小和田駅Bルート その4

(http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20120702の続き)
 2ちゃんのオカ板系まとめ等に載ってる『きさらぎ駅』と云うお話し*1は少し気になるお話しで、例えば山の中歩き回った末ヘトヘトになりながら電車に乗り外の日の落ちたのも手伝ってついウトウト、目が覚めてもどの辺り走ってるのか全くワカラナイ、車窓見ても見当付かないという飯田線でも結構経験できそうな気がす。『きさらぎ駅』の設定は遠州鉄道らしいので同じ市内(!)を走っている飯田線と全く縁がないわけでもない。
 まあ正直な話、日暮れ後だろうが昼間だろうが少しでもヨソを向いて後再び視線を車窓に戻してもそこが何処なのか、何処を走っているのかいとも簡単に見失うコトが出来る飯田線自体が既に異界のようなもんだし更にソレを意味なく乗り潰そうとしている行為自体がもう既に狂っているので更に狂ったとしてもたかが知れている、気もしないでもないが。

 さて現実はと云えば、鉄道駅を降りてからゆうに 時間を過ぎていると云うに「駅前通り」からの脱出も覚束ない小和田駅Bルート探しはいよいよ大詰めとなってきます。一体何をやっているのか? 無意識のウチに幻の世界へ放り込まれるより意識して意味のない現実世界を歩いている方がずっとコワイ。

 先程の世帯専用と思われる荷物用モノレールを過ぎた後も相変わらずの斜面にへばりつくような簡易舗装が続きます。ところがここら周囲の簡易舗装、安いカツラが摩擦係数の低い頭皮に抵抗を生じ得ずズルムケているかのように斜面からずり落ちるように斜めに傾いてる。これまでの経緯から簡易舗装万能と簡易舗装ばかりを見て簡易舗装に従って簡易舗装を歩こうモノならその斜面作っている簡易舗装に抗いきれずそのまま谷底にずり落ちてしまうのは必定、位にずれているのでこの場は簡易舗装に従わずに土の部分を歩いてこの場を通過する。まあそうすれば難なく通行することができるのですがこの部分の簡易舗装が手入れされていないのは住民が使う機会がないからでますますもって先程の荷物用モノレールの万能さを窺い知ることができると云うことです。オレも一度でいいから乗ってみてぇの。

 その後簡易舗装は無事元の角度へ。簡易舗装は無事でも歩行者は無事とは言えない。なぜならば

 小和田駅脱出のトドメとばかりにこのように登山並みの角度の傾斜をただひたすらに歩いていかなければならないからです。*2

 周囲はひたすらに徹底的に杉林のど真ん中。当然景色など見えない。見るモノがナイのと結構な道の傾斜から自然足下ばかり見るハメになる。これではいけないと一念発起し、背を伸ばし、思い切り今度は視線を上に向けると

 ちゃんと舗装してあるっぽい、ちゃんと自動車が通れるっぽい、ちゃんとした道の証しの白いガードレールが視界に入ってきます。が、これはワナです。騙されてはいけない。

 なぜならここからしばらく「なんか比較的近くにガードレールがあるのに、道は結構な角度の傾斜なのに、それでも何故かガードレール=ゴールが近づかない」と云う蜃気楼を追うような作業をしばらく続けなくてはならないという、正直小和田駅脱出路でこの砂を咬むような過程が一番キツい*3。この場でのアドバイスは、「ガードレールが目に入るので上は見ないようにしましょう。万一見てしまったらすぐに忘れて見なかったことにしましょう。」要するにダメな人生と一緒です。

 とまあ何のかんの云いましたが、散々苦労寄り道した分実際にそのゴールの時を迎えればその喜びもひとしおです。この最後の階段もトドメとばかりに相当キツいのですが。

 こうやって一応目標であった「小和田駅Bルート」は無事達成。つまり小和田駅よりの脱出路は2ルート存在することになる。実際にこちらの「Bルート」入り口には割り箸みたいな板に申し訳程度に「小和田駅」の文字を確認。嘗て経験した「Aルート」の入り口*4の驚異的ぞんざいさに比べてずっと優しい駅入り口表示。だからといって世間一般に公共の場所で「優しさ」の対象となる体の不自由な方や妊婦の方等に決して優しいワケではない、その意味でむしろ何も表示しない方がヨイのではないかと思うがその加減がなかなか難しい。いずれにせよこの割り箸から伝わるのはとにかく小和田駅を埋もれさせまいという地元民の優しさ。

