たいせつなことば

sans-tetes2007-04-10

現代は言葉が軽くなってしまった。言葉で表す事と何の関連性もなくモノが溢れれば、言葉もモノ同様賞味期限を定めて期日までにきちんと消費するかもしくは処分しなければいけないと錯覚しても仕方ないのだろうか?
昨日話題にした澁澤龍彦先生の文章を改めて読む。金庫の奥深く仕舞われている宝石箱、取り出して一度蓋を開ければ陽光に照らさずとも、その言葉の一つ一つが珠玉となって輝く。特に晩年の作品について、悲しい程透明感を湛えた一言一言は、そのすべてが、鋭利な塊となって胸に突き刺さる。これ故に渋沢龍彦は永遠に残る。即ち永遠に生きる。

今の世に、言葉をまるで投げ捨てるかのように粗末にし、大切にできない文士がいて、いつの間にか首都を冠する権力を手に入れ、その文章と言葉のまま乱雑に、うつくしさの欠片もなく、ただただ示威するさまは、苦々しいを通り越して心が痛む。そして、それを選ぶ人々がいること、目を覆いたくならんばかりの惨状である。転じて、これが今の世の言葉の現状といっても差し支えあるまい。

比べ得ぬ二つを並べて語る私の論は、そもそもが的外れである。今、彼の人は文士でない。施政者でさえもない。