エリザベス・キューブラー・ロス『死ぬ瞬間』

 今更私如きが紹介するまでもなく、ある種の職業に携わる人達・のみならず、身内が同様の状況にある人達、既にそのような体験を持った残された人々・そしてこれから、ほんの少し遠い未来に自身に、周囲に起こり得るかもしれない出来事を予想する人達、そういった人達にとって時に「聖典」と崇められることもある名著である。どのような形を伴うにせよ「死」が全ての人が避けうることの出来ない「権利」であることが今後続くならば、全ての人々がこの書に触れる権利を有し、書を読むことに費やされた貴重な時間は決して無駄にならないと断言してよい。
 さて、この本の著者は精神科を専門とする医師で、即ち「科学者」である。その後、彼女の人生のライフワークとなる「死にゆく人との対話」の始まりをわかりやすく説明し、同時に「科学者」として「はっきりとした形として見えにくいモノを多少なりとも見えやすい形にしてみせた(即ち「死に至る五段階=キューブラー・ロスモデル」の提唱)」ことで「画期的」な書である。そして、以後、著者はその「ライフワーク」を邁進し、ひたすら「(一部の)死にゆく人」の援助に生涯を捧げたのである。・・・と、ここまでは「よくある」「それだけでも素晴らしい」お話である。
 ここまでなら、私が著者について感じるのは「(ただの)尊敬」だけである。断っておくが決して悪い意味ではない。ただ、この著者の場合、私が「おもしろいな」と感じる劇的な変化がその後の人生で待ち受けているのである。
 「死」と関わる上で、著者はある時「宗旨替え」を行う。恐らく本人にとっては大した変化ではなかったのかもしれないが、周囲の、特に「科学的根拠」に基づいてモノを考える人々から見てある意味「裏切り」とも取れるような主張を始める。即ち「何ら科学的根拠に基づく事なく」「自己の体験」のみに準拠した「死後の世界の提唱」。そのような考えに至った経緯は何となくわかる。「死への過程」を「既に終了した人生」として否定せず「人生の中で最後まで続く成長の一過程」と意識し、あまりに強く意識するあまり、「死」が「人生の最後」であることへの疑問→むしろ「次の段階への過程」と考えるようになったとしても、そんなに違和感があるわけでもない。そもそもが、「死に瀕した人が必要とする援助」について取り組むそもそものきっかけに「直感」の力が大きく作用したように見える著者が更なる直感によって新たな境地を得たとしてもなんら怪しむに当たらない。むしろ、その「直感」を証明する道具として「科学的思考」を用いず、その時点で「厳密な意味での医師・科学者」であることを放棄する(かのように見えた)。いわゆる、「ある時点以降のエリザベス・キューブラー・ロスの著作は役に立たない」所以である。
 一方でその「転向」が彼女のその後の行動に何らかの制約を加えたかというと、その意味では全くもって影響はない。一方で、外部との軋轢が加わることが多くなり、その意味でその後の彼女の人生はまさに多難となる。いわば、宗教家が経験する人生に近い。とはいうものの、当然の如く、と言うべきか、彼女の信念になんら悪影響を与えるほどのモノではない。そのような彼女であっても、当然、彼女自身も将来「その時」を経験する時が来る。その時彼女は。
 やはり、一人で何人分もの人生を歩むかの如き「偉人」の人生は大変おもしろい。