応挙萌え、或いは二幽描応挙

 何でも「萌え」つければいいってモンじゃないぞ。
 さて、ここは上野、東京芸術大学美術館。ミュージアムショップに接するレストランが本当に値段までレストランなもんだから、みんなそのまま素通りした挙げ句、一階にある学生食堂で食事をするもんだから、いつもやたら部外者率が高い芸大学生食堂は、美術館の隣。
 応挙の虎である。正しくは「金刀比羅宮表書院虎の間 円山応挙作 遊虎図」文字通り、部屋を囲む三面の襖に、幽山に思い思いに遊ぶ虎たちの姿を描いたモノである。
 ところでこの虎達、本来なら襖によって閉ざされた部屋を囲むように位置しているため、一方の襖を開けてその部屋に入ると「出会う」ようにできている。そのため、襖を開けた瞬間、まさしく「出会い頭」という瞬間が存在する。できるだけ、作品の元々あるがままの効果を味わうため、私もその「出会い頭」の瞬間を想像してみることにする。
 ・・・だめ。あまりに可愛すぎて笑ってしまう。それほどまでに応挙の虎は可愛らしい印象を与えてしまう。特に、真正面に「白虎」が来た日には。
 ところが、笑いを抑えられず、半ば緊張感が途切れた心持ちで虎達に近づいてみると、ぎょっと、先程までとは違う感情が自分に浮かび上がってくることに驚く。先程まで、庭先で寝っころがる家猫よろしく甘えて見えた虎の姿が、狩猟者の頂点に立つ冷酷な王としての威厳、それこそ鼻の頭から尻尾の先まで、応挙の筆の先に乗せられた驚くべき表現力で表された毛流に沿い、電流のようにビリビリ流れている。「こいつに近付いてはならないならない」その直感は、先程迄の、観者の頬を弛ませたモノとは正反対。その落差に自覚する自分を、少し遅れてやっと自覚する。脳漿から発せられた雷のようなモノが、五臓六腑を駆け抜けて、一瞬のうちに手と足の爪先に至り、後にえも言えぬ心地よさが頭と手足に残り、にもかかわらず一度歩みを速めた鼓動の速度は未だ収まらない。
 記事の参考のため、求めた図録の「遊虎図」をめくってみる。半ば恐る恐る。川の水で喉の渇きを癒す2頭の虎。一方はこちらに尻を向けている。ああ、このしりがかわいいのだ、かわいいのだ。おまえは犬ガンダムか。
 その間僅か10分。この距離で全く別の応挙と会えるのだからすごくお得。谷中全生庵。今ではすっかり有名なった「幽霊寺」、本来は禅宗の古刹である。ここの応挙とはおよそ10年ぶりの対面。すっかり歳を取った当方に比べて、全生庵にある応挙の幽霊は全く変わらず、にもかかわらず全く壮健そうとは言えない。「怒り」より「笑み」の表情に底知れぬ恐怖を感じるのは私だけだろうか? 消え去る一瞬、或いは現れた一瞬か。どちらにせよ「この微笑の後始まる」一挙手一投足、全て恨みを晴らすことを目的とする所作であることはほぼ間違いない。そのための「笑み」、この上なく恐ろしい武器。さて、次の一手を。
 少し疲れたので、幽霊達の掛け軸の前に座って休ませてもらう。板の間に、正座。冷たくて気持ちよい。一番楽な姿勢だ。そんな姿勢で、幽霊を前にぼんやり考えた。しかし、応挙の幽霊は美人だ。
 本堂で行われているらしい落語会が丁度終わったらしい。そう言えば、先程幽霊画を観るために木戸銭を支払う際、隣の本堂に繋がる階段で、髪を振り乱して出番を待つ幽霊が、正しくは幽霊の格好をした前座が、扉に張り付いて噺の流れを息を殺して聴いていた。寄席の幽霊は四つ頃に出るのが相場と言うが、世の中変わった。