小金城趾の放置テツ

 平成12年頃の話だったと思う。東葛飾の実家から職場近くの埼玉に引っ越した。当時も今と変わらず友達なんぞというモノを殆ど持たなかった私は無償で動員できる知人など存在するワケなど無く必然的に家族に無理を言って手伝ってもらうコトとなった。埼玉の道の不案内に生来の寄り道好きが重なって作業が終わった大分後に日も暮れてかなりの時間が経って江戸川を越える事となりいつもは当然の如くクソ混みの流山橋が全く滞ることなく渡る事が出来、東葛飾郡流山に入るとすぐ隣を走っていたかに見えた武蔵野線の姿が見えなくなりいつの間にか流山線が近くにあるらしい事、しかもその姿が認められないと云う事、東葛飾郡内に入るや掌を反したが如く街灯が減りそれだけでひどく不安にさせてくれそうな、さすが流山線、沿線夜は早く通り過ぎてしまおうと云う気持ちにさせる雰囲気が満ちておりました。つくばエクスプレス線がまだ開通せず鉄道不毛地帯流山のニッチに合致した流鉄がブイブイ言わせてた時期で新三郷駅はあのふざけた上下線隙間がようやく解消され吉川駅前と区別の付かなかった三郷駅前が見かけ以上にだだっ広くなりこの不景気に駅前すべて埋まるのだろうかとまさかこの先10年以上景気も駅前も衰亡の一途を辿り続けている事などさすがに予想も出来ないただ何となくそのうち何とかなるだろうと思う事の出来た頃でした。
 「あれなんだ?!」さんざコキ使われたせいで越谷あたりから眠りこけてたはずの弟が突然窓の外を見て車を停めろと叫ぶ。こちらも疲れていたので正直さっさと帰りたいと思っていたところのこの申し出、ただ弟の何気なく道を通るときにしばしば発するこのよく分からないモノ見つける能力は私も一目置いていたので素直に従う事に。当時弟はそれまで全然興味がなかったはずの鉄系趣味に少し興味を持ち始めた頃だった。ちなみに廃趣味歴は弟の方がずっと長い。
 県道から分かれる細い生活道路の狭間から見えたという「あれなんだ」が実際に何なのかその場に行くまで弟は詳しく語らない。確かに実際その姿を見るまで「そこ」に「あれ」がある事など信じようがない。だが「あれ」は間違いなくあった。私もその姿を見るまで、いやその全貌が明らかになってしても我が目を疑う、その「モノ」がそこに置かれていた。
 そのモノは多くのディーゼル機関車。その昔流山線では貨物輸送も行われていたという事、その使用機関車が長く流山駅車庫に放置されていた事は幼い頃に見た風景であるのでので当初はその類のモノかと思った。だが流山線は電化。それに今目の前にある車両は朱に白帯、まごう事なき国鉄仕様のDD13・DD51・DE10。確かにDD13辺りの小型機なら流山線で使われていてもおかしくはないが、幹線仕様のDD51流山線に乗り入れ進入するコトなどスムーズなタブレット交換を阻害するイヤミとしか思えない。なによりこれらの車両群が単純に沿線で使用されていない、コトを表すのはそのこの場所の設置(?)の方法。100メートル程先にある流山線線路と繋がるレールがあるわけでなく、住宅地にある空き地にまるで自動車が駐車しているように並んでいる、そんな姿なのだ。その車長から順々に並べておくしかないため一見整然と静態保存を目的としているように見えるが、近づいてみて少なくともこの場所に設置する時点で塗装なりなんらかのメンテナンスをしている様子はうかがえず、設置後も雨露晒すままにただ放置しているだけと云う様子が車体の状態から見て取れる。見た目はまるで、ではなく完全に、廃墟である。一部の機関車の後ろには連結中と見立てるように有蓋車や車掌車が並んでいる。編成を意識した並びでないので車体の便宜上ただ並べておいただけなのかもしれず、機関車同様朽ちるに任せている。それら機関車群を照らす街灯はぼんやりと薄暗くとてもその全容を露わにするには力が足りない。正直、不気味。まるで、行き場を失った機関車の幽霊が今この時この場でだけ現れているような、そのような全容。恐らくは廃線廃駅山中廃墟等「それらしき場所」に廃機関車が放置されているのならこれほどまでの不気味さを醸し出す事は無いだろう。この住宅地ど真ん中にある機関車群の不気味さはこの「明らかにあるべき場所」で無い事がまるで「あってはならないモノ」と云う錯覚を呼び起こしその気味の悪さを呼び起こしているのだと思う。昼間見ればまた違った印象だったろう。しかし幸か不幸か、私たちは夜この場所に来てしまった。
 私も弟も多くを語らない。かなり時間も遅くなっていた事もあり、少し写真に収めてその場を離れる。その後弟は再調査に現地を訪ねたようだが私はその様子を詳しく聞いていない。「行ってきた」と帰ってきた弟の表情がなんだかとても失望したような表情だったからかもしれない。東葛飾を離れた私はその場所へ行く事が以前に比べて気軽でなくなった。