 ともかく休もう。目の前にある謎の表示の通りいくら小和田駅Bルート経由脱出成功したとは言えこの場所直に何処の場所へもアクセスできる交通機関がない以上この場所に中継以上の価値はないワケで、引き続いての問題はこの場所からは更にどのようなルートを辿って最寄りの交通機関=飯田線駅に戻るかと云うコトで、子元策を示せ。

 何故龐統なのかはよくわかりませんがともかく我が君、候補の策は3つございます。
 一つはこのまま階段を戻って小和田駅まで戻ること。距離時間から鑑みれば上策と言えるが今来た道を再び戻ると云う屈辱を噛みしめなければ行けないとうのが難点。
 二つめはこのまま天竜川林道に沿って大嵐駅まで歩く道のり。一度経験したルートをもう一度踏みしめる、これもかなりの屈辱です。第一歩いててそんなに楽しいルートでもないですし*5ただ一度経験済みと云うコトでその酸いも甘いも知り尽くしている、と云うほどでもないのですが大体解っているというコトでこれは中策。
 三つ目は大嵐とは反対方向、中井侍駅に向かって天竜川林道をとぼとぼ歩くという通。未経験の道だけに全行程どのくらいの時間が掛かるかワカラナイ、現時点で時刻15時を過ぎたところ、後どのくらいの時間が掛かるかワカラナイと云うのは大きなリスク、正に下策たる由縁です。

 セオリー通りなら中策、と云ったところであるが中策を選んで落鳳坡で命を失った鳳雛の故事を鑑み敢えて下策を選ぶぞ。と云うか初めからそのつもりだったクセに長々とご託を並べるとは何事か。これは君臣共に間違っていたのでございます。垂れ流すな大徳。

 ルートの選定は無事済んだとは言え、これから先容易に予想される虚しさを思うとそう容易に第一歩を踏み出すこともできないのです。誰も通る気配のない天竜川林道、堂々ど真ん中に腰掛け昨日飯田訪問時に購入した菓子を食いお茶を飲み、このままでは時だけ虚しく過ぎゆく事に気付く。林道虚しく歩くとどちらも虚しく同じ虚しくなら少しでも帰りの飯田線を目指す虚しくがよかろうと思い気付くに至りようやく重い第一歩を踏み出すことに

 その先には決して歓迎しているとは言えない木々に覆われてとても物見の用を為すとは思えない錆び付いた火の見櫓と明らかに乗り捨てていったと思しき廃車のコンビが前途を予見させる様でテンションは下がる一方。

 下がるテンションの追い打ちをかけるかの様に道々登場する林道本道からの脇道分かれ道。いずれの脇道も一応地図には登場、しかもなんとなくどちらかに繋がっているかの様な経路を示す。だがしかし、ここまでの行路で学んだ最大のことが一つ。「騙されるな。その道はワナだ。」

 まるで何かの用を供している小屋。好意的に見て地元の方が作業にご利用されている建物、穿った目で見ると只の廃墟、いずれにしても「私が飯田線駅へ舞い戻るためになんら便利を供してくれる物体ではないな」。これから脇道を見つけたらそうして心の鬼に相談しながらスルーすることにしましょう。それはあなたの人生と時間と飯田線到着時刻を守るためです。

 決して「アノ先にはなにか面白いモノがあるかも知れない」と思ってはイケナイ、と云うか先程の簡易モノレールじゃないですか? アノ先は面白いに決まってるじゃないか? 行けないけど

 モノレール終点を過ぎてしばらく、景観晴れて現れるわ納得の三信遠境クオリティ、別名「只ひたすら山と天竜川、そこに何故か点在する民家」。初めのウチは平地住まいの物珍しくさとその住民の生業を想像するに胸わくわくさせるもやがて蓄積する疲労に食われ広大無辺旅の心象の片隅に引っかかる点景にさえもなりそびれやがて記憶の片隅に「ただ疲れただけだったよね」という報われない苦労の痕跡だけが残るという。要は疲れて景色に飽きてしまうと云うことです。恐ろしきかな天竜川林道。

 前回大嵐ルートを取った時もそうだったのですが、風景飽きる、時間なくなる、疲れる、と来た日には写真撮る気力は根こそぎ奪われるワケで、今回も以降は写真撮ることはないだろうと

