伏見稲荷大社 お山 その4 「ねこ」

(http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20130105のつづき)
 低い低いいってたお日様ならば高く高く登ればその内お見かけせんと、そんな粗相は思いもよらず気付けば日高く眼下周辺高見から眺めよく、先程私が食したきつね茶屋より3倍位休憩した方がよさげな場所は「四ツ辻」という場所とのよし。ただし今までお山上り行を経た身で「ここは四つ辻」と云われても実際のところピンとこない。道中、一応、地図というか「この先〜」と云う風な案内図はあり最低限の親切心を犯さぬ工夫は見て取れるものの、そもそも案内図外に登場する「お塚」の存在が場所と距離を狂わせる気満々にお山行参詣者の勘と視界とを遮り、その様はさながらお塚の発する神聖なる妨害電波と言えようか、例えるなら富士の樹海に紛れ込んだ時の方位磁石の狂った針を見るに似ている。最もあちらはケモノ道の尽きる合図とばかりに世とおさらばした空っぽの依り代が転がる負の念強き場所に対してこちらは何処をどう切っても唯々お塚とお稲荷との賛辞ばかりに変換できそうな正の念ばかり、正に似て非なるとはこの事であろ初めから似てねえよ。

 伏見稲荷お山から、遙かに秋の眺望。自他共に認める無粋者でも思わず足を止める眼福、真の眼福がこの先に待ち受けてると知らずにめでたい事です。
 ここ、「四ツ辻」は文字通り四方へ道の分かれる場所、これに眺望の威力も加わり周辺のお茶屋さん方今までと比べてもかなり活気に満ちている様子。事実ここらで足を休めようかお茶でも飲もうかいなりでも食おうか弁当使おうか等々、延々頭上を流れる千本鳥居のおかげで身やや神域に近づきやや神妙になった心持ちが食欲その他物欲心に再び俗世に戻される感あり、この神と俗との境界彷徨う行こそお山行の真骨頂かなとそろそろ何やら悟った気分にもなる四ツ辻の広場。

 ただ如何に俗世業深き自分といえども先程お茶屋さんでささやかにきつねきつねしている身、この場で身を俗世に戻すにはさすがにまだ息がきつねきつねしている様子、俗に戻らず神聖に片足突っ込んだまま四ツ辻は通過、次に目指すは「三ノ峰」を経て「二ノ峰」そして「一ノ峰」、いよいよお山行は佳境に入ります。

 意外に早くも「二ノ峰」、

 お出迎えはこれも意外な「龍神」さま。何が意外かと動物系(?)の神像御眷属はたまたお塚への供物は当然のことながらおきつね様が圧倒的な数を誇り、下界でまま拝見する龍神の神像をは珍しいとは云え驚くほどの事は無いとは云えここきつねさまの圧倒的テリトリーで龍神様を拝見するのは少々驚き

 もちろんココら佳境に達する「二ノ峰」、お塚と供物、おきつね様は勢いを増して数を増しております

 そしてあろう事か、

 いや喜ぶべき事か

 これこそ何ら下界と変わらぬ姿の

 ねこのヒト

 神社にねこがよく似合うとは云えお山におけるネコ、先程の龍神様より更に強い衝撃

 おきつね様はあんな風に見てるし

 まさにねこども思い思い

 お塚の勢い盛んなるにも関わらず思い思いにねこの勢い。不思議と云えば不思議なのは周囲お茶屋のヒトもお塚持ちと思しき参拝のヒトもねこのヒトを全く気にする様子無くねこ、当然の如くの思い思い

 ねこいれば問題はしつけ。ところがここらのお塚にねこども悪さしている様子見えない

 むしろねこのヒトに反応するのは明らかに観光客と見えるヒト。驚くヒト、かわいがろうと袖にされるヒト、気にしない素振りを見せながらもやはり気になっているヒト。なるほど、これがねこの仕事。おきつね様は訪問監視にねこにその目の一部を委託しているか。

 そう思えばねこ立派、には見えねえよ

 まあ私的にはとても絵になるので、ねこがいれば

 不満のあろうはずがありません

 慣れず媚びず顧みず。聖帝サウザーならこのように評すでしょうお山のねこの見事なねこっぷり

 「ネコに後退はないのだ!」

 などと撮影者は思ったか思わなかったか、一時お山行忘れてひたすらネコ取りまくる撮影者に明らかに観光客と思しき制服着た高校生の一団が「この先は何処に繋がっているんですか?」と背後から突然の問いかけ

 イヤ、私も観光客だから知るわけ無いんですけど。自慢じゃないが私も格好から行動から話す言葉から観光客以外の何者でもない様相を見せていたつもりなのに、一体全体観光客が何故私に聞くかだろうか? きっとネコに見えたのだろう。そのまま撮影を続けていれば間違いなくネコになっていただろう。確かこんな体験は以前・・・*1あちらではキツネの置物だったがこちらはねこか。危なくお山でネコになるところだった。(つづく)