赤坂宿、市橋、昼飯 その一 「石引神社」

 美濃赤坂の駅で出会った貨物厨のおっちゃんに教えてもらった通り、JRを離れて非常にローカル且つ限定的輸送を担う西濃鉄道という貨物線がこの先まで延びていると言うことで丁度赤坂宿も経由することだし行ってみることにしました。残念なことに駅前の周辺観光図にそんなことは一言も記されておらず、代わりに古代赤坂周辺にあったという青墓宿についての痕跡、それを示す源朝長の墓所のことが記されておりました。源頼朝兄弟の中では希義に次いで影の薄いこの青年に父義朝は「死ね」と言い放ったそうです。鬼畜ですね、源氏の血は。

 さて、本日貨物列車が運休していることはもはや明らかでしたのでわざわざ線路に沿ってあることもあんめぇと赤坂周辺に残る古い町並みを楽しみながら歩くことにしました。古い町並みと言えば聞こえは良いのですが、途中ちらほら見える古そうな商店など明らかに廃業してしまっているお店も多く、

その古い作りを残したまま少しずつ衰えつつある町並みを歩くのはなんだか複雑な気分でもあります。やはりお店はどんなかたちでも開いていてこそ街です。

 途中で赤坂宿本通りと思しき交通量の多い道とぶつかりましたがやはりお店の開いている様子の無く、日曜だからと云うこともありましょうが旧宿場に対する興味はここで急速に萎えて宿内を歩き回ることは避けてそのまま道なりに北へ向かうことにしました。町並みは宿らしかったです。

 その先行き会った酒屋っぽい、スーパーっぽい、よろず屋っぽいお店が開いていました。旅の道すがら、このように地元住民御用達でございといった風のお店を見ると嬉しくなって地元住民でもないのに何か買い物をしたくなります。地元民御用達のお店に見慣れぬ顔が敷居を跨ぐとお店の人はまず最初に間違いなくどう対応して良いかわからない顔を浮かべるモノで、口ではきちんと礼儀正しく「いらっしゃいませ」の挨拶は発してるのにその表情と口上との差がこれまた面白く、お店の人が次にどのような対応に出るのか此も面白い。瞬時にこちらが旅人であることを察して気さくに話しかけてくるか、あくまでも客を迎える態度崩さず礼儀正しく通すか。で、今回お店の人、半分居眠りしてた様でしていずれでもありません。喉が渇いたので店先に並んでいるみかんを求めたところお店の人が値段を聞いてきました。大分ぬるいやりとりでしたがみかんは美味しかったのでよしとしましょう。

 その、今歩いている道を東側からカーブしてきた線路が交差。本日ダイヤが組まれていないことがひどく場末感を臭わす余りやる気の無さそうな踏切を越えてすぐ、西側(左手)に登場したのは「石引神社」と云う神社です。名前からして昔の石切場の安全を守る神様お社参加と思ったのですがまあ大体その通りらしく由来は神社入り口ほったらかしの立て札に書かれている通りです。
 そして、こちらの神社なかなか雰囲気のある神社でどのような雰囲気かというと

 このように境内鉄路が横切るテツな雰囲気に包まれた、

 またこのような遮断機無し注意書き手書き踏切のかえって場末感が素晴らしいというとてもとても場末テツ好みの風景で思わす「石引なのに鉄路横切るとは此如何?」などという寓話を思い出します。寓話の意味と出典はよくわかりませんが。

 コレなんかもう寺社テツ*1垂涎の一枚

 境内雰囲気もさることながらこのお社、拝殿入って正面左側に掲げられた奉納額がまた楽しい。

 真ん中、美濃赤坂駅より延びる今私が歩いてきた道路。その道路を挟んで賑わいを見せる街並み。下の方から登場して真ん中辺りで道路を横切り今と殆ど変わらぬ神社を横切る景色、延びた鉄路は山の方採掘場の方へ、可愛い貨車を従えた汽車。人と街とが共に生活することに疑いようのない頃の様子が活き活きと、それはもう活き活きと、これが好い、とっても良い。

 「寺社テツやってて好かった・・・」この属性構成員やってて初めて訪れた僥倖に高まる胸を押さえてここらで神社ともお別れ、主役欠く鉄路の向こうを見定めるべく元来た道を

 尚も道なりに北へ。神社を過ぎた辺り、左手にお寺があってなぜかその裏手直ぐにセメントの加工場。いきなり宿場の雰囲気薄まり替わって辺りどういうワケかうらびれた工場街の雰囲気がプンプン臭ってくるように。そして遠くの方、もっと大規模なセメント加工場らしき櫓が見えてきてきます。いよいよあれば終点でしょうか。石引神社の奉納額によれば確かにあの辺りに貨物列車は停まっていました。(続く)

*1:「乗りテツ」「撮りテツ」「貨物テツ」等「テツ」の一ジャンル。文字通り寺社と鉄道施設の交錯する景色に意味もなくそそるテツのこと。今勝手に適当に決めました。推定構成員たぶん3人くらい