狐念いっぱい つがる市牛潟町鷲野沢『高山稲荷神社』

 当然ですが、参籠所にお宿を借りれば次の日朝一番の御参拝が可能です。が、別に焦る理由もありませんのでゆるゆると御参拝を楽しみましょう。巷の噂に因りますとこちらの御眷属様で、結構ないたずら者がおわしまするとのこと。心落ち着かない御参拝者にはからかいと戒めとの意で時々何か見せてくれて参拝者の心胆寒からしめる、ままあることだそうです。いえいえ、決して私が言ったコトではなくあくまでも2ちゃんオカ板辺りで落ちてそう噂です、噂。なんにせよ、おそらく青森県内に住んでいる方でもこちらに参拝されるのは「はるばる」と接頭を付けるになんら違和感のないこと衆目一致するところでしょう。「はるばる」「せっかく」来たのですからここは一つ、焦らず、ゆっくり、これを心がけて境内を回ればきっといたずら好きの眷属様の付け入る隙の無きよう落ち着いた心持ちで居ること間違いないでしょう。一方で、いたずら好きの眷属様にも一目会いたくもありますが、このお社隈無く回っていただければきっと知らずウチにその眷属様とはすれ違い程度にはお会いしていることでしょう。

 
 昨日も一度ご挨拶させていただきましたが、本殿への参道は参籠所と社務所とが一緒になった巨大な建物を出て右手の山の方へ伸びていてそのまま階段を上っていきます。山の方へ行く途中、木造の古い建物が一棟。趣から察するに、どうも以前の参籠所はこちらではなかったのでは。例え現在でも、こちらの建物にお泊まりするのはアリだと思う。階段登り切った左手に高山稲荷神社拝殿・本殿、右手には早くも現れました摂社・末社の類、後でイヤと言うほど解るのですが、こちらの神社に限って、境内鎮座される小社を一般のお社と同様に「摂社・末社」と括るには少々戸惑いがあるかもしれません。

 本殿裏手、更に高所に当たる場所に「山王稲荷神社」と云う神社があります。文字通り山王式の鳥居を掲げ頭巾を被った御眷属様が入口に詰める小社なのですが、神社創建にまつわる古い記録の「山王神社」の直接の末裔はこちらのお社のことかもしれない、ルーツオブ高山稲荷の重要なお社かもしれません奥の社なのですが、残念ながら現在工事中のため近寄ることが出来ません。

 ちなみに、望遠レンズで覗くとお社前の御眷属様(お狐様)のほっかむりが10年前来た時とは別の頭巾であること確認。何となく安心しました。

 いずれも個性的な山上の諸社のお参りを済ませると、参道が更に海側の山の下にも伸びていることが判ります。半ば自明の理の如く指し示された道を伝うと、山を下りきらない内からその方向に神池と庭園とがあるのに判ります

 神池に気を取られて見落としてはいけません、階段降り切ったところで番されてる御眷属さんに

 一見ただの化粧石と見せかけて芸細かく刻まれたシンボル

 以前何かの情報で、こちらの神池、願掛けに大変な神力あり、「叶えたいとする人池に投げれ真っ直ぐ沈めば容易に願い成就、一旦浮かんで後沈めば難あれども成就、沈まず浮かべば願い叶わざる」と云う恐ろしい占いがされていたと聞いていたところ、この「叶えたいとする人」の箇所「叶えたいとする人、『紙縒を折って』」の間違いであるそうで、どうも欧州の魔女狩りとごっちゃになていたらしネタに決まってんだろ。

 神池で隔てられ神橋を渡った先にあるのが龍神宮のお社。名前の通り龍神様をお奉りされているお社のようで、こちらの御眷属さん、狛狐さんに限らず狛犬さん、お獅子さんも登場。龍神様の御眷属と云うコトで奉納の方が拘らなかった結果と云うコトでしょうが、賑やかで素敵です

 賑やかと云えば龍神宮前に転がっていた五色石(?)

