『地球に落ちてきた男』

 学生時代、学校から割合交通の便の良いところにあった「三百人劇場」。私は特に演劇に興味があるわけでなく、この劇場には公演の合間に行われる映画の上映のため、たまに訪れていた。
 演劇場という建物の本来の性格上、ここで時たま映画を上映することはまさしく知る人ぞ知るイベントであり、私はほとんどが平日に訪れていたこともあり、まず大勢の客にもまれながら入場するということはなく、上映する映画もその雰囲気に相応しいラインナップであった。
 この映画を初めて観たのは、高校だか中学だかの頃、民放の深夜枠で放送されていたのを、何の予備知識もなく、その他準備もなく、「唐突に観た」というのが実状である。後年あれほどハマることになる「キング・オフ・カルトミュージシャン」デヴィッド・ボウイの名前など知らず、「健全であると称される洋楽」ばかり聴いていた頃。寝惚け眼で見るデヴィッド・ボウイの演技など心に残ろうはずはない。後年私が勝手に「TVC15のシーン」と呼ぶことになる、この映画で最も印象的なシーンの一つ「何台ものテレビを同時に見ているボウイ」のシーンに至っても、「バックにロイ・オービソンの『ブルー・バイヨー』が流れているな」位の感想しか持てなかった。恐らくその直後に睡魔に負けて、最後のスタッフロール、サングラスを掛け、ジャケットを羽織り、俯き加減に帽子の影に顔を隠すボウイの姿は覚醒直後ということで鮮やかに印象に残っているものの、何故そのような姿勢を取っているのか見当のつこうはずはなく、その後の解説「主人公はミュージシャン」ということだけが何となく頭に残っただけであった。
 ビートルズの音楽が、健全でも何でもないと気付いたことが大分遅かったことから伺い知れるように私は相当の音痴である。この映画の「価値」を知ったのも大分後年になって。そのおかげで、タイミング良く劇場においてこの作品をもう一度観賞する機会に恵まれたことは大変な皮肉と言える。予想に違わず、私を合わせて片手の指の数にも満たない観客の前、確か今週中には上映終了のはずだったのだが。
 内容。別に主演がデヴィッド・ボウイでなくてもスゴイ、というか私好み。幼き自分の不明を大いに恥じると同時に、前述のシーン、何光年も離れた地に一人戦わざるを得ない望郷の念を、ロイ・オービソンの切ない歌声に乗せて無言のままスクリーンに滲み出てくるように慟哭するニュートン(デヴィッド・ボウイ)、観ようによっては気分の悪くなるシーンに私は率直に涙する、と同時に自分のありきたりな甘い感性に、もう一度大いに恥じる。
 今観たとしても、自分の大好きなミュージシャンが理不尽な宿命に加えて、更に理不尽な仕打ちを受けて、さいごにいたっても救われないというのは、大変に興奮しそうだ。当時のデビッド・ボウイなんだから尚更。映画全体的に非道い話ではあるが、血みどろシーンが全くなく、虐げられる側のボウイの演技に、印象深い表情の変化が全然ないので全く残酷に見えない。ので、何度でもお代わりできそうなタチの悪さ、と言えば要するに我々の日常ですね。観終わった後、断片的に強烈なシーンが圧倒的多数思い浮かぶ、だが全体として話が繋がらない、そんな映画が好きな人に向いている。いるのか?
 しかし、エレベーターでかかるGで気を失うのは、今だったら有り得ない話ではないな。というか自分自身よく経験するというのはどう・・・。ただし、近くにメリー・ルウがいたことはない・・・。