず落とさず帯びてここでもまた俗と聖と一つ所に折衷する奇妙、もっとも今はこの折衷に初のお塚体験の狼狽を洗い落とす助けになったワケなのですが。

 狼狽を落としたままのその勢いでお山の先まで登っていくのが合理的であること重々承知の上でまたすぐ目の前にお山方向とは別の方へ向かう道が現れればやはりそちらの方へ行かざるを得ないわけで、しかもそちらの方向へ「伏見神宝神社」ときちんと行き先まで示してあるのなら物理的にも心理的にも迷う術は無いだろうとまたぞろ道を違えると、案の定その道の先はお山参道本道より大分離れてこのまま俗世感とはしばらく離れてしまうのだろうかと思う位脇山深く入った頃、と思ったのはただの錯覚で大体からして「お山」行きの「参道」そのものが木々に覆われた山に深く深く入り込もう道なのですからそこから少しでも脇道に入り込むとさも深山分け入っていく如くの様相をみせしばしば自身の足場失うが如きの錯覚を覚えるのでありますがこの度の、「伏見神宝神社」もその例ご多分に漏れぬモノと思われます。つまり、少し入っただけなのに随分と奥深く入った気がするのです

 そんな場所に「伏見神宝神社」は佇み参拝者を出迎えます

 神社本殿と鳥居手前の掲示板に及び石碑に当神社に付いての御由緒が結構細かく記されておりましてそれによりますと後は勝手にググってください。
 一応、本社について要点2点だけ。何気にここ重要です。建立の位置こそ伏見稲荷大社お山行き参道のすぐ側に立っていますが大社の摂社・末社、巨大化したお塚というワケではなく歴とした独立した神社であるとの由。社名「神宝」とは文字通り「神の宝」をご神体としてお奉りしており、そのお宝とはなんと「十種の神宝」の事との由。なんと云うことでしょうか! 十種の神宝とはつまり耶蘇で云う所の聖杯と云えばわかりやすいでしょうか? もっと解り易く云いますと、例えば『1941』が大当たりしてしまってコメディと云うトラウマを埋め込まれずに済んだスピルバーグ監督が20年ぶりにプロフェッサー・ジョーンズを派遣するのはペルーでなく京都であってもおかしくない、位にすごい宝物です。「生玉」「死返玉」を巡ってここ伏見で繰り広げられるソ連のスパイとの暗闘、もちろん現地で手助けするはM15のエージェントを名乗る白人のニンジャだったりとか、ところで何お話?

 それやあれやの妄想は神社の鳥居を潜る前に片付けておかないと何かを見逃してしまう。鳥居を潜った当初思った「伏見神宝神社」の漠然としたイメージです。まだ早いお時間(午前10時頃)と云うコともあるのでしょうが気温も上がらず道から逸れたこちらの神社に足を向ける人はほとんど無く静まりかえった境内。正面にも一つ鳥居を潜って拝殿、左側に社務所。神社の規模に比して大き目に見える社務所は木造で昔のままの作り。祈祷その他扱う社務所の窓口は目の前にお守りやら絵馬やら土鈴やらを置いたまま閉じられている。が、何となく人の気配。日のまだ当たらないせいか境内凍えるように寒くまた神社の由来を斜め読みし伏見大社と余り関係ないのかと云うことわかると不敬にもお社に対する興味が段々と失せて後は早くお参りを済ましてしまおうお山参道へ戻ろうそればかりを思い急いで拝殿へ向かおうと社務所を離れると

 急に社務所の中から琴の調べが。こちとら無教養のくそやろーなので急に琴の音の漂い始めてもただ「調べ」としか言いようのない。その調べが所々途切れまた再度同じ旋律を奏でまた途切れてはの繰り返し。調べと云うかどうやら琴のお稽古らしい。社務所の窓口のある方の横の部屋、畳の上で誰か斜向かいに座っているのがうっすらと見える。やはりお稽古らしい。お稽古であっても無教養者の耳に新鮮に響く琴の調べ、先程までまるで神聖さの裏返しのようにただ寒々しさだけが存在していた境内が一転して華やかに・・・感化されるほどブログ主の耳は肥えていない。古い社務所、神宝、たどたどしい琴の調べ、そのどれもがこの場を支配する寒々しさに打ち勝つことはできない。その中唯一心を動かされたのはこのお社の小さな小さな依り代? 

お社と参拝者の信仰心の依り代となる「叶雛」と名付けられた小さな紙雛。所謂「お雛様」と無縁のこの時期に境内そこここまとめて奉納された叶雛は寒々しさが媒介するおかげで空々しくモノクロじみた視覚風景と変換される自分の頭にやっと鮮やかに色をつけていく。ところがそのやっと染まり始めた鮮やかさも一部に掲げられた「撮影禁止」の文字に気分は萎えそれ以上に境内を染色させる気分を遮りついには遂には景色を元のモノクロへと退色させていく。どうしても、どうやっても、今この場、この景色に色をつけることを許してくれない

境内ほかにかぐや姫にまつわるなんとやらとか狛犬ならぬ狛竜やら大伴家持の像やら神宝と並び本来なら強く興味を引かれる数多ある様子。それら背を向けてお山行に戻るべく鳥居をくぐり境内を出る。未だ琴の調べは止まない。どうも、なんだかキツネに化かされていたような心持ち。お山行は殆ど始まってさえいません。