小和田駅Bルート その3

(http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20120620の続き)
 「Because it is there.(そこに山があるから)」by George Mallory

 経験した方はよくご存じのコトと思いますが、小和田駅を歩いて離れる行為、道が急激な上りに差し掛かった後、楽しいことなどありません。木立に囲まれ景色は見えない、鳥のさえずりあるわけでなくこだまするのはダム内作業船の作業音のみ、途中お店があるわけでない、そもそも人がいないので地元の人とおしゃべりできる機会がほぼない、足下味気ないコンクリ作りの簡易舗装がこれでもかとばかりに普段座り仕事の柔弱体力を奪っていく。正直見所何もない、そこにあるのはただ「駅を出なければいけない」と云う無償の義務感と云う消極的理由のみ。何のための?

 「Because it is there.(そこに駅があるから)」by sans-tetes 

 徹頭徹尾冗談とは云えマロリーと並べるとは君も思いきったことをするね。この場を借りて申し上げますが、この一連のシリーズに意味などありません。バカなことやめて家でネットでも眺めてた方が百くらいマシです。

 さて、久々にムダルート取ること多くなった今回の一駅歩き行、距離も時間もそれほど経ってはいないにもかかわらず(2時間くらい)精神的な徒労が必要以上に体力まで蝕んでいくのか未だ出口の訪れさえ予感できません。前回(止せばいいのに)簡易舗装の本道を外れた場所まで戻ってその後は基本に忠実とばかりにひたすら簡易舗装を上っていきます。この先があまり報われる気のしないただただ退屈な道であること既に経験しているのとできるだけ体力温存を期するため足取りは慎重すぎる程慎重に。

 だからその「退屈な道」から少しでも「退屈そうでな」さそうな枝道が延びていると勝手に誘われていると勘違いの挙げ句明らかに間違っていそうな方向でも何ら疑うことなくその道を選択してしまう、まるで人生のようですね「もっとマシな道があるのかもしれない」というような。もちろんその多くはただの勘違いです。

 ですからその先にあるのが例え行き止まりとわかっていても抗えず誘われる。そんな枝道の終着点に鉄塔。前回までの崩落即終了のハデな2ルートと比べればコレはずっとマシな方です。

 本来なら多くの道、ただそこにある以上の役割は果たさない

 ただこの場所に道があると云う贅沢な事実を捕まえてこの言いぐさはかなり乱暴。

 その後現れたのは分かれ道。上り勾配に入ってから二つめの分かれ道で、前回経験したのは右側のルート、こちらが所謂小和田「Aコース」で、この後歩みに連れ段々と急になっていく勾配に挑戦者は無意識に背を屈めいつの間にやら足下しか視界に入らなくなる、堪らず上を見ると杉木立の遙か上方ゴールと思しき白いガードレール、そのまま石段を歩んだところでいつまで経ってもガードレールがまるで近づいてこないと云う無間地獄に勝るとも劣らない不全感をただひたすら味わい続けるという苦行の道なのです。

 地元民でもないのにこの道を歩むこと自体がそもそも無駄な業の上塗りに過ぎないとわかっていてもこの期に及んで「Aルート」を取る程無駄な人生歩んでいません。何よりも左側の道は最早残された「Bルート」最後の候補と言っても過言ではないでしょう。他に選択の余地もありません

 左側の道に入ってしばらく簡易舗装及び石段は続き前回経験したような廃道臭はあまり感じられません。

 しばらく進むと出ました、鉄の渡し。この際だからはっきり言っておきましょう「お前にはもう騙されへんぞ」

 古寺に残る苔むした石畳など詫び寂びを感じさせ日本人の感性をくすぐる良さがあるモノですが、谷間崖上傾斜ありの簡易舗装道路がこう見事に苔むしていることは恐怖以外の何者でもありません。前回と同じように鉄の渡し過ぎてその「行けないよ残念だけど外れだよ」と云う道の本性を現し始める前兆でしょうか? いずれにせよ足下油断は禁物です。


 再び鉄の渡し

 倒木見事に貫通。これはいよいよ・・・

 再び鉄の渡し。上の方がエライことになってましてアレが丸ごと崩れたらいかに鉄の渡しと云えどもひとたまりもないでしょう

 仲良く道連れ、地盤も緩んで石段ガタガタ

 ああやはりこの先は・・・早くも諦めかけてふと遠くを見上げた落木の先、杉木立の合間に何やら明らかに人工構造物が見える。これはよい兆しと考えてよろしいのだろうか? 最も今まで生半可な人工構造物など有無を云わさずひねり潰してきた無言の驚異を幾度となく目の当たりにしてきて、あの程度の人工構造物が何の希望の足あ充分学んでいる。「お前にはもう騙されへんぞ」

