焼き鳥

sans-tetes2007-08-18

 所謂首都圏とその近郊にあり、一串100円以下で買える焼き鳥の値段を「貴重」と、それだけでリピーターとなる可能性を示した際、北海道出身の友人より、至極普通に「地元では当然」との反応を得、改めて、自分の生まれ育った場所が「消費圏」に属すること、普段全く自覚することない「搾取する場所」にあることに気付く。
 地方都市、と言っては地元の人に失礼かもしれない、ある中核同士の境に位置する駅前・・・現在は政令指定都市の一部になってるらしいから都市のランク的には私の実家のある都市よりは格上だ・・・、もちろん縁もゆかりもない。その縁もゆかりもない駅前の、当然これもまた縁もゆかりもない焼鳥屋、一串だいたい70円、種類もそこそこ。これから列車に乗れば、鈍行の、堅いシートの上をひたすらに座り続けなければならず、接続の不便さからゆっくり夕食を取ることもままならないことを見越して、それこそ孤独な旅の共とするために、そして恐らく二度と訪れることのないであろうこの駅前にほんの少し縁付いたささやかな記念として、何本か買うことにする。ところで、「とり」「ねぎま」等、お決まりの串に並んで「つくね」が200円もすることに納得がいかない。地方となるとこのように「つくね」は割高になるのだろうか? 確かに、「シメ」るだけで串に刺すのに対して、「シメ」た後更に加工して串に刺すつくねの方が、その工程にから言って手間がかかるような気もする。高いのも当然のなのかもしれないが、「とり」も「つくね」も「ねぎま」も「ナンコツ」も「ハツ」も果ては「手羽」に至るまで全て同じ値段で焼かれている光景に見慣れた身としては、「つくね」がこの値段設定で売られていることに、いささか奇異にみえる。これもまた、首都圏在住者特有の無知と驕りの一種なのだろうか? そのせいだけでもないが、「つくね」の購入は控えて、その分、量を重んじる。
 焼き鳥の袋を片手に電車に乗り込む。どうも、沿線で祭りだか花火だかが行われる予定らしく、やたら若い者の浴衣姿が目に付く。多くは二人連れ、その中には当然男女のペアも多い。ところで・・・そんなペアのうち、片方が浴衣(多くは女性)でもう片方は甚平(多くは男性)という出で立ち、おかしいと思うのは私だけであろうか? ものすごく均衡を欠くように見える有様、ある意味「片方洋装」でおしゃれをしているという出で立ちの方がまだ均衡を得ているような気がする。
 もう一つ、やはり男の方。浴衣を締める帯が大分上の方に、お腹の辺りに収まってる様も多く、これも大変見苦しい。御本人、至ってマジメにキめてるるつもりで、ハタから見ると・・・天才バカボンにしか見えん。頼むから基本くらい知識を持った上で和装をしてくれ。と、ますます言うことがオヤジな自分に自覚。
 色とりどり柄が映え、色彩だけは豊かな電車の中、そんな若者達が一列に座った電車のシート、一番ドア側、端っこに座った日に焼けたどっかのオヤジ、何故かシャツをからげてメタボな腹を露わにして、鼻クソをほじりながら、何が気にくわないのか周囲に聞こえるほど大きな舌打ちをしきりに打っている。当然誰も関わらないようにしている。私の隣には、一人旅をしているのか、青春18きっぷを手に持ってしきりにひらひらさせているどっかのお子様。私はというと、そんな車内の光景をながめながら焼き鳥を頬ばっている。よく噛まなければ消化に悪いですから。
 焼き鳥の料金設定は首都圏では通じないローカル設定でも、車内は立派に余計に当然のように首都圏ぽい。みなさん、普段から見られても恥ずかしくない行動・格好を心がけましょう、と言いたいところですが、ネタになるので周囲に迷惑かけなきゃ良いかな?
 全然関係ないが、JR東海のマナー向上を促す車内広告のイメージがサルとかイノシシとかライオンとか動物だったのが、妙に可愛くて受けた。