 カメさま。なんだかご利益モノが普通に落ちてる神池内

 それら過ぎて再び神橋を渡った先に、ここから始まりまりますのが有名な「千本鳥居」です。

 見ての通りなだらかな岡を登る参道に沿ってずらずら沢山並ぶ小振りな鳥居の列、社務所で神社の絵馬を頂戴するとデザインの一つにこの印象的な「千本鳥居」が描かれているパターンがあります。稲荷系のこの多量の鳥居の由来、私良く知らんのですけど、

 京都郊外ならともかく雪は降る日本海からの容赦ない風が吹く人いないのこの最果て津軽の地に忠実に稲荷コンセプトを再現しようとした執念は賞賛に値します。鳥居の一つ一つ、全て信者様からの寄進でありましょうが、この過酷な環境の中で一部かなり草臥れた外衣間を晒す一方、材質のせいか日本海近くの過激な暴雪による冷たい攻撃による偶然の賜物か、表面鮮やかに赤を保ったままのほほんと立っているような、そののほほんさに誘われて丘の上、途切れた鳥居の先にもう一つお社、千本(自称)鳥居を従えて、その先に鎮座ましますお社の主は

 天照大神。稲荷神や宇迦之御魂大神では無いの、少々意外。まあ、千本鳥居を率いるのに最高神であることなんの異存のあるわけでないのですが。

 さて、千本鳥居に誘われて、着いた先は小高い丘の上、お持ちしていた天照大神、本来ならこれ以上のめでたしめでたし絶好の帰ろう、とは行きません。ここで油断して、そのまま今潜った鳥居をそのまま戻って帰ること、伊勢に来て外宮と内宮を参拝したのに赤福を買わずに帰るくらい残念なコトだと思われますたいしたことねぇな

 ここから先の参拝について余りたいしたことない例えでお茶を濁したのはワケがありまして、それは、たぶん、油断すると憑いちゃうんだろうなぁ、と云うおきつね様の行列が、先ほどの天照大神を祭る神明社の横手から続くからです。続くんですこれが、ホントに延々と。

 基本、二体一対で列を為すおきつねさま達

 どのおきつねさま方も

 よく街中にありがちな同一の雛形でもって大量生産された*1タイプでなく

 どれもこれも

 あまり余所ではお見かけしないような

 ここだけではないのかと思われるような造形お姿で

 競うように一列に

 時々つがいみたいのがほほえましく

 こちらやたら彫りの深い外人みたいなおきつね

 贅沢に屋根付きは子狐?

 一方口先の欠けるのもまた味があって

 倒れた先につがいの寄り添うがごとく

 向きと距離違えばカマキリつがいのごとく

 君らはネコだろ? どう見ても

 経年、角が取れてもまた仲むつまじく

 こちらはお社がメイン

 その内おきつねさまだけでなく人形造形の神様やら(おそらく稲荷神本体)柱に巻き付いた龍神さまやら、おや君は

 巳ーさん(小)でしたか、こんなところで。信じられないかもしれないけど君のご兄弟(大)がさる漫画で全国に紹介されたのよ*2

 ここまで一体一体、続々登場する新手のおきつねさまだけでもう大分お腹いっぱいになってきた上で更に巳ーさんの登場で別腹まで膨れてこれ以上は何が来ても入らん、と云うのが正直な所でしょうが

 まだまだ続くのです、これが。しかも

 小分けにされて

 ごらんの通り更にこの先並んだ小社の列、ご想像の通りその尽くに今までと負けないくらい取り取りのおきつねさまが

 並ぶ

 構える

 吠える

 見てる

 それはもういっぱいいっぱい

 これら小分け社内のおきつねさま、圧倒的数を占めるのはやはり各地神社で譲って頂くことの出来るオーソドックスな陶器製白狐が占めております。

 その中に、大体小分け社一つにつき一対の割合でしょうか、他では見られない造形のオリジナルおきつねが存しておりまして

 おそらくはこの小社それぞれの「御神体」と「御眷属」と云った役割なのでしょう

 これら小社、扉の閉じられているモノもありますが、どういうワケか扉のない開け放しのお社がほとんどで

 おそらくは御参拝のしやすさ、後から御参拝の際参拝者さんがご持参いただいた後置きのお土産御眷属さまを配置しやすいように配慮されているからだと思われ

 と云うことはこれらの小社、今でも立派に信仰の対象となっていること、小社の中に明らかに最近手入れのされている痕跡の認められるお社多数確認できることから、おそらく全国に初めてこちらの小社群を紹介した某書、その二番煎じ的に「ディープ」と銘打って適当に紹介してるWEBサイト、個人的訪問を記したブログ等で説明される「御役目の済んだ神像置き場」と云う説は明らかな間違いで、御神像・御眷属皆々信仰の対象という意味で現在でも立派に生きている、

