改名、「林家木久扇」

 趣味として、興味の対象として、この世界から離れている間、落語の世界の構図も大分変化したようで。なんだか落語ブームなんだそうな。あんなもんが?それとはあんまり関係はないのかもしれないが、私的に「断絶」状態の大名跡が復活している事に大変驚愕した。なんか「馬生」がある。十代目馬生が大好きな私としては大変な期待。で、よくよく調べてみると、「なんだぁ?」「誰?」当代馬生・・・正直知らない。食わず嫌いが良くないことは十分よくわかっているのだが、聴く気にならねぇ。お好きな人がいたらすいません。で、当代小さんは・・・。と思えば新聞の広告に「名人圓歌」のDVDの通販が載ってる。いつの間にか「名人?」ですか。大変すばらしい。ブームについていけない私はトンデモで我慢します。
 そんな中、「木久蔵」が息子に名前を譲って「木久扇」に改名したとのこと。なんか話題作りのために公募して、結果得票数とはあんまり関係のない名前になったらしい。どっかの政令市の区名を決めたときの騒動みたいな話だが。それを新聞の記事で見つける。裏返せばそれまでそんなことやっていたなんて知らなかった。
 自分の名前を次世代に嗣がせて大きくしていくというのは、精進して大きい名前を嗣ぐのとは別にこの世界では名誉なのでしょう。今回は息子さんに嗣がしたということで先代としては大いに期待するところが大きいのだと思うが、一方で名前と期待に押しつぶされて芸人として大成せず、一個の人間としても不幸な結末に終わる例も多くあるので一概に良い話とはできないんでしょうが。新「木久蔵」が今までどんな噺をして、どんな芸を目指している噺家か全く知識がないのではっきりしたことは言えないのだが、これからを目指す若い噺家さんの名前として「木久蔵」の名前は重みに的にちょうど良いかもしれない。
 ところで先代「木久蔵」、私的には師匠名の「彦六」を嗣いでもらいたかったなあ。この話の冒頭で「名ばかり」の名跡にやんわりと毒を吐いたのその舌の渇かぬうちに、とお叱りを受けそうなパラドックスとも取れますが。私の中のイメージで「彦六」「木久蔵」は単なる師弟関係を越えてやはり近いところにあるんだという認識は強いんですよね。確かに「芸風」と言われる、襲名する上で非常に重要となるカテゴリーがほとんど一致しないと言う批判は浴びるかもしれませんが、「正蔵(彦六)」を広く世間に認知させて半ば伝説となった「ヨイヨイ正蔵」を生み出した?木久蔵が「縁(と言うか責任)」あって彦六を嗣ぐのも十分認められるとは思うのだが。だいたい梨園じゃねぇんだからお家の芸なんてモノがこの世界にあってまかり通ってしまえばそれこそ。
 ここまで書いて思いっ切り前後矛盾してるのがわかると思います。「馬生」がダメで「彦六」なら良いのか?正直言います。そもそも何でこんな話題になったのかというと、「書くことがなかった」ことと、「先日のゴミ鍋で笑点の話題が出た(平山先生の嫁さんの母親が脳溢血でぶっ倒れて、入院している病院のICUにて「死にそうな患者とその家族が近くにいるのにナースステーションで笑点観て大笑いしている」ナースを自身のブログに「マンコやりすぎて頭が沸いている」とか書いたら母親についてる嫁さんからクレームが出た話)」のを唐突に思い出したこと、新聞仕舞おうと思ったら件の記事が目に入ったこと、それとweb上で「ヨイヨイ」とかちょっと書いちゃおうかなとか思ったこと。
 ですから本日の記事は事実と私の本心とは異なりますので、「世界に誇る伝統芸能、落語の悪口言ってけしからん」とか「ヨイヨイを中風に直せ」とか抗議しないでください。あしからず。