 思った直後に湧き水出現。看板出てるしコップ置いてあるのでワナでなければ飲んでよいらしい。気のせいかも知れないが少し元気出た。ならばこれは撮らなければならないでしょう。パチリ、これで今回の撮影終わり、のつもりだったのですが・・・

 まあ県境ですから写真くらいは撮りますよ。

 おやおや?トンネル登場。写真撮るまいと心に決めた途端次々に撮りおもしろそうなモノ出現、ダメ人間の人生を地でいきますコトはともかく大嵐方面には全くトンネルがありませんでしたので物珍しさのあまり撮影。山間にてトンネルの登場に物珍しさとは随分矛盾した物言いですが、まあ、疲れていたのでしょう。

 更にトンネル脇にはお約束の枝道、地図を見ると当然の如くその向かう先は中井侍

 けど私は騙されんぞ

 何か枝道が登場する度にまるで「もっとマシな人生があったのかも知れない」と言う思いに苛まれる天竜川林道は恐ろしいのかも知れない、などと脇道のワナを振り切りトンネルに足を踏み入れると向こう側から自動車が現れる。自動車同士が行き違うには少々狭い道幅なれど人と自動車の場合自動車川によっぽどの悪意でもなければ容易に行き違い・・・あれあれ?自動車停まって窓開けて中のおじさんが話しかけてきたぞ?

 「何処まで行くの?」天竜川林道で人に話しかけられたらまず眉に唾すべし、などと民明書房の本に書かれていた通り少々警戒するが車中のおじさん、単にこのなにもない林道をひたすら徒歩で歩く行の物珍しさから声をかけた様子。そして物珍しさとは言え「こんなバカがこんなトコ歩いてるコト」に少しは慣れている、そんな様子が声から伝わる。
 「中・・・伊那小沢の方まで」はい、何故か微妙で意味のない見栄を張りました。そんな見栄を見越してか已に暮れかけているお日様を鑑みてかおじさん「まだまだ結構遠いよ」・・・しまった、見栄を張りすぎたか?私「いや、途中適当な駅で飯田線に乗ろうかと」。今思うに何故このような見栄を張ったのかワカラナイ。故におじさんから次の言葉が返ってきたのは必然と言えよう「乗せていってあげたいけどココ歩いてるんだからそんな気持ちはないでしょ?」・・・いやあの・・・「まだ先長いけどこれあげるからがんばってね!」・・・「はい・・・ありがとうございます・・・」車はそのまま反対方向に去って行った。

 そう言われれば乗車を断って歩いていくしかないだろうおじさんの絶妙な断交術。今まで何回か述べましたが、私別にハイキングが好きなわけでないですから、乗れと言われれば外聞なく乗りますよ、本来なら。おじさんがくれたのは毒々しい色をしたガムで、普段ガム咬まないけどせっかくだからと袋を開けるとそれはもうトンネル中に充満するんじゃないかと思うほどのキツい甘いニオイ。山中でこんなニオイ発してはクマがコワイ、と云うワケで慌ててバックに入れる。正に悉くすれちがいの邂逅であったおじさん、なんかいろいろ残念な出会いに感謝。

 それからしばらく道の導くままに進む。山中の林道という特性上道は山を避けながらアップダウンを繰り返してくねくね蛇行している。地図で見ると山を越えて直行すれば早く行けそうに見える場所も当然の如く道は大回り。すると途中このように山の方へ向かって行く道はさも近道の様に見えてしまう。特に日が入かけて山道の不安がいや増す頃になるとこのように間伐材の束なんだか階段なんだかわからない様な途中明らかに崩れているだろと見える道も或いは貴重な時間を短縮してくれる近道の様に見える。騙されてはいけない。

 そう、枝道にだまされなかったからこうやって清水を得られる。結論を申せば小和田〜中井侍ルート途中飲料可の清水が二カ所。とにかく疲弊するということしか残らない大嵐ルートには一カ所もありません。

 こうやって路傍に石仏庚申様の類の多いこと*6も嬉しい。法面工事の際その工事の規模に比して小さい小さい石仏など捻り潰すが如く天竜川谷底に放すなり法面に埋め込むなり朝鮮半島に持って行くなりいかようにもできようモノをこのようにわざわざ座となる窪みを設けて安置できるよう計らうことで名もなき旅人に訪れる僥倖。最低限大切な心の価値を理解する土建屋に幸あれ。

