大夕張その1 ダム湖周景

 冒頭、緒川たまき様がなにやら決起を呼びかけるシーンから始まります『プ』と云う映画、緒川たまき様の他の見所は作中「プ」と呼ばれる人々が住んでいる舞台、周囲人の背の高さほどの草に囲まれた野に帰りつつある街。監督さん曰く、この映画ファンタジーだとのこと。そのファンタジーの舞台が夕張市内の大夕張地区。無骨な炭鉱町が無残にも野に帰ろうとする場所は最早生活の深刻さとはかけ離れていてむしろほのぼのとした情景をそこここに醸し出していたのが意外と云えば意外だったのですが、それは決して緒川たまき様の魔力だけでなくこのロケ地、「大夕張」と云う場所の魔力だと思いながら近くダム底に沈む日を控えて既に建物の姿などとうに失せているであろう彼の地への思慕を募らせたのです。

 ちなみにその緒川たまき様の冒頭のシーン、こちらのロケ地は大夕張ではなく夕張市とお隣栗山町との境近くにある栗山炭鉱にあった廃墟で撮影されたようです。別に緒川たまきの面影を期待したわけではないけど、写真にあるように堂々と朽ちかけた「栗山鉱山→」の看板が立っていれば行かずにはおれぬと云うモノ、案の定炭鉱への路は段々と細くまた人影絶えた山の中で、途中通りかかった野良仕事中(メロン関係らしい)のお年を召したお百姓に尋ねたところ面倒臭そうに「ない」との言葉をいただいた事でいい加減舗装路を折り返せる時点を栗山炭鉱への路は見限る。

 さて本題は「大夕張」の方。位置や沿革についてはWEBに落ちてるだろうから興味があれば適当に調べるがいい。私が「大夕張」へ行こうと思い立った時、既に夕張シューパロダムの建設は本格的に始まっており、かつて繁栄を極め、その役割終えて人々の立ち去った後*1映画の撮影とか好事家の世迷いにお付き合いとかほんの一瞬だけ表に現れる時があった事さえ既に過去の出来事となり、今や精々が家々の礎石の残る程度だろうと思いその中でいくつ『プ』の光景と重なるか、仄かに期待する部分があったこと否定はしません。

 大夕張といえばまずその大夕張そのものに入る前に夕張方面から延びる長大な遺物が今やその前座に相応しいと思う、などと書くと何はともあれテツを第一と考える方々よりお叱りを受けまいか。かの遺物が大夕張の前座に甘んじるはその遺物の惨めなほどの現状で、惨めとはその荒廃振りを云うのではなくある場所は新たに広げられた国道に寸断され、ある場所のトンネルは埋め立てられさえもせず跡形もなく崩され、またある場所は新たに出来る路の柱にその座を供する。ただ朽ちて行くままに荒廃していることがなんと幸いだろうと、せめてもの遺物の跡を探すウチに段々とこの前座の有り様がにとても辛い気持ちになり、予定は変えて前座は一先ずよしとする、雨も降ってきたコトなので。本当は雨が疎ましかったことに他ならない。なぜならこの大夕張へ続く唯一の道路(国道452号線)、ひっきりなしにダム工事のためのダンプカー共が我が物顔に往来するモノで普通に穏やかな晴れの日でさえその爆音と土埃に閉口すると云うのに雨の日に行き合う飛沫に絶えられず、と言うワケで雨と車を避けるため当初の前座を別の前座に譲ることにいたしました。

 と言うワケでご紹介、こちら前座さんはかの有名な「三弦橋」。有名なので知らない人は「夕張」「三弦橋」とでも調べて下さい。前座にしては異常に大物ですがそこは触れないでいただきたい。この三弦橋が前座に躍り出たそもそもの直接的きっかけは、雨足強くなった国道、ところが国道より逸れて雨をしのげそうな場所、を探そうにも目の前までダムの迫る人口希薄地のこと建物はおろか路側帯さえも存在せずほとほと困り果てながらずぶ濡れになっていたところ登場したのが大夕張トンネルを抜けてすぐ右側になにやら大夕張ダムの管理施設、そちらにバイクを駐めてみると偶然にも進入可能な三弦橋最寄りの大夕張ダム管理事務所棟で、雨宿りがてら、雨滴るダムの水面の先に、いくつかダム中に浮島のように見えて或いはダムの向こう岸なのか

 鉄道橋の割になんだか小さいのが非常に頼りない、赤錆まみれのか細い鉄橋がするすると向こうの方で延びています。この形状の鉄道橋というのが非常に珍しいと云うコトなのですが、こんだけ離れた場所にあると大分現実感が希薄になって「ああすごい」の一言で終わってしまいそれ以上の感慨の沸きにくいところ。「ただソコにある」以上になにかやりようがなかったのか、本当にこういう所が夕張市のグダグダ加減を現しているようでその意味ではコレも夕張を代表する遺物と云えましょう。全ては「なかったコト」と云う。そして現在建築中の夕張シューパロダム完成の暁にはこの「貴重」な三弦橋もダムの水面下に沈み予てよりの夕張市の目論み通り名実共に「なかったコト」となります。ああ腹が立つ。

 三弦橋が延びる浮島(向こう岸?)をよく見ると三弦橋の架かる側と反対側に鉄橋が幾つか。


 ダム湖誕生前は夕張岳から落ちてくる大小の沢を跨いでいたと思しき橋ですが、この場所、向こう岸から望むとまるで現在の浮島(対岸)を繋いでいるかの様。橋の前後にはレールも残っているのでしょうか?

 三弦橋について触れたネタがWEBのあちこちに転がっている一方、かつてその先にあったと思しきこのありふれた形の橋に触れた記事はあまりなく、それを奥ゆかしさと取ればこれだけ日本的な橋はありません。

 只やはりこの場所の主役は三弦橋に他ならず、例えば何の由来も知らずとも只其処に佇むだけその只ならぬ形に例えどのような思いを持ちこの場所に佇もうと場を全てこの橋に持って行かれてしまうことは必定。なんだそれは?

 そうなれば少しでも違う場所から見た橋の姿を、少なくともその三弦橋が三弦橋であるための条件である三角形の形状をより目視しようとその三弦橋を見るに更に適した場所を探し回ることもこれ必定で、

 やれあの橋と並んで水面に並ぶ浮きが邪魔だ

 浮きは消せたけども少し近寄れないか?

 おのれそんなささやかな願いをも邪魔するかと小さな驕慢に心を支配されれば

 水門脇に穿たれた何かを通す用の二本の鉄線が「実は森林鉄道(三弦橋を使っていた鉄道)の名残ではないか?」などという妄想に苛まれる業に気付かない。そんなワケねーだろ。

 どうも、三弦橋は手の届きそうで届かない惜しい場所にあってこその三弦橋らしくいろいろ惜しい夕張らしい。

 追記 聞く所に依ると道路の付け替え工事が完成して国道が高所に移り三弦橋の姿はいよいよ遠く見えない見えない物になったとのこと。 

*1:『プ』撮影時、老人が一人だけ残っていたそうで、映画のワンシーンに佐藤浩市とすれ違う通行人として登場しているそうです