例えば、神皇正統記の場合

 このブログの記事、だいたいが外出等に伴って遭遇した「新たな経験」に依存している。そのため現状、強制的にベットに縛り付けられてるかの如き状況では新規のネタとなるような体験を得ることは大変難しい。そのような環境の問題で新たにネタ元・資料となる書籍を得る事も困難。体調不良とも相まって必然、新たに記事を更新しようという気が萎えてしまい、本日に至っている。改めて見ると、寝てるだけで金がかかっている身分としてはなんて贅沢な内容の記事なのだろう。
 などと言いたれているうちにブログそのものが挫折することは目に見えているため、また、全く先の見えない生活の撫柳を慰める為、一応また何かしら書き始めようかと。
 で、参考にさせていただいたのが恐れ多くも北畠親房公の『神皇正統記』・・・を書いたときのエピソード。
 このじじい、はからずも常陸のド田舎に飛ばされて、諜落活動がうまくいかない腹いせも兼ねて、書き上げたのが歴史書の体を取った思想書。とんでもないことに、なんの参考資料もない状態であれだけの形の書を書き上げてしまったこと、そのこと自体は驚愕に値する。書の内容、このじじいの性格の悪さ云々はさておいて。
 で、私も及ばずながらこのじじいにあやかろう。幸いにして性格の悪さは引けを取らないと自負しているわけだし。過酷な環境・条件でも、自分の経験と記憶を頼って、何かネタになることを考えてみよう。

 しかし、北畠親房に比するとは、お・お・おこがましいとは思わないかね?