 木々の間から時々こうやって見える遙か天竜川の谷底。ちょー単純なGPS*7を見ると天竜川林道に達してからだいたい標高600〜700メートルのあたりを上下しながらとぼとぼ歩いていることになる。小和田駅辺りの標高が・・・標高が・・・忘れた。小和田駅の標高は忘れたけど天保山の標高は4メートル位だから比較すると、えーっと・・・とにかくバカな行政の長は天保山で遭難して死ね。

 石仏の登場はこの予兆だったのでしょう。待望の民家。もちろん現役。何時が嬉しいかって本来使われるべきモノがきちんと使われている時ほど嬉しいモノはない。その使われるべき状況が困難であれば困難であるほどそのモノは輝いて見える。

 そして人の生きる場所のより近くの石仏。な〜むか〜んぜお〜ん。

 民家・石仏、生活の場に近づいた恩恵はそれだけにとどまらず、遙か谷底、姿を隠して久しい、この期に及んでは命綱に等しい飯田線の線路が 

 望遠で見るとそれはなんと小和田駅! 天竜川林道知らず知らずのうちの蛇行はいつの間にか小和田駅を点景と化し無益な鉄オタどもを睥睨できる場所に至る。もちろん睥睨するのは心持ち同類の私ではなく周囲立派に住まわってらっしゃる住民の方々だ。このご時世に山地に住み続けることの困難に比べれば飯田線小和田駅にきて大騒ぎして帰ることの矮小さに恥を通り越したバカと見える。もちろん歩いてわざわざ小和田駅を見下ろせる場所に来ることなどもっとバカのやることだ。や〜いバ〜カバ〜カ。

 まあ何が言いたいかと言えば

 悔しいコトに、小和田駅より隣駅向かうルート、唯々退屈な大嵐方面即ちAルートより

 中井侍方面称してBルートを取った方が景色断然面白い。

 自らのルート取りの妙を自画自賛する山の中、行く先になにやらもふもふな物体が蠢く。この山奥にねこかこれはもふ運までついているとよくよく見ればもふに隣り合うサルのケツ。そう何度も良いコトは起こらない。因みにサル素早く消えて撮影間に合わず。

 サルの誘いか道は久々の分かれ道。比喩でなく殆ど朽ちかけた道路の標示に「中井侍線起点」との文字。その道の行き先は山の方。この期に及んで分かれ道に惑うコトもあるまいが、ただ、万一、その有り得ない道の先に有り得ない景色が広がっていたとして、もしかしてその僥倖を浴する手段を自ら閉じてしまわなかっただろうか、枝道を選ばなかったことで余程の酔狂でない限り永遠に確かめ様の無くなった枝道の先をの景色を、例え失敗でもよかったからと今でも焦がれ悔いる自分がいる。

 まあ後悔の独白は庚申の日にでも他者と離れて行おう

 その独白の効果覿面にして路傍の庚申塚よりまもなく、久々に長大人工物の気配現れる*8

 川向こうには細長い水力発電

 水でさえタービン回してるのにおまえらと来たら・・・(意味不明)

 意味不明と言えば人工物気配の直後本当に現れた人工物第一段がコレ。

 説明が必要ですかね。道は急なカーブに入るや否や木立に包まれその直後に写真の標識登場。道幅は変わらず1.5車線、別に自転車を止めるために取られた広いスペースなどない。標識の向こうは法面張った深い崖。誰が何処に何のために自転車を置くのか。間違いなく天竜川林道七不思議の一つ*9

 なんだよ。どーなんだよ。あれは何のためにあるんだよ。ねえそこのもふ・・・もふ? またお猿さん? いや違うあれ本物のもふ! こんな山の中で! 信じられない!

 せっかく出会ったもふ、こちらの尋常ならざる態度遠くから早々に感づいたらしく一瞬にして姿消す。ただ、ほら確か記紀出雲神話スサノオが言ってたではありませんか「上流よりもふが流れる。この先に人がいるに違いない」*10

 もふ正に人の先兵として山道彷徨いていたか、まもなく視界開けて斜面一面の茶畑。民家も見えてその遙か下に天竜川。その眺望まるで隠れ里の様相。間違いない、飯田線の車窓から見た中井侍の集落

