草を刈る

 正確には「除草」。文字通り庭に除草剤ぶっかけて生えてくる雑草を根こそぎ枯らす鬼畜の所業。実行後半年間、その場所は砂漠の如き有様になる。
 庭を手入れする人が誰もいないので、ほったらかしにすると、夏の盛り、2メートル近くに成長した名前のわからない草が一階の窓を被う様に密集し、恐らく花弁の部分に当たる頭のてっぺんを発達させ胞子のようなものを形成し、風が吹く度にまき散らすようになる。狭い中庭を、所狭しと人の背丈以上の何かの草が生える様はそれはそれで圧巻で、根本に近づけば日光を遮り、真夏でも薄暗くおもりの入り口にいるような錯覚さえ感じ、二階以上の上からその有様を眺めてみると、草そのものの色、緑・茶・黄色、草々の頂に胞子の様な物を湛えた花弁がうっすらと白色のアクセントを与え、待ち望んだ風が吹く度色のコントラストを一瞬崩して揺れる様は、なかなか様になる。何となくアナ・ゼマンコーヴァを連想。彼女の生み出した花々は、案外こんなところに種子が隠されているのかもしれない。
 それらの草々は私に直接被害を与えるわけでないのでそんなのんきなことを想像するとも言えるだろう。他の住人は曰く。「迷惑」と。だったら自分で何とかすればと思うのだが、同じ建物の住人ならまだしも、近所から苦情が来るようになればまたややこしいことになる。なぜか私の所に連絡が来て「住民を動員して草を刈れ」。草を刈ることはあまり苦にならないが、普段あんまり面識のない住人達と顔付き合わせて作業をしなければいけないとなると、大変な苦痛になる。そのため、指令が来ると、夜、一人で、誰にも気付かれないように延々と草を刈って草の回収のみを他の住人に任せるようになる。そのうち回収の以来さえも億劫になり、指令が来る前に、自分一人で帰結できる方法を考えることとなり、「雑草問題の最終解決」の結論を出さざるを得なくなる。やはり、ここはナチス・ドイツに習い、単純かつなるべく労力のかからない方法として「薬物による排除」という方法を選択。将来、ナチスの襲来におびえて屋根裏に引きこもり、ひたすら想像の世界に没頭することになった際、重要なインスピレーションの源になるかもしれない幻想の庭と引き換えに、時間を有効に使うためどんな方法であっても自分の都合を優先する事を選んだわけである。
 除草剤のせいでもあるまいが、年々庭に生えている所謂多年草の類もだんだん減っていっている様な気がする。前の冬には庭に生えてる唯一の木、柚の木が自然に倒れていた。自然ではあり得ない力で少しずつ表面を削り取られて平坦になり、より薬剤を蒔きやすくなった庭に、本日、今期の「最終解決」を下す。春の訪れと共にどこからかやって来て、件の庭でのんびりと昼寝をしているネコ達も、薬をまいた直後から夏の暑さが少し和らぐ頃まで姿を見せなくなる。ここで、どんなことが行われているのかよくご存じのようだ。