網走巡礼 その3

(前回のあらすじ)死神怖えぇ→http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20120102

 色々道草が過ぎて時刻はお昼を回っておりまして、この先の移動を考えるともう墓参りは諦めちゃおうかとも思いながらとりあえず訪れた網走駅前

 そこにはえらくチープな「北方民族」の銅像が立っておりました。このぞんざいさと国籍不明さは凄く琴線に触れてきて私に深い感動を与えてくれます。その感動のまま、先日の駅寝代として購入した網走駅入場券2枚、せっかくだから構内進入を試みて構内全く列車の停車が無く敢えなく退散した勢いも手伝いやはり初志貫徹はモノの道理、遠回りに見えて人生成功のための一番の早道と日常生活でそれが全くできていない自分を改めようと発起してみました、この場だけ

 網走市内は山の方へ抜けたり湖の方へ抜けたり海の方へ向かったりで何気にバイカーさんの多いことに気付く。それらお仲間とは言い難いバイカーさん方に背を向けて向かうのは、やはり事件の基本は事件現場に有りというワケで本日三度目の潮見墓園。色々調べてポイントはやはり「真ん中辺りにある」「東屋の近く」とのコト。四阿・・・確かにありますよ四阿。あるにはあるのですがどう見てもどう考えても真ん中とは言い難く、一応その周りも重点的に探してはみるモノを大体からして朝の7時前にこちらを訪問、2時間近くも墓園内ウロウロしていたのですから今更になって改めて探そうにも探してない場所を見つけるのを探す状況。結果は当然のごとくやはり、ない。

 これはもういかんでしょう。いかんともしがたいでしょう。そろそろいかんといかんでしょう、次の目的地もあることだし。総髪余すところ無く引き抜かれ挙げ句の果て皮膚まではがされこれからはレザーフェイスとして他人の生皮を求めて生きなければいかない程の後ろ髪引かれること覚悟しながらせめて最後は海を見ながら網走にお別れしようと墓地から一旦南の方へ向かい大回りしながら国道へ向かう道を選びます。その道は墓地からの道とぶつかるとすぐに一旦小高い丘の上を通って再び下ってそのまま南の方へ続きます。その丘の上に差し掛かったあたりでは少しオホーツク海が見えます。ぼんやりと何かで見た「石井監督は網走のオホーツク海が見える墓地で眠っている」記事を思い出しながら、もしも先ほどの墓地のある一体から海が見えるとすると遮る建物、木の無いここら辺が一番当てはまりそうだな・・・ハッとして海と反対方向へ首を向ける、すると・・・ありました・・・こんなところに・・・。

 埼玉帰ってからwebで調べると「汐見墓園」について詳細な見取り図を発見。最初にこれを見てれば良かったモノを・・・というくらいわかりやすいです。そちらを参照にする&そちらを参照にできなかった私の体験から、えーっとつまり市営の「汐見墓園」とはそれぞれ数区画をまとめて擁する2カ所に分けられていて互いに直接連絡していない。私が必死こいて探していたのはその石井監督のお墓がない側の区画で、これは見つかるわけがないと。そういうことです。そんなことだろうと思いました。

 そんなこんなでついにたどり着きました。区画のある場所さえわかってしまえば実際のお墓までたどり着くのに全く苦労はありません。ここまで来るのに長かった・・・無駄に・・・ホント無駄に・・・。

気を取り直してここから真面目に本格的にお墓参りです。見ての通り墓石の形状は三つ並んで一つの形。墓石の専門的な用語はわかりませんのでこちらの墓石形状仏像の釈迦三尊に見立てて三尊作りと仮に呼びましましょう。

 「三尊」で云えば脇侍に当たる両隣の墓石、偉大な石井監督の偉大な足跡を残すべく新東宝から始まり東映を経て最晩年の石井輝男プロに至る全ての監督作品をプレートに刻んだ記念碑となっています。

 そして正面「本尊」。そこには網走の過酷な冬が日本で最も似合う俳優高倉健による「安らかに 石井輝男 高倉健」との揮毫。日本で最も網走を愛したであろう映画人の墓碑銘にはただ思い伝わればいいとばかりに余りに短い言葉が贈られています。

 こうして見ると対する脇の作品名を記した記念碑、その作品中多大な名作の数々を見つけることで無言のままなんと饒舌に思いを述べているのだろうか、ふとそんな墓碑との対比を感じてしまいます。

 度肝を抜かれたこの映画、未だ未見のあの映画、そんな思いを抱きながら作品に「触れ」てみました。嗚呼映画愛・・・。
  
 スイマセン。しばしお騒がせしましたがこれで帰ります。本日はお参りできて本当にありがとうございました。今後も目が見え耳が聞こえ体が言うことを聞き浅草名画座がある限り監督の作品を愛し続けます。(おわり)