常磐線不通区間間否不通区間

 松戸、柏、我孫子。千葉県分断の片棒を担いでいると云うだけで常磐線がとても偉大であるコト一分たりともブレはありません。もちろん我孫子駅弥生軒があると云う一点をもってその偉大さに拍車をかけていること誰もが認めるところです。要は「常磐線」、その名称に冠する常陸国に入る前から既に「偉大」と云うコトなのです。上野へ出てさっさと新幹線に乗れば済むモノを岩沼回りが料金変わらないからとわざわざ常磐線に乗って仙台まで行く事の苦労など分かるまい。日暮里、三河島、北千住と云う千葉島以上東京未満の拠点群を押さえる東武京成レベルの区域を通過しながらその行き先が「青森」と云うどこに連れて行かれるのか死ぬほど不安にさせる魔法のような感覚など総武線沿線民には解るまい。目の前を通過していく「ひたち」の行き先表示に「仙台」と記されているささやかな僥倖など東北本線民には解るまい。その常磐線で仙台に行けないコトがどれだけ悲しいコトか。

 ご存じの如く平成23年3月に起きた東日本大震災。その影響で大打撃を受けた常磐線津波による壊滅の悲劇と冷静に対処した警察官の美談が語られる新地駅含めた相馬駅より北側に、無能な将棋指しが悉く悪手を打つが如く打つ手全てが大外れの末、と云うかそもそも定跡が欠落したまま盤上適当に遊んでいた事実がほぼ明確となった現在何時解除されるとも知れない立ち入り禁止区域になって無理に侵入することは余命と前科に相談という扱いになった区域を含む原ノ町駅から南側、南北不通にも関わらずその中間だけ旅客営業を行っているという形態が珍しく、またその姿勢に*1幾ばくかの義侠心さえ感じられ、今回の南相馬再訪の際は他に予定された事象をドブに捨てる覚悟で乗らねばならないと無意味な気負いでもって乗車してきました。この記事を見る人はこの一件をもってして我が常磐線愛を汲み取っていただければと思います。

 乗車前に勢いつけるため、と云うワケではありませんが一年前は入ること能わなかった場所、現在一部立ち入り解除がされていて、かつて磐城太田駅で駅寝までして好機を狙ったのに泣く泣く諦めた位遠い場所にあった南相馬市小高地区に行ってみることにしました。

 小高区を訪れたわけはワケは他にあるのですが、前回最も立ち入り禁止区域に近い駅で駅寝したのと同様まず立ち入り禁止区域ほぼ境界駅の

 桃内駅

 高校の頃は常磐線下総国から常陸国内のバカ学校まで通っていたのでよく学校に行きたくない時電車で寝たフリをしてそのまま勝田駅折り返し→学校とかやりました。時間的な制約及び「車掌にバレても払うカネ無い」と云う高校生らしい制約で大抵友部駅辺りで帰りたくなったモノで、ある時は乗ってる二つくらい前の列車が神立辺りの踏切で自動車と派手に衝突、全線終日運休の挙げ句JRさんが用意してくれた代行バスで帰って来たらもう夕方だったので学校行かずに帰ったコトなど良い思い出です。代行バスに乗った際切符なんか確認しねんだもん。要するに常磐線は都合が悪けりゃ逃げてしまおうちゅう私のダメ人生のルーツでもあります。ああ愛しの常磐線

 テツ話題だけに脱線はお手の物との繰り言はさておき、要は過去桃内駅に思い出なんか何もありませんと云うことを言いたかっただけです。でも愛すべき常磐線

 桃内駅入り口は夏草が生い茂りまくり蔦草が伸びまくり当初は駅の入り口とわからずに目の前を通り過ぎた程。

 通り過ぎたのは駅が周囲小高い場所にあるためで、その駅から眺める周辺集落、時々自動車が通っていく、時々見かける人はただ黙々と長い間不在にせざるを得なかった我が家の片付けに黙々と向かう人。田や畑であったであろう場所と元々何もなかったであろう場所、その区別つき難いほど気ままに生えた夏草。

