これをシンクロニシティと言うのか?

sans-tetes2007-03-11

池袋は「新文芸座」にて『トンデモ映画会』、観に行きました。
で、まずは『アマゾン無宿 世紀の大魔王』・・・あんな偉そうなことをブログに書いたその夜に、とんでもない精神科病院のシーンが出てくる映画を観せられるとは、こういうのを「シンクロニシティ」と言うのか?まだ甘い、もっと二重、三重に伏線となるリンクが貼られてなければそうとは言えないか?
で、問題の映画中『増澤病院』のシーン。・・・ひどい、ひどすぎる。テレビどころかDVDにするのもやばいシーン、医者・患者・偽患者と付き添いの患者のセリフがまたひどい。あまりにひどいんで割愛させていただくが、その当時の精神科業界のごく一般的な見方だっただったのか、監督始めスタッフ達に精神科病院の知識が一切ないためだったのか・・・。とにかく、この映画の中で出てくる精神科病院の、特に「患者の治療風景」のシーンは、徹底して「笑かしの材料」として描かれており、今より偏見差別が深いご時世だったとは言えいくら何でもこれはねーだろーと言うような描写。あるいは「縁もゆかりもない」人たちが本気で想像していたある意味「一般常識」がそのまま描写されいたのか?
似たシーンをどっか他の映画で観たことあるなと思ったら・・・思い出した。『マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者たちによって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺』高校時代に(しかもNHKBSでやっていた!)受けた衝撃が蘇った。ちなみに当時の新聞のテレビ欄で、NHKBSの深夜のところに小さく『マラーの暗殺』と書かれていて、当時フランス大革命に興味を持っていた私は、単純に史劇としてのその題名への期待から夜更かしして点けたテレビの、画面半分を埋め尽くす本当の題に引き続き始まった本編にとてつもない衝撃を受け、完膚無きまで叩きのめされた気分になった記憶がある。実は『アマゾン〜』の方が先。しかし、やはりどう贔屓目に考えても、こちらの方はほとんど考えずに作られていそうな気がする。
面白いのは劇中の「患者達」で、今観ると当時の世相がさりげなく織り込まれている形になっていて、テレビと映画の業界対立、流行り廃りの音楽のジャンル等・・・。当時の人々の、「高度経済成長」による種々価値観の急激な変化についていけない有様が「それがまるで発症の原因であるかのように」描かれていると感じるのは深読みしすぎか?
って、真面目に感想述べてんじゃねーよ!面白いとか言うな!いくら冷静に分析してるつもりでも、このシーンがトンデモなくひどすぎるということは誰が観ても明らかだ。
もっと言うと、「日系ブラジル人」があんなカッコで羽田のタラップから降りたって、あんなシチュエーションで活躍して大暴れして最後一件落着してしまうこの映画のストーリーそのものが、今観ると全くあり得ないから。見ようによっては次の作品、遠い将来にすばらしい映画を作るため、何でも試してやろうという大いなる実験と言えなくもないが・・・。あくまでも「無理矢理」好意的に見たら。

・・・やはりこの程度ではシンクロニシティとは・・・。