黄泉平坂病棟

 デスマスクの積尸気冥界波を食らうと、妙な描写の黄泉平坂に飛ばされる。よくわからんが、何故かうつむき加減のいい加減なデッサンの亡者達が、列をなしてだらだらとあの世に通じる穴に至る坂道を歩いている。聖矢はあと何番目で穴に至る順番だったのか。そもそもどうやって帰って来たんだっけ?いずれにせよあまりいただけない。
 入院中、特に手術直後の痛みとそれを打ち消すための「自己暗示(妄想とも言う)」が強い時期、病院、我が病棟内の光景はまさしく亡者の群が連なっていた。むろん、私もその亡者の一人である。
 入院中の当該病棟の作りは、入り口付近に接するナースステーションの前を通り過ぎると、病室前の廊下は病棟内をほぼ一周するようになっていて、患者等はその廊下を歩いてループできるようになっており、進行方向を正反対に転換することなく、その気になればいつまでも、延々と病棟の中をぐるぐると歩き続けることができるのである。
 消化器系の手術後、必ず言われるのが「腸閉塞のリスク」。切り裂いてその痕縫いつけて、申し訳程度にくっつけた組織が、本格的にくっつける為にすごく頑張る。これを「癒着」という。ところが組織が頑張りすぎて余計なとこまで一緒にくっつけてしまうことがままある。そうなると腸が詰まる。所謂腸閉塞の完成である。そうなるとまたややこしいことに別の治療が必要となる。その「腸閉塞のリスク」を避けるために一番効果のあることは腸の動きを活発にすること。と、ここが無茶なところで、腸切り刻んでダメージ受けて、流石に休息したくて動きもへったくれもないところに「動きを活発に」、矛盾するところである。で、どうするか。「それでも無理矢理動かす」。方法、「運動する」。具体的に「病人なので歩くだけ」。
 術後一週間ほどは傷口の痛みが続く。3日ほど多少強力で使い勝手の良い麻酔が痛みを和らげることができるが、それが切れるとあんまり効かない麻酔を点滴に混ぜられる。あんまり効かないから痛い。痛いがずっと寝てると腸が詰まるから時々起きて歩かなければならない。歩いたって痛みが治まるわけがないから苦悶の症状で、点滴台を杖代わりに、なるべく腹への負担を避けるため前屈みになる。その患者が列を為して行き止まりのない病棟の廊下をだらだら歩く。同じ風景の中を当て所もなく、ただただ歩く。傍目には、その切実なる目的の所在などわかろうはずがなく無目的に、安住の地なく歩を進めるように見える。まるで。

 ※何度も断っておきますがこのブログはフィクションのようなモノです。実際の人物・団体・出来事とは一切関係ないようなモノです。このような邪な考えを持って療養生活を送っていると努力しているにもかかわらず腸閉塞その他合併症に罹患し、人の20倍歩かされるハメになるのであしからず。