 目を構内に向けてまもなく覆い尽くさんばかりの蔓草。

 時は2011年初春に止まったまま

 やっとたどり着いた桃内よりまだ更に遙かに遠い浪江駅

 大常磐線がまるで茨城交通茨城線の廃線跡のようになってしまった・・・。

 嘆くヒマがあるならせめて今生きてるライフラインを愛でよう。そう思いを胸に向かった先は原ノ町駅。去年は筑波鉄道筑波線筑波駅のように殆どバスターミナルと化していたので一年を経て、線路が線路として駅が駅としてそして列車が列車として機能している事実に胸が張り裂けんばかりです。

 その反動でしょうか、恐らく全く悪意のあるわけでなくむしろ親切心とほんの少しの鉄道員としての迷惑心を元に作られたであろうこちらの張り紙には大笑いさせていただきました。イヤ、切実なんでしょう離れ小島状態で職員を避けない現状としては。

 言われなくても解りますが言わなければ解りません、よくわかります。

 現行原ノ町〜相馬間、運行はほぼ一時間に一本間隔。一編成のみでの運行のため閉塞を考慮する必要がありません。大JR東日本の大常磐線がまるで小湊鐵道線上総牛久〜上総中野間のような運行です。

 駅構内にはスーパーひたち用651系車両と友部以南では見ることなくなった懐かしの415系が一年前のまま。

 そうこうしている間に相馬方面から列車の進入。ここまで来てなんですが、その、正直あまり盛り上がりません

 それはもちろん現行現区間常磐線が完全に地域生活の為の手段に徹しているからであって。当日平日だった事も手伝って当然の如く観光客っぽいヤツなど私以外見当たりません。恐らくわざわざバイクで来たあげくそのバイクを駅前に停めて電車で相馬に向かおうなどというヤツは私くらいのモノでしょう。

 駅構内、福島復興の希望ひまわり

 さてそろそろ時間です。時間になれば有無を言わせず出発です。さすが鉄道です。この当たり前の事実に当たり前でなかった事実を思い涙が出そうです。

 車内に夕日の差す頃

 定刻通り相馬駅到着

 列車ならずとも信号青に変わる日がただただ待ち遠しい、相馬の次は駒ヶ嶺
 
 列車到着時駅前には相馬から先亘理駅までの代行バスがすでに到着、乗り換え客を待っておりついそのまま乗ってしまいたくなりますが、その衝動を抑えて少し相馬駅周辺を歩き回りましょう。

 目的は前回お祭りの関係でマトモに参拝し損ねた相馬中村神社と

 おそらく最北の平将門公御奉祭社への参拝

 その後松川浦にも行ってみたかったのですが反対方向及び日没につき断念。そのまま帰りの電車を待つため相馬駅前へ戻るとロータリーの辺りくろぬこの闊歩に遭遇。

 ぬこ、お気楽のんきのまま駅前ロータリーを一周、咎めるモノなし

 どこの場所であろうとネコがいる事は自分的には大歓迎であるモノの、経験上駅前で自由気ままに振る舞うねこのいる街は終わっているコトが多いので正直凄く心配です。

 こちらの危惧(悪態とも言う)を読み取ったかこちらに気づいたねこさんがびっくりしたようにすんげぇでっかく目を見開いてるのもこれまた印象的、ぬこよこれからも気ままに闊歩せい、幸せに生きるがええ。

 お日様が完全に暮れたところで後は電車来るまで駅舎内でひたすら待つ事に。ふと気づいたのは運賃表。いわきまでの運賃に先ほどのねこもかくやと云うくらい目を丸くする。律儀に仙台→郡山→磐越東線経由の運賃に直されてこのような想像外の値段に。律儀に職務に忠実にさすが世界一の鉄道会社だと感心はするが、それ以前に何かいろんなコトが狂っているコトよくわかります。

 ここがどこか、果ては自分が誰なのか解らなくなってしまう前にホームに入って現状認識をしてしまおうと思う。もちろん自分が何故ここにいると聞かれた場合どのような条件であっても答えに窮する自信があるコトだけは間違いない。

 2番ホームには行けないのに

 首都圏と同じ用に緑の背景でペンギンがスイカを勧めるのに

 編成は二両のみ。愛すべき大常磐線が。

 東葛地区では見る事のない二両編成の常磐線車両が入ってきたところで

 車中睡、「平」まで乗り越す夢を見て、気付くと既に原ノ町、二番ホームは渡せない。

 この期に及んで、多く望むことなどあろうはずがない。願わくは。

*1:JR東日本には珍しく