 それは、神像を破棄するにしばしば施される手順である「魂抜き」の処置が為された*3像が確認できないと云う物理的観察から見て取れますし

 何より、この場所に足を踏み入れて後何処からともなく発して、その場にいる限り常に漂い続ける空気は間違いなく信仰の場のそれであるし、これら神像・眷属に物としてでない未だ宿り続ける神性の証でありましょう。ですから、縁・故あってこの場に足を踏み入れることになる諸子は目で見ることのみで満足するでなく、見ること以前にある感じることを味わって欲しい。
 ・・・などと、少し心落ち着けてこの場所を彷徨えば比較的容易にそんな感性の邂逅を得ることの出来るこの場所ではありますが

 それがやはり、見てるだけでも圧倒的に楽しいのですYO! 本音は。あれだけ偉そうなこと言いましたけど

 寒風に吹き曝されて枯れ葉の入りまくり、海側を向いているのですから当たり前です。その積もった落ち葉に塗れたおキツネがなんだか楽しそうだとか直接風に吹きっ曝されるより暖かそうだとか

 こちら小社群の一番端に立つ石像。眷属のおキツネにまたがる稲荷神を表現した物だと思いますが、いかに霊狐神獣の類とは云えいたいけなキツネに跨っちゃいかんだろ。おキツネ心なしか辛そうで「ちょっと重いんですけど・・・」みたいなこと言いたげな表情もヨイ、とかこんな他では余りお目にかかれない偶像を楽しんでも良いのかもね。

 こちらのご神像で一応小社の列は終わりですが、その少し手前にある「明治三十八年開園」の碑、一群の小社が奉られ始めた年を表すのでしょうか。ご神像から向こうは野原になっていてその気になれば更に小社を増やせるだけのスペースもあるのですが、少し離れた先に神像等無造作に積まれた場所があり、こちらは本当にお役目を終えたご神像の安置場所だと思われます。

 ここから折り返し。背中から改めて見て、尻尾の可愛さに気付くの図

 何故か、普通(の置物)っぽいキツネさん、白キツネさんは歓迎だよ、たぶん

 目、可愛いし

 大黒さんに門番任せて葉っぱにくるまれぬくぬく

 ここでも寄り添って

 絵馬のおキツネさん美顔

 折り返して来て元来た神明神社の方へ戻る道から脇へ逸れ、ちょうど神明神社の足下に当たる場所にも一群有りましてこれが

 屋根なしのおきつね石像数体と

 これは「おキツネマンション」と云いましょうか、先程の小分け小社が「戸建て」だとしたらこちらはおキツネさま始め神像のギッシリ詰まった「集合住宅」と云ったところ。

 おキツネさまだけでも種類に富んで

 バラエティーの豊かさでは戸建てに負けません

 一番の迫力はこのおきつね様

 真ん中でカマ持ってるのはお稲荷様と思われます

 あかいきつね

 ぎんのきつね

 しろいへび

 とらはくろ

 たぬきは何故かふつう

 いろんな祈りやら念やらが色とりどり造形とりどりの中に漂って、真っ当な信仰を慈しむ清き心と極彩の造形を愛でる混沌たる欲心とが渦巻いて心地よく、去りがたしの念を断ち切るのに暫しの時が必要です。暫し時を経て後、念きっぱりと断ち切ること期したでしょうか、さもなくば・・・

*1:アレはアレでよいのです

*2:

荒呼吸(3) (ワイドKC モーニング)

荒呼吸(3) (ワイドKC モーニング)

*3:神仏像等の神性を取り去るために像の一部を故意に破損させる行為