 クリーニング屋に着物を出すとやたらボられるので着物を着るようになった当時からセルフのドライクリーニングを愛用しているのですが、当初春日部にあった該当のお店、大人の事情でドライクリーニングをやめてしまい次に見つけた鳩ヶ谷のお店は機械が壊れてチェーン店の本部もコワれてどうしようもないと壊れたままの機械を放置、その次に近くにあるある店はと調べたところ「松戸」と云う結果が出まして遂にクリーニングのために越境している今日この頃です。その松戸のお店は県立小金高校のすぐ近くにあり店内には待機用のイスはない、ハンガー台がサビサビ、両替機がしょっちゅう壊れたままになっているというとんでもないお店ですが他に行く当てもないのでこちらに通う事にしています。これら手間ストレスを考えるともうセルフにこだわるのはあきらめた方がよいのではないかと最近思いますが最近引っ越した先、近所にあるクリーニング屋が3ヶ月前に預けた洋服をどこに置いたか解らなくなって一時間近く探すクセに奥の方に何年ほったらかしなんだよと言うくらい地層みたいに層をなした服が吊してあるという物凄くアレな面白いお店なので普通の洋服を預ける分にはまだしも着物はさすがにと躊躇してしまいこの問題は私の中でしばらく尾を引きそうです。
 その小金のドライクリーニング店、着物をクリーニング機に突っ込んでカネ入れると約40分は手持ち無沙汰になります。店内にイスが無いので無言の内に店内で留まる事を拒否、仕方なく外に出て暇を潰す事になりますが、普通の感覚で東葛飾のせいぜいが昭和50年以降に発達しはじめた新興住宅地など歩き回っても面白いはずはありません、普通の人は。
 件の「小金城趾の廃機関車群」、その後再度確かめる機会はなく何故かそのとき取ったはずの写真も見つからず、その記憶ははっきりしているにも関わらず視覚的にやたらぼんやりした姿に勝手に「あれは夢だった」事に10数年後の今はなっていて、全く別の用件で江戸川越えた東葛飾小金の道を走っていると襲われる常に奇妙なデジャブ感に再びあれは夢でなかったと記憶の底から幻の姿が浮かび上がって来つつある10数年後、きっとコレが縁というヤツなのだろう。

 適当に歩くと驚くほど容易に当時の道が頭に浮かんできます。これも縁でしょう。これは間違いない、幻のはずはないと何となく見覚えのある道を歩いていると居ました

 ねこです。これも縁でしょう。

 日も暮れてしまって動くねこを撮るのがひどく困難です。その困難を知ってかネコの野郎細かい動きをやめません。毛並みの良さそうな長毛種です。

 そういえば周囲大きな家が多く当然の如くお庭も広く、お庭と公道とを隔てる塀には当然の如くねこ。

 「ここらはネコが多いでしょう」。ねこを撮っていると犬を連れたご婦人が「自分が連れている犬のせいでネコが逃げて申し訳ない」とばかりに話しかけてくる。事実ねこは逃げた。私はねこを撮りに来たワケでないですが、さりとて何を撮りに来たのか一般の人を説得できるような材料にいつもの如く乏しく、ただひたすら「ねこ好きです」というポーズを取る事に終始していると不思議な事にそれ相応にネコ多く集まる場面に出くわし。