 これまでの苦行はただ単に人間不信ならぬ山道不信に人を貶めただけなのか、ここで一筋なりとも光明の欠片でも見えなければ今後最早「小和田駅周辺道はみんなウソつき」とレッテル貼りを強いられそれを挽回する機会の無いままにすごすごと「Aルート」経由で帰らなければならないのでしょうかこの期に及んでも歩いて帰る気かおまえは

 そんな痴人の嘆きを聞き入れてくれたかそれとも単なる狂人の幻か、今行く道の先、遠目からみても明らかに手入れ行き届き今でも生きてますよと教えてくれる人工構造物の姿。これは正解でよいのか?

 人家です。しかもあの廃屋独特のイヤな雰囲気*1が漂っていません。

 間違いなく現役です。間違いなく生業を営んでます。

 生活の気配が懐かしく誘われるかのようにふらふらと歩みを進めると今までの風景と一転する住居路地裏の景色。もはや完全に個人の家でございと云った雰囲気に、まるで飛び込んだボールを取りに恐る恐る進入した人ん家の庭の、あの時のいたたまれなさを思い出します。

 道はこの住居敷地内を途中まで通過して九十九折れに折り返して更に上の方へ伸びているのですが、この一帯はほぼこちらのお宅のための道となっている模様。この眺めは完全に人ん家だ。

 眺めと云えば住居の向こう側をの眺望、険しい山々と深い谷の遙か遠くに小さく天竜川の望める絶景。山から谷へ抜けていく風、今までのムダと思えた道行きの怨念を刻みつけるが如き不快にまとわり付いた汗がみるみるうちに引いていく心地よさも手伝い、しばし時を忘れてこの絶景を眺めていると、眺めていると、眺めていると・・・視界の隅になにやら妙なモノが・・・あれは・・・?

 なんとかつて大崩落残骸野晒しの姿がまるで白骨化死体のようだと形容して*2小和田駅では「行ってはいけない」旨アナウンスしている「高瀬橋」の姿がこの場所の高所故にその全容が明らかに・・・。

 この場所から定点観測すれば完全に橋崩落の様子が再現できたと思うのですがそれができなかったのが残念です。いずれにしてもこの場所からだと橋が少しずつでも崩落していく様子が手に取るように分かるというのにそれでも何の手も打たず朽ちるに任せていたのだから本当に人の通らない道だったんですねあの橋のある道は。

 山道を抜けて現れた意外な風景に輪をかけ現れた慮外の奇景にただ呆然と立ち尽くすことしかできずにいると、足下の住居から住人と思しき、と言うか間違いなく住人の老境に差し掛かった女性が顔を出す。どう考えても余所者の立ち入る必然性が著しく欠ける場所でネイティブの方と出会ってしまった場合の対処法はたった一つ、先手必勝のご挨拶。「こんにちは、あまりに景色が良くて眺めていました。もうしばらく居させて下さい」我ながら有無を云わせない対処だったと思う。

 住人の方はすぐに中に入ってしまわれました。この場所で一世帯、もしかして親族同士二世帯居るのかもしれないが若い世代は居るのだろうか。それにこの場所、小和田駅はともかくとして天竜林道からもまだ少し離れた場所にあり、生活の用などはあの狭い簡易舗装の坂道を行ったり来たりしなくてはならないはず。お見受けしたところその労にはそろそろ荷が重くなるのではと思しきお年の頃。「景色を」と断っておきながら視界の端にある高瀬橋の姿だんだんとぼやけてくる、代わりに視界に入るのは住居の軒の下、流しの水道で冷やしてるキャベツの玉。

 毎度のコトながら余所者の通りがかりの余計のお世話の事、これ以上の長居にもう一度住人の方にお会いたらなんか会わせる顔が無い、そんな気持ちが沸き上がってきた事を期に今回散策で初めてよい気分に陥ったこの場所を離れる。

 幸いにしてこの先も恐らくは天竜林道へ向かって道伸びており「Bルート」探しも無事続行できそうな様子。少し登って現れたのは荷物輸送用モノレールの一本道。足腰弱ってもこれに頼ればよいのかと起きた安堵にも落胆にも似た気持ちが気持ち悪くなって先に進む・・・Because it is there.(続く)

*1:勘違いされている方も多いようでこの場を借りて申し上げておきますが私基本的に廃屋嫌いです。モノは使ってこそ生きててこそナンボです。廃屋探索はその生きてた時代の余香を嗅ぐことの一端に過ぎません

*2:http://d.hatena.ne.jp/sans-tetes/20091116