 久しく絶えていた駅名表記の登場*11で眼下正に中井侍への道と確認。今度の枝道は絶対に「騙されない」

 むしろこの先、もしも枝道を選ばずそのまままっすぐ行った場合「平岡・伊那小沢」に続くことが捨て難く、時間を見れば18時30分ほど過ぎた頃。無理すれば行けない距離もなく無理してまで行くべき道か

 枝道を選択から外そうとの思いはこの小和田駅Bルートにトドメを刺す急坂の攻め具に遂には膝が降参せぬかという思いも

 やはり下りましょう。茶畑が私を呼んでる。途中膝が絶えきれず力尽きたらそのときはあきらめましょう。せめて何か勇気を得るまじないでも唱えながら

 2もふ3もふ5もふ7もふ11もふ・・・もふは孤独な生き物。孤独なもふが私に勇気を与える

 それにしても君はそんなとこで何をやっているんだい?

 冗談じゃなくて君の今のその行動にわたしゃぁ本当に勇気が出たよ

 本当にありがとう!

 そして勇気の駄目押しは正に手に届かんばかりの位置に現れた飯田線の線路。Bルート最後を飾る茶畑九十九折急坂の底。この間民家数軒、ねこには会ったが人には会わなかった。

 その九十九折れの終点に中井侍駅の入り口があるわけですが、ここまできてバックせよとは結構至難の技と思われ

 まあ車に厳しかろうが私歩きだから関係ねぇし。もちろん歩きにも厳しい、これぞ正に飯田線クオリティ! 

 目的と反対方向、飯田方面の列車が到着して初めて小和田駅より歩き通した徒労を実感。そもそも目的って何だ?

 見上げると遙か谷底より見える今日の月。谷底からの月は遠い・・・ひたすら遠い・・・まるで配所の月のよう。

 辺り漆黒の闇に包まれればこの場所正に谷底。すぐ上に民家と茶畑が広がるとわかっていても凄まじい寂寞感、漂う秘境駅臭。

 この雰囲気を感じるため、自作自演の小和田駅徒歩行。Aルート・・・小和田大嵐踏破時に感じた悲壮感は不思議と感じない。小和田駅より一駅、ある種の感情を絶え間なく喚起させながら歩き通したいならBルート・・・小和田中井侍ルートが優れる。言わばダウナー系のAルートに対してアッパー系のBルート。大嵐ルートは飯田線のヘロインです中井侍ルートは飯田線のシャブです。うわーキタ!キタ!キタ〜! 豊橋駅列車が。

 ここで白状しますけど実は予定ではこの後、大嵐駅で駅寝して明朝早々に出立、死の険道288号大嵐佐久間線挑戦を考えていたのですが、たかだか小和田駅中井侍駅徒歩行でこんなに苦労するんだから体力的装備的に無理でしょう本当に死ぬでしょうと、シャブルートを踏破した割には冷静な判断で翌日予定変更。予定変更の手伝いに中井侍駅から数分後、暗闇の中不気味に佇む小和田駅舎の姿が忠告してくれたのは言うまでもありません。アッパー系とかたいしたことねぇじゃん。

 列車に揺られながら、昔は飯田線内で車販、釜飯を売っていたけどな今はないのだろうか、これに中井侍産のお茶をつければ今度間違いなくそれ目的で乗るのに、とぼんやり考えていると外、トンネルまたトンネル。谷底近くにあっては夜の闇もトンネルの闇も区別つけがたく車中私のみ。正にこれから「きさらぎ駅」へ向かわんとするお膳立ては揃っていたモノの列車山間抜けて三州遠州境の小さな楔豊橋平野に差し掛かりトンネルもなくなり無事豊橋駅へ。山中徒歩行においてはひたすら無事を願っていたのに一度列車に乗り込むの安堵を得るや再び非常の変を望むの行。廃線行はしばらく休んだ方がいいかもしれないですね。ウソですけど。(おわり)

*1:http://llike.net/2ch/fear/kisaragi.htm

*2:けど小和田駅を歩いて出ようと云うのだからこれくらい当たり前

*3:前回探索した「Aルート」でもゴール間際同様の過程を経験します

*4:http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20091123

*5:あ〜あ。言っちゃった

*6:大嵐ルートも多少あったような気もするがとにかく「疲労した」としか覚えてないため・・・

*7:ソニー製。メーカ名を明記することに別に悪意はない

*8:飯田線

*9:今勝手に決めた

*10:箸だそれは

*11:小和田駅のあの箸は公式でないので実際は初めて