 後はただひたすらねこばかり撮っていたと云う事です。本来の目的をどこかに放り投げて。これも縁でしょう。おわり。


 ・・・・・・・・・・件の廃機関車群は恐らくは周囲の土地持ちが集めたモノと思しく、それが趣味を目的としたモノか、何らかの実用を意図してかははっきりしません。「DD13」「DD51」「DE10」と国鉄時代もっとも汎用度の高かった機関車が置かれているのは単に手に入れやすかったからなのかもしれないが、極端な汎用ディーゼル機関車厨が本当にそれを目的として購入した可能性もあり得そうだ。機関車とそれに付随する貨車の置かれた土地には周囲柵で囲いを作り「立ち入り禁止」「危険」の表示があり、事実全く管理・メンテナンスがされているようには思えない車両群は少しの振動で部品がもげたりヘタをすると車両そのものが倒壊してしまうんでないかという可能性は十分あり得て夜遅くと云う事もあって柵を越えてもっと近づいてみて、と云う事は憚られた。車両の置いてある土地の隣はテニスコートとテニスクラブの看板、その敷地内に倉庫として利用していると思しき数両の有蓋車。国鉄時代に払い下げられた有蓋車をイナバ代わりに利用しているお宅はよく見かけられるのでこの景色自体はそんなに珍しくはないと云えるがその横にある廃機関車群、それとテニスコート脇に点在する有蓋車、暗闇に浮かぶこれらの姿は不気味と言うよりとてもシュールだった。間違いなくこのテニスクラブのオーナーさんがこの廃機関車群に関わっているのだろう。

 PCのデータの山の中からようやく当時の写真が見つかって、あれらの姿が決して幻でなかった事確認。しかし当時の拙い撮影技*1、カメラの性能*2からとてもまともに見れたモノでなく帰って幻想感が増してしまった。これはおそらくDD51。型名プレートが剥離していてはっきり確認できなかった記憶がある

 こちらはDD13。当時既にJRの運用は無かったはずで払い下げられた各地方鉄道でも軒並み外観塗装を変えていたので国鉄色は貴重だったのかもしれない。

 同じくDD13と左側にDE10。

 当時のメモ書きにはDD13と書いてある

 別角度と思われるが不明。左側のアスファルトと白線から「とにかく公道のすぐ近くまで迫るように設置してある」と云うコトを想像して欲しい。

 入れ替え機と隣が恐らくDE10。正直スイッチャーについては詳しくありませんので型名は解りません。

 上記お写真、フォトショップ等で補正すれば暗闇の中でどんな車体が息を潜めているのかある程度再現できるかと思うがあえて行わない。私的にはこのまま闇に埋もれる如く幻のままにしておくのがそのまま記憶の通りだから。

 さて現在これらの廃機関車群がどうなっていたか。結論から言えば「ありません」。あの場所近くにたむろしていたネコは恐らくあれら機関車の生まれ変わりです。

 んなワケねーだろ。

 かつてあれら廃機関車群が置かれていたと思しき場所はことごとく住宅になっており当然のコトながらその痕跡は全く見いだせず。テニスコート及びテニスコートの敷地はほぼそのまま現在も営業されておりそちらに設置されていた貨車はほぼそのままの様子。若い人なんか走ってるトコ見た事無いでしょう車掌車。

 「現在」の周囲の様子、あらかた撮り終えて立ち去ろうとすると一匹のネコがこちらを凝視、ネコ鳴きマネすると一応反応あり、なおもそのまま凝視。こちらの目的を知っているのではないかと思うその姿はいつの頃か撤去された廃機関車が実は本当にネコの姿になってこの地に留まっているのではないかとの妄想を本気で抱いてしまう。あの場所で、悪意はないとしても朽ちるがままに任されていた廃機関車群を夜の街灯の下でなくでなく昼間お日様の元で見ていたとしたら何の感慨も感じずむしろ不愉快な気持ちとなっていたかもしれません。動かない機械のなんと残酷な事か! そう鑑みれば夜街灯の下に浮かび上がるその姿はその無念を訴える亡霊の姿に幾十にも重なり、夜の闇を操るかの如く気ままに闊歩するネコの姿に或いは憧れを覚える幽囚の気持ちをその場に宿していたのやも。あの廃車群は私にとってやはり幻の中の幽霊の様な存在なのですよ。

 とは言っても気になる事も確かです。あの廃機関車群についての情報をweb上で見つける事は出来ませんでした。どなたか何かご存じの方いらっしゃいましたらご教示を。

*1:今もあんま変わらんよほっとけ!

*2:リコーのRDC-7使ってた! 名機だよ!これは